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憧れのCEOは一途女子を愛でる 第6話

<第5話 https://note.com/wakaba_natsume/n/naa5568f70996

#創作大賞2024 #恋愛小説部門 #小説 #胸キュン #CEO #頑張る女子 #オフィスラブ

<第6話 君との縁>

 俺と朔也には毎年六月に前もって決まっている仕事が一日だけ存在する。
 来年の春に新卒で入社してくる人材を選考する最終面接の面接官だ。

 昨今ではインターンシップ制度を取り入れている企業も多く、我が社も毎年前年の夏から学生たちに参加を募っている。
 政府主導の就活ルールというのがあるものの年々早期化している傾向にあり、うちも俺と朔也が面接官になるのは六月の最終面接だけで、それまでに人事部がある程度の選考を済ませている。

 例年通り、四年前のこの日も、俺は面接官として会議室の正面に並べられたテーブルの真ん中の椅子に腰を下ろした。

「なかなか粒ぞろいじゃないか?」

 書類に目を通しつつ、隣に座る朔也が俺にチラリと視線を寄こした。
 この男はプライベートでは冗談ばかり言う明朗快活な性格だけれど、いざ仕事となると人が変わったように真剣になる。

「誰か気になった人はいますか?」

 全員の面接が終わったところで人事部の部長が俺に感想を求めてきた。

「みんなやる気があってフレッシュでいいと思う。特に、十五番」
「あ、香椎さんですね。彼女は真面目さが取り柄のようで……」
「採用で。内定を出しておいてください」

 俺と人事部長のやり取りを聞いていた朔也が驚いて目を丸くした。

「即決するなんて珍しいな」
「なんとなくだけど、彼女はうちの戦力になる気がする」
「さっきの面接はめちゃくちゃ緊張してたけどね」

 たしかに朔也の言う通り、面接での彼女は心臓が口から飛び出そうなほど緊張していて指先が小刻みに震えていた。
 その様子を思い出したのか、朔也が口元に手をやってニヤニヤと笑っている。

「香椎さんみたいなタイプは伊地知さんの好みだろうな。商品部に配属したらいいかも」

 朔也の意見を聞いて俺も即座にそう思った。
 そんな話をしたからか、彼女のことはこの日初めて会ったというのに、鮮明に記憶に残ったままだった。

 そして朔也が予想したように、翌年新入社員として入社し、商品部に配属された彼女は部長の伊地知さんと驚くほどウマが合った。
 雑談がてらに仕事の話をしていても、伊地知さんの口から彼女の名前が必ず出るようになる。
 面接での俺の直感は間違っていなかったと誇らしい気持ちが湧いた。

 そうして三年が経ったある日、俺が用事で商品部に赴いたとき、一心不乱にパソコンの画面を見つめて仕事に打ち込む彼女の姿を見かけた。
 メイクは薄めで透明感があり、上品でやさしそうで……とても綺麗だ。
 社長である俺が突然声をかけたらとまどうだろうと考えてそっと見守るしかできなかったけれど、なにごとにも真剣に取り組む彼女のことが、入社以来ずっと気になっていた。

「いつまで独身でいるつもりなんだ。早く身を固めろ」

 ここ何年か祖父から顔を合わせるたびにそう言われ続け、口には出さないが本心ではうんざりだ。
 いちいち反発する年齢ではないから、説教めいた言葉が聞こえても適当にやり過ごすようにしている。
 男は結婚してこそ一人前だ、という昔ながらの考えが祖父の中にあるようで、幾度となく見合い話を持ってくるからいつも断るのに苦労する。

「朝陽、お前にピッタリな子がいるんだよ。会ってみないか? 俺はあの子がいいな。気に入ってるんだ」

 また始まった。いい加減にしてくれとばかりに、俺はうなだれたまま首を横に振る。
 どんなに祖父が気に入ったのだとしても、俺とその女性のあいだに愛が生まれなければ結婚なんて無理だ。
 だが、今回はいつも以上に祖父がたいそううれしそうな顔をしていて乗り気なのが気にかかった。

