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賢さと年齢

はろーこんばんわ。

最近よく思うことは、
歳を取った人には
賢い人が多いことです。

彼らは経験、
積み重ねてきた知識によって
物事に対して客観的、
論理的な考えを持つことが
できうるのでしょう。

対して若い人たちというのは、
感情に大きく行動が
左右されがちです。

特に、
自身の考えや感じたことが
感情自体に大きく左右されるという
その事実をわからないでいる人が
多いように感じます。

論理的に自身では思えていても、
それには感情が多分に含まれている。
そういった事実を。

たとえば、
嫌いな人や嫌いな作品。

これらに対する批評には、
まず嫌いであるということが
大きくウエイトを占めてしまい
きちんとした判断が下せません。

まず先にくるのは好きではなく
嫌いだという感情なわけです。

すこし人間的な理屈も考えてみると
安心安全を感じることよりも
危険を察知して感じられる人のほうが
サバンナでは生き残りやすそうです。

いまの世の中は安心安全ですが、
百年二百年遡れば
周りは危険で満ち溢れていました。

感覚や器官は百年二百年で変わらないですし、
やはりそういう考えからしても
危険なこと、
つまり嫌なことを察知して避けようとする
能力が高いほうが生き残れたでしょう。

だから、
まず先に自身の診に危険を及ぼさないか、
そうであれば避けようとするのが
わたしたちの自然な感覚に近しいように
考えることができます。

ですから、
嫌いというのは先に来てしまう。

それが仕組みとして理解していなくても、
経験からわかっていれば
物事に対する批評は
おおよそ正しく行えますが、
しかし若い人には経験は絶対的に足りません。

ですから、
必然的に老人のほうが
若者よりも賢くなるでしょう。

さりとて若者にそれらが
共有されきらず、
往々にして若者と老人が
わかりあえないのは、
かつて老人も若者であったという
その観点は失われていってしまうから。

いくら賢くなったとしても、
やはり自分の感覚というのを
信じ切ってしまっては、
あまり他人に物事を伝えることはできません。

なかなか世の中は難しいですね。

それではまた。