中靍 水雲

˗ˏˋ ふてくされエッセイ ˎˊ˗  @onoda_ema @gyyyyoza

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最近の記事

ひとり旅だったら、どこまでもいけたのに

相手と自分の違いを受け入れるためには、自分を殺すしかない 自分が損をすることを、とても恐れている人がいる。その人のなかでは自分の理解できないことは、『損』でしかないと思ってしまうからだ。理解できないから、『得』であるわけがない。これから自分は『損』をするのだという恐怖から、受け入れられそうなものも、受け入れられなくなってしまう。もしかしたら『得』をしたかもしれないものも、結局は無意識に突っぱねてしまうので、『損』をする。もしかしたら、成長できたかもしれないのに。  なぜ、そ

    • 感情があったからむずかしくなってしまったんじゃないか

      会話の上澄み「まあ、なんかもやもやするよね」  これは、日常会話のうえでの上手な逃げのひとことだった。会話のなかで生まれたあらゆることへの違和感を深く追求しないよう、やわらかく流すよう、上澄みだけ掬って捨てる。そんな意味あいをどうにか笑ってごまかすための、自分なりのふわっとした、逃げ道だった。 いい人でありたいと思う 自分はいつも、何かから逃げている。自分も他人も、つねに都合のよいかたちでいてほしいと思っていた。何も傷つかないように、関わりあったときと同じかたちであるよう

      • 人それぞれだと思える善性とは

        最近の話題の着地が決まってしまっている 「人それぞれ」だと、最近つくづく思う。そういう言葉で片づけなければ、いや、むりやり納得しなければならないことが増えた。  「人それぞれ」には、「この問題についてお互いに納得はしていないけれど、それでもその問題について突き詰めていくよりも、あえてこちらが寛容になり、昨今の多様性を認め、なんだかいい感じに話を着地させておこう」という一種の「話題をきれいにまとめる責任からの逃げ」や「みせかけの多様性への享受」をふくんでいる。なんとも悩ましい

        • 失敗してもいいと思えるようになるまで

          いつまでたっても成長しない  気持ちがざわざわとしていて、他に書きたいことがあったのだけれど、今はこの「ざわざわ」を吐き出したくなってしまった。  当日までは、このざわざわが続くのだろう。 エッセイが苦手だった  エッセイは、見聞きして不思議な気持ちになったものをエネルギーにして書きたいな、と思っていたけれど、今回のnoteでは、あまり「エネルギー」みたいなものはなくて、ただ鬱屈とした「ざわざわ」を吐き出すだけになるのかもしれない。  自分の気持ちをコントロールするつもり

        ひとり旅だったら、どこまでもいけたのに

          被爆ピアノに集まるひとびと

          被爆ピアノとは 被爆ピアノ。  その名の通り、1945年8月に日本への原子爆弾投下によって被爆したピアノのことだ。 被爆ピアノのコンサート 先日、知り合いに「被爆ピアノの演奏にのせて、朗読をするコンサートがあるのだけれど、よかったら参加してみない?」と誘われた。  被爆ピアノの音色を聴く機会なんて、なかなかないことだし、その現物を見られることにも興味があった。  しかし、残念ながら他の予定もあったので、今回はお断りすることになった。  その被爆ピアノは、とても素晴らしい調

          被爆ピアノに集まるひとびと

          わたしが死んだら海にまいてほしい

          遺骨ダイヤモンドとは?  先日、知り合いのかたとお茶をしたときに、『遺骨ダイヤモンド』の話になりました。  遺骨ダイヤモンド、メモリアル・ダイヤモンドなど、さまざまないい方があるようで。  簡単にいうと、故人のご遺骨で、人口宝石を作るというもの。  そうすれば、死後も肌身離さずいっしょにいられる、というサービスとのこと。 メモリアルダイヤモンドを作っている、代表的なスイスの会社『アルゴダンザ』 アルゴダンザのサイトより抜粋 死生観のちがい お茶をしたかたを仮に、Aさ

          わたしが死んだら海にまいてほしい

          本とともに育つ

          はじめに 2019年4月19日 名古屋市青少年文化センター アートピアホールで行われた松岡享子先生の講演会に参加しました。  そのときに先生が語っておられたことを、自分なりに心に書きとめ、文章に起こしたものです。 子ども時代 先日、奈良のお話会の創設者である、石橋千代子さんの追悼に行ってきました。  石橋さんの息子さんから、彼女が婦人之友の読者だったと聞かされ、わたしはとても驚きました。生前は、聞かされていませんでしたから。羽仁もと子さんをとても尊敬しておられました。  

          本とともに育つ