見出し画像

「私達は自分が作った物語の中に住んでいる」そのことに気付くだけでも世界は変わるんだけどね。。

結婚してから家にまったく生活費を入れてくれない夫が、自由にお金を使っているのが『くやしい』と言っていた人と、以前こんな話をしたことがあった。

ちなみに、そのご夫婦は共働きで、家賃や電気類のインフラは夫、食費等の生活費は妻、残りは個人の小遣いと決めていた。しかし家族の人数が増えるごとに妻側の収入は減少。妻は育休中も、時短で働き出してからも生活費はもらわず、独身時代からの貯金を取り崩して生活費に充てている。そんな中、夫は小遣いで同僚たちに酒をおごり、自分の服を新調し、趣味を楽しみ続けているそう。。

『ね、ひどくない?自分の服はもう一年ぐらい買えてないの』

私「どうして今まで生活費をもらわなかったの?」

『だって、お金ちょうだいなんてカッコ悪くて言えないもの』

私「じゃあ言ったらご主人どうすると思う?」

『え?。。。くれると思う』

私「じゃあ、言ってみれば?」

『でも今さら。。。』


「自分は思い込みの中にいる」そのことに気付くだけで瞬間に世界は違って見えてくるのだけれど、あえてその中に身を投じている人は多い。

彼女は今も毎日奮闘している。

さて、私は最近一つ勝手な思い込みを手放した。

なぜそうしていたのかはよくわからないが、今まで私はエレベーターに乗るといつも回数ボタンの前に立ち『ドアの開閉係』をしていた。

降りる人達の為にドアの『開く』ボタンを押していると、頭を下げたり、お礼を言って降りていく人もいるが、まったく当たり前の顔で降りていく人が結構いる。今まではあまり気にならなかったのだけど、最近そんな人達に『なぜ、他人にドアを抑えてもらっているのにお礼をしないのだろうか?』と密かに腹が立つようになってきていた。

でもこれ、考えてみれば頼まれたわけでも、私の仕事でもない。勝手にやって、感謝しない人に腹を立てるというのもおかしな話である。

で、ドア係を引退。

そして気が付いた。

私がやらなくても『誰かがやる』。自分に対しても他人に対しても『ねばならぬ』を強要して勝手に腹を立てていたということ。

そして、ドア横の人が『開くボタンを押すことが当たり前』と思わなくなったことで、ボタンを押してくれる人に対し前よりもありがたく感じられるようになった。

私達は、気づかぬうちに自分で決めたルールに囚われて一喜一憂している。

大きな世界を見て視野を拡げることも大切だけど、小さなエレベーターの個室の中でもいつもと違う場所に立ってみるだけでも世界は違って見えてくるものだ。

いつもと違う場所から物事を見ることって大事ね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?