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拝啓 四角い心臓のおじいさま

私の喪失体験

「大切な人の喪失にどう向き合えばいいのか」考えると銘打ってはじまった舞台『雨夜の月』。

半年間の稽古とそれ以上の準備期間を経たこの作品が、
先日、ひとまず無事に幕を下ろしました。

ご来場ありがとうございました

喪失体験について、否応なしに考えさせられるこの作品を作っていくうえで、私が持つ大きな喪失体験を繰り返し思い起こされました。

祖父の死です。

私が小さいころから祖父は四角い心臓を持ち、死に至る数カ月前から入院をしていました。

病院のベットに横たわり、力なく首を傾け、
耳を近づけないと聴こえないか細い声の祖父からは
再び生気が回復する可能性を感じ取れませんでした。

当時から、祖父がいずれ死ぬという実感がどこかありました。
そのためか、葬儀を経ても祖父の死を深く悲しむ時間はなかったように思います。


エンジニアできゅう師だった祖父

祖父は生前、とある電機メーカーのエンジニアでした。
そのメーカーは不正会計をきっかけに、現在は経営不振の只中にあります。

祖父は60代半ばで亡くなりました。
その企業の不正が発覚したのは、祖父が亡くなった直後でした。

ニュースが流れるたび、
「おじいちゃんは会社の悲惨な姿を見ずに済んでよかったね」と親戚は笑います。

祖父は大学卒業と同時に上京し、ずっと同じ会社に勤めていました。
順調に昇進しましたが、持病のために早期退職しました。

退職するまでの間に祖父は夜間学校に通って資格を取り、
退職後はきゅう師(お灸の専門家)として、高齢者の自宅に足を運び、施術していました。

これらは祖父の死後に聴いた話です。


家庭的で私に似ていた祖父

私の記憶にある祖父は、すでに退職後の姿です。

それでも小さいころから、祖父は心臓が弱いと聞かされていました。
祖父の胸に服の上から触ると、四角い物体が張り出していました。

それを奇妙とも感じず、
四角く、固く、およそ人間の身体ではない、
機械そのものが祖父の心臓であると思っていました。


(祖父の死の直前に、それが除細動器であり、心臓の動きを助けるものであったと知ります。)

祖父母の家に泊まりに行くと、よく朝の散歩に連れていってもらいました。祖父は川辺に生える草花の名を、全てと言っていいほどに知っていました。
そして、ヨモギやフキノトウを採って料理をつくってくれました。

読書も好きでした。
図書館で本を借りてきて、時代小説、いま思えば捕物帳を好んで読んでいました。

手まめな人で、手芸や工作も得意でした。
手芸セットで私の好きなキャラクターのマスコットをつくってくれました。

祖母のLINEアイコンは祖父の作ったフェルトマスコット

周りの大人たちは「大人になったら勉強できないから、学生は幸せなんだよ」と言いました。

祖父だけは「大人になってからも勉強はできるよ」と言いました。


私のだいすきなおじいちゃん

今回、何度も祖父のことを思い出し、振り返りました。

しかし、その過程で悲しくなることはさほどありませんでした。
むしろ祖父が私のことを大切にし、可愛がってくれた記憶に何度も救われました。

祖父ほどに器用ではない私ですが、
祖父が大切にしたかったもの、祖父の価値観が伝わります。
私も同じものを大切にしたいと考えています。

祖母はいまでもよく言ってくれます。
「おじいちゃんはあなたが自分に似てるからって、大好きだったのよ」

祖父の死後、祖父は尊敬すべき人になり、これまでよりずっと私に近い存在になりました。

私はいまでもおじいちゃんが大好きです。

“I know he’s dead! Don’t you think I know that? I can still like him, though, can’t I? Just because somebody’s dead, you don’t just stop liking them, for God’s sake–especially if they were about a thousand times nicer than the people you know that’re alive and all.”

Jerome David Salinger, "The Catcher in the Rye"


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