「実は囲碁仲間の倫さんの孫娘なんだ。本当にやさしい子でな、この前も俺の肩を揉んでくれて、」
「じいちゃん、頼むからそういうのは辞めてほしい」

 なんとか見合いをさせたい祖父が俺を懐柔しようとしているのがわかって、会話を途中で遮った。
 俺としてはとにかく、手当たり次第にあちこちで縁談の話をしないでもらいたい。
 今度倫治さんに会うことがあったら、恥ずかしくてどんな顔をしたらいいかわからないなと頭を抱えた。

 しかし祖父は俺がそう言ったところであきらめはしなかった。
 ある日の休日、傘を忘れたから碁会所まで迎えに来いと電話があったので赴くと、祖父と倫治さんのそばに若い女性がいた。

「ジニアールの神谷社長……ですよね?」

 俺はとまどいながらもコクリとうなずく。
 先ほど倫治さんが『これは俺の孫の冴実だ』と紹介してくれたけれど、ふたりが血縁だった事実が衝撃すぎて頭の中が一気に混乱した。
 しかし彼女がうちの社員だったことは祖父たちも気付いていなかったので、どうやらこれはまったくの偶然らしい。

 倫治さんから彼女を甘味処に連れていくように頼まれた。
 彼女は話の展開におろおろとしていたが、俺はふたりでゆっくり話す良い機会だと思って快く了承する。
 
「今まで忘れてましたけど、私、今日はスッピンでした。こんなときに限って服装も……」

 案内されたテーブル席でメニュー表を手に取ろうとしたら、突然彼女がそう言って両手で自分の頬を覆い隠した。
 今さらなにを、とおかしくて笑いが込み上げてくる。
 服装はいたって普通で恥じる部分はないし、スッピンの彼女は普段とそんなに変わらず肌が綺麗で透明感がある。
 なのに、こんな姿は見せられないとばかりにあわてる彼女が本当にかわいくて、その表情や仕草から目が離せなくなった。

 やられた……そんな感覚だった。
 恋に落ちる瞬間なんて誰にもわかりはしないだろうと斜めに見ていたけれど、本当にあるのかとこのとき思い知った。
「とりあえず注文しよう」などと口にして平静を装ったが、俺の胸は高鳴ったままだった。

「ジニアールで働いていると言っても私のことはご存知ありませんよね」

 会話の途中で彼女がそんな言葉を口にした。

「知ってるよ。伊地知さんのお気に入りだから」

 それもあるけれど、なんなら最終面接のときから覚えている。そう言えば彼女が余計に恐縮するのは目に見えているので口にするのは辞めておいた。
 俺が会社で認識をしていると伝えただけでうれしそうな顔をする彼女に、さらにぐっと来た。
 
 今日は傘がなくて困っている祖父を碁会所まで迎えに行っただけだった。
 祖父は騙し討ちで見合いをさせるつもりで、俺はまんまと罠にかかったのだから祖父に対して文句を言うべきなのだが、相手が彼女なら話は別だ。
 逆に、引き合わせてくれてありがとうという感謝の気持ちが湧いた。話をして心の距離を縮めるきっかけになったし、彼女をどう思っているのか自分の気持ちを確認できた。

 あとで祖父から「冴実ちゃんはどうだった?」とニヤニヤした顔で聞かれ、今まで見合い話をことごとく突っぱねてきた俺は、器用に態度を軟化できずに言葉に詰まってしまう。

「お前は本当にいつになったら結婚する気になるんだよ。冴実ちゃんはいい子じゃないか。なにが不満なんだ」

 激しく俺に詰め寄ってくる祖父に対し、誤解だとばかりに俺は首を横に振った。別に彼女に対して不満なんかない。

「俺はちゃんと、冴実さんとの縁を大事にしたいと思ったよ。彼女は倫治さんの孫で、うちの社員なんだから」

 俺の言葉を聞いた祖父が目を丸くして驚き、そのあとすぐにウンウンとうなずきながら満面の笑みを浮かべていた。
 まだなにも進んではいないのに、まるでもう結婚でもするかのようにうれしそうだ。頼むから先走らないでほしいと伝えると、静かに見守ると祖父は約束してくれた。

