臆病者の話


先日、数年ぶりに風邪をひいた。
2日間に及ぶ発熱と頭痛で、寝ようにも2時間おきに目覚めてしまい、なかなか回復に至らず辛い思いをした。

幸か不幸か、土日の休みの出来事で、丸2日は何も出来なかったが、月曜日には熱も下がり出社することができた。しかし、結構だるさが残っていて、あれはインフルエンザないしコロナ由来の風邪症状だったのかもしれない。


小学生のとき、体調を崩したり、虫刺されが悪化したりして、病院にいくことが多々会った。特に小児ぜんそくは定期的に通院をせざるを得なく、よく一人で小児科へ足を運んでいたことを覚えている。

私の母はかつてぜんそくの症状が芳しくなかったようで、小学生の一時期は養護学校へ通学していたらしい。それが遺伝したのかよくわからないが、私も風邪を悪化させると、ぜんそく気味になり、病院で吸引をよくしに行っていた。

吸引というのは、鼻に二股のチューブなようなものをぶっ刺して、数分間霧状の薬を吸い続けるメディカルシーシャ的なやつである。


かつ、アレルギー性鼻炎もものすごかった。なんだか、最近は花粉症に悩まされている人をよく見かけるので、季節によってはものすごく親近感が湧く。
私の場合はあれが年中続いているような感じで、夜寝る前なんかは片時もティッシュが離せなかった。

虫刺されは、いつぞやのボーイスカウトのサマーキャンプで、ブヨ(関西圏ではブトと呼ぶことが多いらしい)に足を数箇所刺され、そこをただれるくらい掻きむしった結果、とんでもないことになったようで、実に2年間ほど皮膚科に通った。

母からは大目玉をくらい、「今後半袖で藪の中に入るな」「(皮膚科にかかる)お金がどんだけかかってる思ってるの」の二点セット2年間言われ続けた。そして、小学生男子なんてもんは毎日薬を塗ったりするようなマメなことができるはずもなく、その点においても母の雷が落ち続けていた。北関東のごとく



何が言いたいかというと、私はもうすっかり病院というものが嫌いなのである。
幸い、高校生頃には割と各症状も落ち着いて、大学は登山などをするくらいには健康体になったわけなので、ほとんど病院というものを頼ることも無くなったし、風邪をひくなんてのは数年に一回あるかないか。健康万歳である


ただ、不慮の事故で怪我を負うことはある。
前にドン・キホーテで買い物をした時に、瓶詰めのピクルスを買ったのだが、それがどうにも不味くて買ったことを大いに後悔したのだ。まぁ、この時点である意味事故みたいなものなのだが、それは置いておいて

瓶詰めなので、一個は小さいのだが、量はそこそこあるので、少々勿体無い気がしたので、刻んでタルタルソースの具材にでもしようと考えついたのである。
ちょうどタバコくらいの長さのピクルスなので、指で挟み込むようにして、サクサクと1センチ角くらいに刻んでいくと、だんだん楽しくなってきて、トントンと包丁を下ろしていった。

んで、そのままサクッと自分の小指も切ってしまったのである。
(痛い話苦手な人、本当にごめんね)

少々のグロ描写は避けるために、直後のことは飛ばすとして、私はとりあえず止血をしようとして切れてしまった左小指を右手で握っていた。


いた。はずだったのだが、気づくと台所の床に寝ていた自分がいた。
右手で患部を握っている体制のままではあったのだが、身体が完全に横たわっていたのである。

つまり失神していたのである。
そう私は自分の痛みで失神してしまうことがこれまでの何回かあった。そのどれもがアホな話なので、それはまたの機会に紹介するとして。

情けない。我ながら、情けない話だ。

そして、その情けなさに拍車をかけるような話なのだが、その後病院にも行っていないのである。

まぁ、ポトリと小指の先を失ったわけではないし、止血自体は成功していたし、どうということもないのかもしれないのだが、そこそこの切り傷の場合は外科医にかかり傷口を縫合をしてもらう方が跡も小さく済むかもしれないし、何よりしっかりとした処置を受けることができるので、行くか行かないかで言えば行くべきなのである。

