マガジン

  • 万物の真理についての考察

    万物の真理についての哲学的考察です。 「一体これは何なのか?」から始まり、「何故なにもないのではなく何かがあるのか」「存在とはなにか」「なぜこの世界は何らかの自然法則に従っているようにみえるのか」「現象的意識やクオリアはなぜ生じているのか」「なぜ私はこの私なのか」「死んだ後はどうなるのか」「主観世界と客観世界はいかにして統合されるのか」等々といった問いに対して、はっきりと明確な答えを出したいと思います。

最近の記事

rePhaseを使ってスピーカーの位相補正をする方法のまとめ

この記事は何か? 「rePhase」というフリーソフトを使ってスピーカーの位相補正をする方法を調べたので、備忘録としてまとめたものです。なお筆者は音響の専門家でもなんでもないため、細かい所はよくわかりません。 スピーカーの位相補正をして何の得がある? 音が若干クリアに、綺麗になった気がします。 主に低域の位相遅れが改善されることで、低域のボゥンボゥンした余韻が改善され、低域が速くなり、タイトになります。 デメリットは? レイテンシーが生じます(ただしレイテンシーの

    • 「死んだ後はどうなるのか」について真面目に考察してみた

      「死んだ後はどうなるのか?」 この疑問について考えたことのない人はおそらくほとんどいないでしょう。宗教を信じる人は死んだ後はあの世や天国、地獄があると考え、魂を信じる人は輪廻転生して生まれ変わると考えるかもしれません。また、唯物論者は死んだ後は無になるのだと疑いなく信じていることでしょう。 しかしそもそも、この問いは何を問うているのでしょうか?? だいたい、死んだ後はどうなるか? などということは明らかに決まっているはずです。すなわち、 「死んだ後は、死体になる」 考

      • I created my own sound field correction program for speakers.

        First, please see the following graph. This is a bumpy graph. This is the frequency response of my speaker (Yamaha MSP3) as measured with a microphone. As you can see, the characteristics are far from flat. The bumps are the result of the

        • スピーカーの音場補正プログラムを自作してみた

          まずは以下のグラフをご覧下さい。 デコボコしているグラフですね。 これは我が家のスピーカー(Yamaha MSP3)の周波数特性をマイクで計測したものです。ご覧の通り、フラットとは言い難い特性です。このデコボコはスピーカーそのものがもつ周波数特性と、部屋の壁からの反響などで特定の周波数が強調されたり打ち消されたりした結果の足し合わせとして生じています。 一般に、フラットな周波数特性であるほど、原音再現性が高いと考えられています。すなわち、音楽をより「本来の形」で聴くことが

        rePhaseを使ってスピーカーの位相補正をする方法のまとめ

        • 「死んだ後はどうなるのか」について真面目に考察してみた

        • I created my own sound field correction program for speakers.

        • スピーカーの音場補正プログラムを自作してみた

        マガジン

        • 万物の真理についての考察
          4本

        記事

          04_<すべて>から「この現実世界」へ

           これまで「いったいこれは何なのか?」という問いに解答を与えるために色々と考えてきましたが、前回においてついに「ミュンヒハウゼンのトリレンマ」を解消することができ、この問いの答えに接近することができたと考えられます。  しかし、まだまだ疑問点は残っています。  特に、<すべて>なる構造と、「この現実世界」のつながりについてです。前々回では、以下のように考えたのでした。  <すべて>の中から、たまたま偶然「この現実世界」が選択された、としていますが、ここでいう「選択」とは一

          04_<すべて>から「この現実世界」へ

          03_存在とはなにか

           万物の根本原因についてトリレンマに陥らないように考えていった結果、あらゆる恣意性を排したあり⽅、すなわち<すべて>なるものに⾏き着きました。  では、本当にこの<すべて>なるものはトリレンマを避けることができているのでしょうか︖ 前と同じように、以下の問いを考えてみます。 「では、なぜ<すべて>は存在するのか︖」  ……しかし、これははたして意味のある問いでしょうか︖  この問いが成⽴するためには、前節で述べたように、<すべて>以外にもなんらかの「在り⽅」の選択肢があり

          03_存在とはなにか

          02_万物の法則とミュンヒハウゼンのトリレンマ

          1.万物の法則 「いったいこれは何なのか?」  さて、この問いに対して現状、最もまともな説明ができているのは何でしょうか?  それは、間違いなく、自然科学を除いて他にないでしょう。  我々は自然科学による還元論的な方法によって、この世界の成り立ちを説明しようとしてきました。  この世界を説明する万物の理論は未だ完全に⾒つかってはいませんが、一般相対論、そして標準模型はかなりのところまでは現実世界の理論的説明に成功していますし、その応用が現在の⽂明社会を支えていることは疑う

          02_万物の法則とミュンヒハウゼンのトリレンマ

          01_一体「これ」は何なのか?

          なぜ、この現実世界なるもの(=「これ」)は存在しているのか? 「これ」がなくなってしまったとしたら、後には一体何が「在る」のか? なぜ何もないのではなく、他の何かがあるのでもなく、「これ」なのか? 一体全体、「これ」は何なのか???????  以上のような問いを、幼少時よりずっと考えてきました。  いわゆる、「なぜ何もないのではなく何かがあるのか?」に類する問いです。  おそらく、小学生くらいの頃の事だったと思います。バスに揺られ、窓の外の風景を眺めながら、街路樹、

          01_一体「これ」は何なのか?