 仕事では、前々から店舗運営部への転属願を出していた伊地知さんが香椎さんも一緒に連れていきたいと言いだした。

「私には香椎さんが必要なの!」

 社長室まで来て俺と朔也に懇願する伊地知さんの言葉は、まるで愛の告白みたいだった。
 香椎さんを気に入っているのは知っていたが、そこまで惚れ込んでいるなんてと驚かされた。
 元から真面目であり、さらに伊地知さんが一から教育したのだから、彼女ならどこの部署でも通用する。
 事実、異動してからも精力的に働いてくれていると伊地知さんが鼻高々に報告を上げてきた。

「お疲れ。帰るのか?」
「ああ……本店に寄ってからな」

 この日、十九時前に会社に戻ってきた朔也と一階のエレベーターホールで鉢合った。
 本店の照明の工事がうまくいったかどうか気になっていたから、自分の目でたしかめるために仕事を早めに切り上げたのだ。

「照明の件か。朝陽がやけに気にしてるのは、香椎さんが担当してるから?」
「……は?」
「香椎さんとはおじいさん同士が友達なんだっけ? なんですぐに言わなかったんだよ。怪しいなぁ」

 冗談めかして言いつつ俺の表情をじろじろと観察する朔也に、「お疲れ」とだけ言葉をかけて会社を出る。
 祖父たちが策をめぐらして彼女と碁会所で会ったことを、朔也や伊地知さんにいつ話せばいいかわからなかった。
 きっかけを失っていたのもあるけれど、俺が彼女を意識しているという理由が大きい。だから朔也が指摘した『怪しい』という部分は当たっている。
 
 工事はどうだったのか吉井店長に尋ねようと本店に赴いたら、香椎さんがひとりでスマホで写真を撮っていた。
 仕事をしている彼女を見かけるとき、それはどんなシーンにおいても全力投球で一生懸命だ。

「自分のスキルアップに繋がるので、今はどんな仕事でもがんばりたいんです」

 少々照れながらも凛とした声ではっきりと言い切った彼女に、俺はまた心を持っていかれた。
 だけど俺の目をまともに見てくれなくて、それがもどかしくて目線の高さを合わせるようにかがんでみたけれど、彼女は困ったようにうつむいてしまう。
 挙げ句、マネキンスタンドに足を取られて危うく転ぶところだった。
 彼女の華奢な背中を支え、このままギュッと抱きしめたい衝動にかられたが、さすがにそれは無理だと思い留まる。

「本店の照明ね、ディスプレイデザイナーの人も気に入ってくれたわ。変えてよかった」

 社長室を訪れた伊地知さんが意気揚々と報告する姿を見て、俺も自然と笑みがこぼれた。

「新しい部署に移ってからなんだか活き活きしてますね」
「うん。香椎さんのこともね、馴染めるかどうか心配だったんだけど大丈夫みたい。部内でうまくコミュニケーションが取れてる」

 今の言葉を聞いてホッとした。もしも気が合わない同僚がいたら仕事に支障が出るかもしれないと俺も気になっていたのだ。
 忌憚のない意見を言い合える仲間がいるなら、香椎さんも実力を発揮しやすいだろう。

 俺とは住む世界が違うなどと言い、恐縮してばかりでなかなか目も合わせてくれない彼女の姿が頭に浮かんだ。
 そういう態度を取るのは、わざと俺と一定の距離を保とうとしている意思の表れではないかとネガティブな思考に陥りそうになる。
 それは俺が社長という立場だからなのか、それとも男として魅力を感じないから近づかないように線を引かれているのか……。
 もし俺が社長ではなく普通の一般社員だったなら、同僚として彼女ともっと気さくに話せていた可能性もあっただろう。

「香椎さんのおじいさんとも知り合いなんでしょ? 香椎さんと会社以外でも会ってるの?」

 伊地知さんの問いかけに、俺は首を小さく横に振る。
 祖父たちの前では互いに名前で呼び合おうなどと最初に提案したものの、そんな機会はまだ訪れていない。
 だからというわけでもないけれど、俺と彼女の関係は停滞したままの状態が続いている。

