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哲学的ゾンビというものを知っているか?

※哲学的ゾンビの解説ではなく、私の話です。

哲学的ゾンビという概念を知っているだろうか。私は昔、下記の漫画でその概念を知ったのだが、

これが結構面白い。というか、哲学的な思考実験はどれも面白い。スワンプマンとか、シュレディンガーの猫とか。考えても実利にならないことを大真面目に理屈で捏ね回すのが特に。

哲学的ゾンビを初めて知った人は、自分もこうなりたいと思うだろうか?私は結構これになりたい。

というのも、私は自意識が過剰なので、私の立ち振る舞いの一つ一つが、私の精神にモロに影響を与えてくるのだ。

例えば、人前で失言をしたとする。それを、お風呂に入っている時に延々と反芻する。その結果、私は気分が落ち込む。もしかしたら、寝付けなくなって寝不足になるかもしれない。

私が哲学的ゾンビになったら、人前で失言をして、お風呂に入っている時に、後悔する「フリ」をし、ベッドに入って寝付けない「フリ」をする。次の日、目の下にクマを作って、寝不足の「フリ」をする。そこに一切の感情や自意識は介在しない。

私は常々思うのだが、誰にも迷惑をかけず、誰からも傷つけられないようにするためには、自らの存在を消すしかない。しかし、そんな方法現実的ではない。家族や友達は悲しむだろうし、バイト先にも迷惑がかかる。神隠しみたいに存在自体無かったことにするのも、ちょっと味気ない。曲がりなりにも、ここまで世界を回してきた一員なのだから。

そうなると、哲学的ゾンビは大変都合がいい。自分の振る舞いは、他人が自分をその人と認めるように見せられるし、心がないので嬉しくも悲しくもならない。

たまに友達に話して困惑させてしまうことがあるのだが、私は自分の人生の運営を人に任せて、形而上的な世界から眺めていたいという願望がちょっとある。

間違えたくない。というのが前提としてある。私は結構プライドが高い方なので、失敗することがとても恥ずかしい。母親にそれなりの性能で産んでもらえたので、大失敗を犯すこともなかった。つまり、打たれ慣れていないのである。

そんな人間がたどり着いた考えが、哲学的ゾンビ。もう自分の意思なんていいから、誰かが代わりに私を動かして欲しい。そういう気持ち。たぶん、自分で選んでないから恥ずかしくない、と思ってる。

ところで、私自身は、嬉しさも悲しさも感じる自分を拠り所に、世界を捉えることが出来る。しかし、他の人が哲学的ゾンビでないとどうやって証明できるだろうか。また、この記事を書いている私が哲学的ゾンビではないと、どうやって証明できるというのか。この胸を割いて、心臓が熱い血潮を送り出しているのを見せられるものなら、見せて差し上げたいものだ。(「こころ」のこの辺の言い回しがだいすきです。)

哲学的な問いをなげかけた(?)ということで、私の空想兼現実逃避な思考回路でした。

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