頭ではわかっていても身体が全く動かないのである。なぜなら病院が怖いから。

加えて情けない話である。


こういう情けなさを普段から飼い慣らしていると、たいていのことは逃げればいいという発想になってしまうから恐ろしいものである。

私が怖いと思うもの、結構あるのだが、他の人はどうなんだろうと思う。

ただ、当方30歳を迎えた大人なので、なんでもかんでも逃げればいいという話でもないので、一応以下に怖さから回避する方法なんてものを書いておこうかと思う。
言うならば、自分に言い聞かせていることである。


①仕事は完遂する

基本中の基本なのだが、あなたが直面していることが仕事ならば、いくら怖くてもやらなくてはいけない。仕事だと割り切るしかないのだが、もし怖さでどうしても手につかないのであれば、9割の完成度を目指すのである。評価を気にしないのであれば、9割型成功しているないし形になっていれば大抵は切り抜けられる。あとは使えるリソースを使い果たすくらいで取り組めば良い、他に余裕がある時に回収すればいいのである。

②リスケする

これは単に期間を延ばすという意味合いではなくて、好条件のタイミングを見計らうということである。あなたのメンタルが落ち着いている季節とかでもいいし、近く嫌なことが吹き飛ぶくらいいいことがある時期に設定し直すだとか、自分がやり易い時期を明確に定める。ただし、これをする時には自分以外の承認者がいると効果的であるので、なるべく人に話しておくのが良い。もちろん他者の賛同を得られるような説明が必要である。

③バグってみる

最後手段的だが、「もう何も怖くない」という某アニメの名台詞のごとく、自分を誤魔化してことに臨んでみるのである。詭弁と言えば詭弁だが、世の中の大半のことはなんとかなるので、もういっそバグってやってしまうくらいの方が、後でどうってことなかったやみたいな結末を迎えることが出来る可能性の方が高いのである。バグれ、もう徹底的にバグってしまえ。


とまぁ、無理に3つ提示してみたものの、自分が本屋かなんかで自己啓発本かなんかを手に取って、中身がこんなだったら、、、と考えると恐ろしいものである。

結論、私みたいな臆病者は性根が腐っているだけなので、根性論でなんとかなってしまう。
今はあまり言うことも少なくなったのだが、私は普段から自分に自信がなく、「自信を持つにはどうしたらいいですか?」なんて言う小学生みたいな質問をいろんな人に投げかけていたことがあった。

その中で一番響いたというか、至極当たり前なことを言わせて申し訳なくすら思うのだが、「自信は自分でしか作れない」と言う言葉を今も心にぶら下げてる。
他の人があげることはできないんだよ、だから自分で見つけたりしようね、と言うことなのだが、こうした前提を見失うと人は結構な時間彷徨ってしまったりするものである。


なので、私は病院も怖いし、高いところも怖いし、絶叫系無理だし、ヤンキー怖いし、先端恐怖症だし、本音を伝えてガッカリされたくないし、美人に話しかけるなんて無理だし、話も面白くないから黙っていたいし、気持ち悪くても吐くの嫌だし、英語喋れないし、自分の子供を愛せる自信がないし、なんか大きな責任みたいなものを持ちたくないし、親の介護もしたくないし、人前で話すの苦手だし、数十万円の買い物なんてできないし、本当は車だって怖いから運転したくないし、仕事がつまらないからって今までのキャリアを手放す勇気はないし、スカイダイビングなんて出来るわけないし、てかアスレチックなんてものは動画で見れば十分だし、タトゥーは憧れるけど社会的な目線に耐えれなさそうだし、そもそも痛そうなの無理だけど、こういう気持ちを飼い殺しながら、生きて行くしかないのである。

臆病者、万歳。

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