「そういえば記事を見たよ。真凛さんとのやつ」
「ああ、あれね。完全に切り取られました。会社同士のただの会食ですよ」

 伊地知さんが口にしたのは真凛との熱愛が疑われた記事の件だ。
 あの日は朔也も一緒にいたし、向こうも真凛のマネージャーや所属事務所の社長が同席していたのに、記事ではまるでふたりきりでデートでもしていたかのように書かれていた。
 写真もわざとほかの人間が写らないアングルで撮られていて、どうしても熱愛に見せたいのだという記者の意図が感じられた。

「まさか伊地知さんはあんな記事に騙されないでしょう?」
「もちろん。真凛さんはどうかわからないけど、朝陽くんにはその気はないよね。タイプじゃなさそう」

 仕事の書類に目を通しながらクスリと笑みをこぼす。
 いちいち全部説明しなくても理解してもらえる伊地知さんのような存在がいるのは本当にありがたい。

「あ、そうだ、思い出した。氷室くんが……」
「え?」
「うちの部署にいる氷室くんがね、香椎さんに気があるかも」

 魅力的な彼女がモテるのもうなずける。
 氷室という彼女と同期入社の男の顔が浮かんだ途端、心の中にモヤモヤとした感情が芽生えるのが自分でもわかった。

「歓迎会を開いてもらったときに、あからさまに香椎さんに絡んでたわ。ふたりが仲良くなって付き合っちゃっても知らないからね」
「なにが言いたいんですか」
「恋にはタイミングも重要ってこと」

 咄嗟にとぼけたけれど、伊地知さんとは付き合いが長いから本当はなにを言わんとしているのか見当がついていた。
 もたもたしていたら氷室に先を越されるぞ、という警告だ。

「まるで俺が香椎さんを好きみたいじゃないですか」
「違うの?」
「……そうですけど」

 ズバリ聞かれてしまい、逃げ場を失った俺は素直に認めた。照れた上でのことだとしても、彼女への気持ちを否定したくはなかったから。
 はにかんで複雑な顔をする俺を見て、伊地知さんがニヤリとした笑みを浮かべる。

「香椎さんは思いやりがあっていい子だよね。朝陽くんがイケメンだってだけで近寄ってくるほかの女の子とは違うじゃない? 香椎さんのそういう部分に惹かれたんでしょう?」
「はい」

 俺がなにも言わなくても全部お見通しだった。伊地知さんは普段から人をよく見ているし、きちんと他人の気持ちに寄り添えるところがすごい。

「大丈夫。私は朝陽くんを推しておいたわよ」
「ありがとうございます、先輩」
「その呼び方、懐かしい」

 伊地知さんは俺にとっては何年経っても“先輩”で、色恋抜きで人間関係を築こうとしてくれる数少ない異性だ。頼りになる姉のような存在でもあり、それは出会ったころから変わらない。

「先輩は昔から世話焼きですけど、自分のことはどうなんですか?」
「私?」
「俺がアイツをけしかけておきますから、イエスかノーか、そろそろ答えを用意しておいてくださいね」

 俺はあえて固有名詞は出さなかったが、誰のことを言ったのか伊地知さんはわかったはずだ。
 その証拠に聞き返したり、とぼけたりはせず、視線を泳がせながら考え込んでいた。

 数日後、本店でトラブルが起きた。
 ゴルフウェアの展示の動線は俺も気になっていたため様子を見に行ったところ、マネキンが倒れて近くにいた女性客を驚かせてしまった場面に偶然居合わせた。
 おそらく展示台の上に設置したマネキンのバランスが崩れて落ちたのだろう。

「最近アミュゾンが人気だって聞いたから来てみたのに、なんて店なのよ!」

 マネキンは女性客の身体には当たらなかった。それは俺が自分の目で見ていたからたしかだ。
 もちろん驚かせたのは申し訳なく思うが、怪我はしていないはずなのに、その女性客は対応した店長に罵声を浴びせていた。

「こちらの不手際でお客様を驚かせてご不快な思いをさせてしまいました。心よりお詫びいたします」

 なんとか穏便に収めるために俺が丁寧に頭を下げると、急に女性客が態度を軟化させた。とりあえずは事なきを得そうだ。
 しかし、この女性を以前にどこかで見かけた気がするのだが、それがいつだったか思い出せない。
 そんなふうに考え込んでいると、少し離れた場所にいた香椎さんが「百合菜」とその女性の名前を口にした。どうやら知り合いのようだ。

