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祈る時間を持たなくなった時代

「私正直、お祈りすることに毎日時間を割く事をもったいないって感じてしまうねんな。
信仰してたらそうは感じひんのかな?」

「そりゃそうちゃう?
ウチの母親も朝と夕方40分づつぐらい祈ってるで」

「え!?40分も!?何を祈るん??」

「世界平和とか、家族の幸せとか、自分の事とかなんちゃう?」

インド映画を観ながらの夫婦の会話。

人々が祈る姿を目にして、特定の宗教を信仰していると、たいてい朝にお祈りする時間が設けられるよね。

我ながら、現代的なひどい奴だと思うけど、
私は、その祈りの時間がもったいないって感じてしまいそう。
それが当たり前な環境にいたらそうは感じないのかもしれないけど。

祈る時間が勿体ないって感覚、絶対豊かじゃないよね。
我ながらなんか悲しい。

でも毎日お金を稼ぐ為に、8時間も時間を捧げてきたら、そりゃそうなっても仕方ないよね。
祈りじゃなく、お金に時間を捧げる時代を生きてきた。

その上家事する時間引いたら、自分の時間なんて僅かだもんね。
祈る時間が勿体ないって思えても仕方ない。

祈るにはゆったりした気持ちがいるんじゃない?

バリ島に行った時、バリの人達も、毎朝お供え物をして祈る姿をあちこちで見た。
バリのお母さんは、たいてい朝にドンとごはんを作って、その同じおかずを3食食べると聞いた。
それいいよね!
それだと、ゆったりした気持ちも生まれるよ!
日本はごはんも洋食和食中華と懲りすぎなんだろなぁ
1日何品目とか止めてよ!絶対無理だし!


お金を稼ぐ時間以外を勿体ないって感じてしまうって、文明としてかなり末期的な感じがする。
祈る事をやめてしまった時代



私にとって祈りとは

私は平和を祈ってない冷たい人間なのか??

いや、そんな事ないよ。
わざわざ時間は設けないけど、平和は祈ってる。

そもそも私が13年前に大阪から滋賀に通いながら畑をはじめたのは、
暮らし全部をお金で成り立たせてると、
搾取とか侵略とか、どうしても世界のあらゆる不均衡に乗っかってしまうから、
そこから少しでも自立したくて、せめて自分が食べるものを少しでも作ってみようと、はじめた。

畑をやってみたら、むちゃくちゃ豊かで楽しくて、
いなかのが家を建てたり、さらに自分で暮らしを作れると感じて、半年で移住を決めた。

だから、畑をしたり、自分達で家を建てたり
自分達の暮らしを作る事が、私にとっては、世界平和を祈る事なのかもしれない。

コロナで戻ってきた豊さ

子どもを生み育てる間仕事を休んでて、
保育園に通いだして、昨年仕事を本格的に再開させた。
保育園に送った後、15時までしか仕事する時間がない!となると
畑やってる時間が勿体なくなってきて
昨年は畑もやめていた。

即ち祈りを止めてしまったんだ。

畑をしないから、外にいる時間がほとんどなく、
気づいたら季節が変わってた。
こんなに自然に囲まれながら、季節を味わう余裕がない。
展示の納品で締切があるから、時間のなさで焦燥感に溢れてた。

このままでいいのか?

わざわざ自然の中に暮らしながら、時間に追われまくってて、こんなの目指してたっけ??
なんか心がカサカサになってきたよ。


よし!今年は暮らしに重点を置こう!と思っていた矢先、コロナがやってきた。

強制的に仕事がなくなり、コロナにたっぷり時間をもらった。
お金はないけど、余裕はある。
自粛期間中に、畑も再開させ、
ニワトリを飼いたくて、
たまごをあたためて、ひよこから育てたりした。

全ての動物が自由に解放されて欲しいと願ってるので
ニワトリを自由に放し飼いしてるのも、私にとっては祈りなんだ。

仕事してないから金銭的には豊かじゃないけど、
暮らしは豊かになった
気持ちも豊かになった。

お金を稼ぐことじゃない時間を増やすのが、
心の豊さに繋がるし、それが平和に繋がるし、
これからの時代のキーポイントなのかもしれないなと思った。

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