田植え

半夏生ずる、さなぶりす

2006年7月 6日 (木)

気が付けば七月も初候を過ぎ……七月は「文月」(ふみづき)ともいいますね。

七夕の言い伝えに出てくる織姫様に、書(=文)をお供えしたことからとも、また、暑さとともに稲穂がふくらんでくることを表す「ふくみ月」が変化したものとも言われています。

七月の別名は「涼月」「女郎花月」「蓮見月」「蘭月」「相月」「孟秋」「七夜月」「親月」「棚機月」などなど…。

花の名前が付いているのが、なかなかに風流ですよね―。

さて今日は、季節の歳時記、米作りの行事から…。

七月二日は「半夏生」(はんげしょうず)、夏至から数えて11日目に当たる日でした。

もともと農暦では、田植えをするのには「夏至」の頃が最適、とされていました。

ただし、夏至そのものははずし、そしてこの半夏生前には終わらせるようにとの慣わしがあります。

半夏生を過ぎる遅い田植えは「1日遅れるごとに、1株のうち3粒ずつ米が減る」などといわれ、米の収穫量が減ってしまうことを戒めたようですね。

在所でも県南の農家では、ちょうどこの半夏生前に田植えをするところが多いようです。

早いところでは、5月のGW中からすでに田植えを始めるのですが(毎年GWが田植えで終わる、とぼやく人も多いのですよ)、米と麦の二毛作をおこなっている県南の農家では、麦の収穫が終わってからの米作りとなりますので、どうしてもこの時期になるようですね―。

それにしても、ついこの間までみごとな黄金色の波を打っていた麦畑が、ふと気付くと満々と水をたたえた水田に変わっている景色は、なかなかに見ごたえがありますよ。

まだまだ日本にも、豊かな風景があるのだと、なんだか嬉しくなります―。

さて、無事に田植えが終わると、それを祝っての祭りがおこなわれます。

その多くが、田の神様に感謝して秋の豊作を祈るものであり、また同時に「田植え」という一大イベントで協力し合った集落の衆の労苦をねぎらい、休息をとるためのものでした。

この祝い事を、「さなぶり」と呼ぶところが全国にも多いようです。

在所では、各家々でおこなうものを「小さなぶり」、集落全体でいっせいにおこなうものを「大さなぶり」といいますが、大さなぶりは別名「半夏さなぶり」とも呼ばれています。

この「さなぶり」、不思議な語感の言葉ですね。

語源にはいくつかあるようですが、私が知っている限りでは下の二つになります。

「早苗振る舞い」
  「さなえぶるまい」がなまって「さなぶり」になった

「さのぼり」
   田の神である「さ」が天に昇ること、すなわち「さ」
   「のぼり」が変化した

私としては、どっちも正しいと思うのですが…。

春先に里へと下りてきて、桜(「さ」の「座・くら」でサクラですから…)の木においでた田の神、稲の神が、種まきから苗代作り、そして大事な田植えまでを見届けて、いったん天に昇ることを祝い、同時に、重労働を共同作業でやり遂げた集落のみんなにご馳走をふるまう、なんだかこれですっきりしますよね―。

在所での「大さなぶり」は、集落の長が、全部の田植えが終わったことを確認してから日を決めました。

だいたい五日間くらいは農作業を休みにし、日頃は口に出来ない食べ物(赤飯やもち、うどんなどで、在所では、これを「かわりもの」といいます)を作って食べたり、「結い仲間」(田植えや稲刈りなどで、作業を共同でおこなう組内の仲間)にも配ったり、互いに寄り集まって宴会をしたりして労をねぎらうのです。

また、在所のあるところでは、「大さなぶり」を「マンガ洗い」と呼ぶところもあります。

「マンガ」とは「漫画」ではなく、「馬鍬」(まぐわ)がなまったものですが、これは田植えで用いた農機具を洗い清め、感謝する儀礼のことなんですね。

代掻きに使った馬鍬はもちろん、鍬(くわ)や鋤)(すき)、万能などをきれいに洗って納屋に並べ、それぞれに少しずつ赤飯を乗せたり、お餅を乗せたり、お神酒を供えたりして、拝礼をします。

人間だけでなく、道具にも魂があると見立てて、同じように労をねぎらって感謝する―。

日本人は、昔からこまやかな心遣いをしてきた民族なんだなぁと、しみじみ思います。

「昨日はさなぶりでねぇ、餅を配ってきたよ」というお客様の一声で気付いた、なんとも懐かしい季節の行事でした。

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