「冴実が私に謝るなんて、さぞかし屈辱だろうね」

 謝罪をする香椎さんに対し、勝ち誇ったように言い放った女性客の言葉が引っかかった。いったいどういう意味なのだろう?
 ふたりにはなにか因縁があるらしい。その証拠に、香椎さんは怯えるように小さく震えている。

「神谷さんは独身ですか?」

 女性客が突然そう聞いてきたけれど、この質問を受けるのは俺は慣れている。
 名刺が欲しいというので仕方なく渡したら、香椎さんがひどく心配そうな顔をしていた。
 この女性があとでなにかしら連絡してくるつもりなのはこの時点で予想がつくけれど、そのときは秘書が対応するから気に止めなくていい。

 ふたりは大学が同じで友達なのだと女性は主張したが、香椎さんはそれにひどく驚いていた。本当に友達なのだとしたらその反応はおかしい。
 女性が帰り際に小さなメモを渡してきたけれど、これもよくあることだ。友利ともり百合菜という名前が書かれてあるのが見えた。おそらくほかには携帯番号やメッセージアプリのIDが添えてあるのだろう。
 相手が来店客というのもあり、カドが立たないように一応受け取るものの、俺から連絡する気は一切ない。

 以前に俺がどこでこの女性を見かけたのか、あとになってようやく思い出した。
 あれは数ヶ月前のことだ。俺が接待で訪れたフレンチレストランにほかの来店客としてこの女性も来ていた。
 どうして覚えているのかと言えば、十歳以上年上だと思われる男性と食事をしていたのだが、なにか気に障ることがあったのか目の前の男をひどくなじっていたからだ。友利さんは元々声が高いのもあり、大きな声を出せば余計にキンキンと耳に響く。
 なにごとかとレストランのスタッフが声をかけると、八つ当たりするようにスタッフにも暴言を吐いていて見るにえなかった。
 そうだ、あのときの気の強い女性だ と記憶がよみがえってきた。

 この日、外出先で仕事を済ませた俺は遅い時間になったが会社へ戻ることにした。
 香椎さんはきっとまだ残業をしているだろう。責任感の強い彼女がケロリとしているはずがない。
 コーヒーの差し入れを持って店舗運営部に赴くと、ひとりでパソコン画面を見つめてむずかしい顔をする彼女がいた。

「きちんと始末書を提出して自分への戒めにします」

 がんばる女性は好きだ。だけど彼女は常に一生懸命で気を張りすぎていると思う。
 それとも今回のことはあの女性客が絡んでいるのが理由で、今も泣きそうな顔になっているのだろうか。

「あのお客様と君は友達?」
「違います」

 彼女は迷いなく即座に否定をした。どういうつもりか知らないが、やはりあの女性がウソをついたのだ。

「そんな顔をされたら抱きしめたくなるけど、会社の中じゃ無理だな」

 涙目になっている彼女を目の前にしても、そう言葉をかけるので精一杯だった。
 本当はギュッと抱きしめたかったけれど、彼女の気持ちが俺に向いていないなら単なるひとりよがりになる。
 
 翌週の週末、朔也からサーフィンに誘われたものの、俺はキャンプに行きたいと言って断った。
 朔也は潮の香りが好きでたまらないみたいだが、俺は山の綺麗な空気を吸って優雅にのんびりしたい。

 一目惚れで昨年購入したキャンピングカーに乗り込んでエンジンをかける。
 この車を買ってからは、かなり遊びでの行動範囲が広がった。あてもなく遠くまでふらりと出かけても、疲れたら車を停めて後ろのソファーで足を伸ばして横になれるのがいい。
 時間に縛られず、自社で販売している気に入ったキャンプ用品に囲まれて休日を過ごすなんて最高だ。

 ゆっくりと車を走らせていると、川沿いの堤防にあるベンチに座る女性の姿がふと視界に入った。
 その人物が香椎さんによく似ていた気がして、俺はわざわざ近くにあるコインパーキングに車を停めてそこへ向かった。

