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無駄を省いた人生

はろーこんばんわ。

友人に、
無駄を省きたがる人がいます。

しかしその人は、
その人なりに
無駄を省いているはずなのに、
他人からは良い評価をされません。

なので、
無駄を省いた人生、
ということについて
今回は考えてみます。




◆無駄なものとは


まず、
無駄とはなんでしょうか?

よく聞く無駄なこととは

・生産性、
 お金を稼ぐことや
 社会的な価値があるものに
 つながらないこと

ゲームや漫画、
その他趣味は
よく時間の無駄と言われますね。

また、
別の個々人の観点で考えると

・自分が面白く感じられないこと

個人が退屈と感じる
勉強や仕事は、
お金や社会的な価値があるものに
つながるにもかかわらず、
無駄に感じられます。

つまり無駄とは

・個人における無駄

・社会における無駄

この二種類があります。


◆人生の無駄


人生の無駄、
これは一体なんでしょうか。

先ほど書いたように、
個人的な観点、
社会的な観点の二つがありますが
人生で無駄と感じるモノでは
個人的な観点の方が、
強く影響がでるでしょう。

ただし、
過去を振り返る際には
社会的な観点から
無駄と感じることの方が
多く感じるはずです。

現在、未来においては
個人の感情が強く、
過去においては
社会的な価値観が強い。

過ぎ去ったものは、
失ったモノ、得られたはずのモノを
考える際に無駄と思うはずであり、
そしてその際に無駄と思うことをしたのは
感情を優先してしまったから。

だから過去では
社会的な価値観から照らし合わせて
無駄を感じるはずです。

個人を優先し、
社会を後回しにする。

例えばもっと勉強しておけばよかった、
あの時あんな無駄なことをしなければ。

みたいな例では、
勉強したくないという
個人の感情を優先して
勉強するべきという
社会的な価値観を後回しにしています。

また、
現在・未来では、
それが無駄になるかどうか
上手く判断することができない、
ということもあるでしょう。

というわけで、
今感じる無駄と、
振り返った時の無駄。

この判断には、
違いがでてしまいます。


◆無駄を省いた人生


では、
無駄を省いた人生について
考えてみましょう。

無駄を省いた人生を送ろうとするには、
現在・未来の無駄を省く必要があります。

これは先ほど書いたように

・個人の観点、
 感情に基づいた
 無駄を省こうとする

なにか本を読んだり、
誰かの指導を受けていない限り
自分でやるのであれば
それは感情に基づいたものになります。

するとどうなるかというと

・メタ認知能力、
 コミュニケーション能力が
 よほど高くない限り、
 社会性が損なわれていく

人づきあい、
身だしなみ、
そういった社会性に関わることは
効果がハッキリとわかりづらいので
よほどメタ認知や
コミュニケーション能力が高くない限り
無駄に感じます。

会社の飲み会や友人の集まり、
無駄に感じる人は多いですよね。

なので、
まずはこれらを省き始めてしまいます。

するとどうなるかというと、
社会性が損なわれていきます。

女性ではあんまりいませんが、
男性はマジで身だしなみがゼロ点になる。

コレは個人の感情に基づくからであり、
社会的な価値観から無駄を省こうとすると
本人は大変かつ価値がないと感じても
社会性は上がっていきます。

感情に反すること、
感情を抑制することは
社会的な美学に
沿っているからというのが
一つの大きな要因です。

痩せている女性は美しい、
それは欲を抑えられているからだ。

他人に優しくする人は偉い、
それは怒りたくなる
感情を抑えられているからだ。

そんな風に、
感情を抑えられる、
欲を抑えられることは
社会的な美学、
価値観に沿っています。

これらから、
無駄を省いた人生というのは、
自分が思う無駄を省いているのであれば
それは社会的には評価をされないものに
なりやすいでしょう。

そうすると、
人生の無駄を省いていったのに、
それが他人からは
無駄まみれみたいな評価を受けてしまう。

そんなときどうなるかというと、
社会的な観点から
自身を振り返り、
無駄を省いた人生が
無駄なことばかりしたように
思えてしまうでしょう。

ちょっと恐ろしいですよね。

無駄を省こうとするのは
悪いことではないですが、
それは自身の考えに基づくのか、
感情に基づくのか。

はたまた、
誰かの価値観に基づくものなのか。

それらを考えて、
何にとって無駄なのか、
それの何が無駄なのか。

これをハッキリさせたうえで、
省いたほうが良いように
わたしには思えます。

それではまた。