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母親というペルソナ|金原氏の記事を読んで

母の仮面が苦しいあなたへ 「自分」は今もそこにいる 金原ひとみ:朝日新聞デジタル https://www.asahi.com/articles/ASRCB2VCMRBRUPQJ00H.html

とってもいい記事を読んだ。

壮絶、というか大袈裟だが望むと望まざるとに関わらず、ワンオペをせざるを得なかった全母ほぼこんな感じなんじゃないかと思うくらい一言一句全てが「そう」だった。

言葉を操る人の言語化能力すごいな、と思う。
私も下の子供が完全にオムツが取れて、喉が渇いた時に自分で水を飲むことができるようになったとき(上の子6歳と下の子3歳)自分の創作活動を再開した。金原氏の言葉を借りると「その時同時に子供がいなかった頃の自分にも再会」した

金原氏が「子供を産む前の自分」と邂逅(かいこう)した瞬間のことを「もう会えないのかと思ってた。全然変わってないね。ていうかまだ生きてたんだ」と書いているけどその通りだった。 

ああ、私こうだったわ。って。
二度と会えないと思っていた。

子供は可愛いし後悔はないけど産後のワンオペ育児、あれは非人道的な生活だと私も思う。全く言葉そっくりそのまま完全同意だ。
復帰直後は仕事が思うようにできない苦しさと子供に十分な時間を割けない苦しさとそれでも全ての努力が「母親だから当たり前」と無効化され、仕事の側面からは「子供がいるので十分に働けない」と戦力外通告をされる。(もちろん今は時代も変わってそんなことはない職場も増えたと思う)

産前の根回しはもっと上手くできたのではとか、もっと上手く主張すればできたのではとか思わなくもないが、
今私が正規雇用として働けていることが大きく運に左右されていると同様に、産後の私の状況も努力不足だったとは思わないようにしている。

産後の母親の死因No.1が自死って事実をさ、今までずっと「母親としての自覚が足りない」「母親なのに」「母親だから寝なくても平気だろう」と全てなかったことにされてた(されている)。

しかしこの5年ほどで驚くほど父親の育児参加が進んだなという印象を持っている。長女のとき保育園の送り迎えでお父さんを見かけることは稀だったのに、次女が卒園する頃になると私の送迎する時間帯は文字通り半々くらいでお父さんを見かけるようになっていた。ご家庭によったら常にお父さんが迎えというところもあった。自治体としても共働きが多いとされている地域なのでそれもあるのかもしれないけれど。

記事の中に書かれていたけれど、母親としてのペルソナがそのままその人となり、そのまま生きていく人もいて、それを幸せだとか不幸だとか外の人間が判断したりすることではないし、それは「向き不向き」って言ってもいい部分。

ただ、私は子供を産む前の自分に会えたときに本当に「あんたまだ生きてたの」ってなった。そいつが生きてたことに驚いて、そして嬉しくなった。母親のペルソナは育児をしている間、もしかしたら一生持ち続けるし無くならないのかもしれない。また無くす必要があるものでもないと思う。でも、生きて過去の自分と邂逅することに成功してそれを嬉しいと思う人たちと乾杯したい。


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