 ここは祖父が通っている碁会所からもそう遠くないので、彼女がベンチに座っている可能性も大いにある。
 たしかめに行ったところ、やはり見間違いではなかった。魂が抜けたようにぼうっと一点を見つめる香椎さんの姿がそこにあった。

 声をかけると彼女は俺の顔を見て驚いていたが、リフレッシュしたくてここに来たのだと言う。
 なんだか元気がない。笑みをたたえてはいるものの、どこかその表情が曇っている。おそらくマネキンの始末書の件をまだ引きずっているのだろう。

「今から俺と出かけない?」

 気が付けば俺は自然と彼女を誘っていた。
 このベンチでハクセキレイを見るのもいいけれど、もっと空気が綺麗でリフレッシュできるところに行こう。
 今日は社長と社員という立場を忘れ、ひとりの男として彼女に接したい。

 彼女は俺のキャンピングカーを目にするなり、物珍しそうな視線を注いでいた。
 その姿がまたこの上なくかわいくて、それだけでもこの車を買ってよかったと思える。

 話しながら目的地に向けて高速道路を進んでいると、助手席に座る彼女がこちらをじっと凝視している気配を感じた。
 男として俺を意識しているのかもしれない……そう考えたら当然心が躍った。

「私、自然を満喫するのが大好きなんです」
「俺も」

 ミルで豆を挽いて香りのいいコーヒーを振る舞うと、彼女は屈託のない明るい笑みを見せた。
 堤防のベンチに座っていたときと明らかに表情が違う。少しは元気になってくれたようだ。

 彼女と好きなことを共有できて心からうれしく思う自分がいる。だから今日はただ出かけたというのではなく、俺の中ではふたりの“初デート”だ。
 今日は俺ひとりで出かけるつもりだったから準備が整っていないけれど、釣りやバーベキューだけでなく、彼女が望むならグランピングでもサーフィンでもどこにだって連れていきたい。

「じいさんたちが画策したせいで見合いさせられたような感じだったけど、俺は君と会社以外で繋がれてよかったと思ってる」

 祖父が最初から彼女のことをいい子だ、やさしい子だ、と絶賛していたのが今ならよくわかる。ウソや打算がなく、心根が綺麗な女性だ。
 俺の気持ちはどんどん加速する一方なのに、未だに彼女は俺と目が合うとすぐに逸らしてしまう。
 そろそろちゃんと俺を見てほしい。その思いがあふれ出て、彼女の左腕に触れて顔を上げさせた。

「目を逸らすな」

 うるうるとした大きな瞳に吸い込まれるように、顔を近づけて彼女の唇を奪う。
 顔を真っ赤にしながら固まる彼女がかわいくて、愛しさで胸がいっぱいになった。こんな気持ちになったのは生まれて初めてだ。

 週が明けた月曜日、友利百合菜という女性から正午ごろに電話があったと秘書から報告を受けた。
 誰だったかと悩まなくても、香椎さんと友達だと偽ったあの女性だとすぐにわかる。
 俺の名刺にはスマホの番号が書かれていないため会社に電話をしてきたようだ。実は今までにも何度か連絡があったみたいだが、秘書が俺に繋ぐことなくうまく対応してくれている。
 用件を聞いても言わずに電話を切るらしいし、おそらく俺個人に興味があって接触したいだけだと思うから、こちらは関わらないようにするだけだ。
 秘書には、もしも向こうが香椎さんの名前を出したとしても取り合うなと伝えてある。

「土曜日、いい波だったぞ。朝陽も来ればよかったのに」

 社長室にやってきた朔也が仕事の話を終えた途端に雑談を始めた。
 サーフィン好きな朔也は身体は筋肉質だけれど、白い歯を覗かせてニカッと笑う顔は出会ったころから変わらず人懐っこい。
 こいつの朗らかな性格に今までどれだけ助けられてきたかわからないくらいだ。

