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「わたしを空腹にしないほうがいい」くどうれいん 読了

この本の存在を教えてくれた彼女の顔を俺は知らない。だが俺は彼女の発する言葉や、おすすめする音楽、そして普段目を通している書籍たちに全幅の信頼を置いていた。あるいは、もっと彼女のことを知りたいと思ったからかもしれない。俺はこの本を探す旅に出た。

休日、俺は珍しく早起きをし、午前中のバスに乗って意気揚々と市内探索を開始したのだが、一軒目に目を付けていた盛岡紺屋町の「BOOKNERD」というお店で瞬く間にお目当てのお宝を発見し、俺の珍道中は開始早々に終わりを告げた。

このお店は前にバンドの後輩から
「ちょっと飲み行く前にぃ、行きたいところあるんですけどぉ、てるさんも行かねっすか。」
と誘われて以来、ずっと気になっていたお店だった。その時は灼熱の気温の中、男2人で街中をブラつくのが気乗りせず、「行けたら行くわ」と絶対に行かない奴の定型文でラインを返し、結局行かなかった。しかし縁は繋がるもんだ。店内はすごく雰囲気の良いお店でした。

「わたしを空腹にしない方がいい」
この冒頭から一気に引き込まれて、買ったその日のうちにあっという間に読み切った。普段俺が読むのは青春小説ばかりで、今までエッセイを読むということが殆どなかったのだが、エッセイってすごーく読みやすい!話がいくつも載っていて面白い!ずっと読んでいたい!と感動の嵐だった。創作した小説と違い、リアルな生活の中から湧き出る感情を言葉で示してくれるのが心地よい。そして他人の脳味噌を覗き見しているような罪悪感と、誰にも見せることがない故の、無防備な愛おしさを感じていた。

食事は、生活の中で切っても切り離せない行動だ。巻末のインタビュー記事でも触れられていたが、現代においてどんどん食事の時短化、簡略化が進み、いわゆる手料理(多少手の込んだ料理)は「趣味」のようなものになりつつある。料理を作り、食事をすることをもっと身近なもの、日常のものとして捉え、一期一食に笑い、泣き、喜び、苦しみ、「食」という行為に様々な感情を乗せても良いのではないか。そんな気づきを得た。
また、著者は盛岡出身とのことで、何で俺はこんなに身近に居ながらこの人の作品にこれっぽっちも触れてこなかったのだ!このばかやろう!と過去の自分を呪った。

「エッセイは腹いせのためでも自己救済のためでもなく、くだらないと思うようなことを眺めて、ちょっといいなって思うための額縁なんだからさあ。」(https://gendai.media/articles/-/111353)

これは著者の公式サイトに載せられていた一文である。投稿のタイトルは「なにが赤裸々」。この文章を読んだ時なるほど、と思った(こんな風な、想いが前面に出ていて人間臭い文章を読むのが好きだ)。俺はエッセイを書く人たちは皆、毎日がきっと特別で、さまざまな葛藤を抱いていて、それを全て曝け出しているものだと思っていた。しかし、特別なエピソードが無くたって、赤裸々でなくたって、救いにならなくたって文章は書ける。俺はこの一文に何故だか心が救われたような気がした。(自分はエッセイストでも物書きでも何でもないが)

ページを進め文字を追いながら、なんとなくこの本を勧めてくれた彼女のことを考えた。著者の言葉が、彼女の言葉のように聞こえてくる瞬間が時折あった。彼女も料理を作り、食事をすることで日々救われたり、喜びが増幅したり、悲しみが焼きついたりするのだろうか。美味しいものを食べている時は赤ちゃんのような顔をして、嬉しそうに食事を取るのだろうか。喜怒哀楽さまざまな感情を抱えながら、知らない街で今日も生きているのだろうか。

この本を通して、他人には見せない彼女の一部分を少しだけ知れたような気がして、思わずふふっと口元が弛んだ。嬉しくなって調子づいた俺は、探索の際に偶然見つけたナイスな織物屋で雪駄を買っていた。2,200円也。まだ誰の足型もついていない雪駄で歩くときゅうきゅう、と音が鳴り、踏み締めた時に鼻緒が足指に食い込んで痛い。
この真新しい雪駄がいつか俺の足に馴染む時、あなたに会いに行けたらいい。その時はこの本と一緒にコイツも持っていこう。雪駄記念日だよっ、つって。

もう9月なのに、外の熱狂はまだまだ冷めやらない。

2023.9.2

追記
有識者曰く、これは雪駄ではなく「草履」だそう。確かにこれ履いて雪の中歩けと言われても歩けんわ。もっさげね

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