「俺は上流の川辺に行ってのんびりしてたから」
「ひとりで? ああ、おじいさんと?」
「違う」

 小さく首を振りつつ視線を逸らせた俺の態度が不自然だったのか、朔也が少し間を空けて「え?」とわざとらしく聞き返した。

「偶然……そう、偶然に堤防にいるのを見かけたんだ」
「その相手って、香椎さん?」
「落ち込んでる顔をしたままだったから、元気付けたくて……」

 なぜか懸命に弁明をしないといけない気になっていたが、よく考えたらその必要はない。
 悪いことはしていないのだから堂々と認めればいいのだ。それに、朔也に対して隠しごとはしたくない。

「朝陽があのキャンピングカーでデートするとはな。初めてじゃないか?」
「ああ」
「いやぁ、朝陽にもそういう男らしい部分というか恋愛感情がちゃんとあって、俺ちょっと安心したわ」

 当然俺にだって人並みに恋愛感情はある。
 冗談めかして嫌味を言う朔也に、俺たちは親友じゃないのかと抗議の意味を込めて冷たい視線を送る。

「茶化すなよ」
「悪い。俺はお前が遊びで女と付き合わないのは知ってる。イケメンだからめちゃくちゃモテるくせに。でも顔が好みなだけで近寄ってこられても、神谷朝陽という人間を本気で好きになってくれなきゃ嫌なんだろ?」
「そうだ。遊びで付き合ってなにが楽しい? 俺はなにも満たされない」

 眉をひそめて持論を展開する俺の意見を聞き、同感だとばかりに朔也がニヤニヤしたままうなずいた。
 もっと言えば、俺も相手に対して本気になれなければ付き合う意味はない。

「香椎さんも朝陽のことはイケメンだと思ってるだろう。けど、お前を心から尊敬してるらしいからな。伊地知さんがそう言ってた」

 尊敬してくれるのはうれしいが、彼女に限ってはそれだけで終わってほしくない。
 俺は互いに心から愛し合う仲になりたい。そう思える相手は後にも先にも香椎冴実……ただひとりだと思う。

「お前はさ、最初からビビッと来てたんだよ」
「……え?」
「最終面接で香椎さんだけ即採用を決めただろ? 無自覚だったかもだけど、朝陽はあのとき香椎さんに惹かれたんだよ」

 まるで俺が一目惚れをしたかのような言い方だ。だけど「それはない」とは言えなかった。
 よく働いてくれそうだとか真面目そうだという正当な理由のほかに、無意識に惹かれた部分があったのかもしれない。例えば、女性として魅力的だ、とか。

「で、おじいさん同士も友達だったわけだし……こういうのってさ、なんて言うか知ってる?」

 俺が無言のまま表情だけで話の続きを促すと、朔也はこちらを見ながら茶目っ気たっぷりに右手の人差し指を立てた。

「運命の出会い」

 朔也の性格は知り尽くしていると思い込んでいたけれど、こんなにもロマンチストな部分を持ち合わせているのだと改めてわかり少々驚いた。
 自慢げに言い切る朔也に、恥ずかしげもなくという意味を込めてクスクス笑ったものの、その通りだなと内心では腑に落ちていた。

「朔也、お前はどうなの?」
「なにが?」
「決着つけなくていいのか?」

 今まで機嫌よく笑みをたたえていた朔也が、俺が問いかけた途端に顔を引きつらせて黙り込んだ。恋愛話になると朔也はいつもこうだ。

「このままでいいんだよ。俺は脈なしだからな。期待するのはとっくに辞めた」
「前から思ってたけど、さすがに消極的すぎないか?」

 第三者の俺から見ると、ただ単に告白のきっかけを失っているだけのような気がする。出会ってから現在までの年月が長いせいだ。
 今まではっきりと聞いてはこなかったけれど、俺はずいぶん昔から朔也の心の内側にある恋心に気付いていた。

 なぜか朔也は大学を卒業したあとに別の女性と交際を始めたことがあったが、長くは続かなかった。忘れらない女性が心の中にいるのだから当然の結末だ。
 モテるくせに実は一途で、ずっとひとりの女性だけに愛情を注いでいる。両思いになれる相手と付き合えばいいのに、ほかの人ではダメなのだろう。

 本気で好きなのだなと確信をしたのは五年前だった。失恋をしてボロボロになっていた伊地知さんを、朔也は必死に支えようとしていた。
 それは後輩としてではなく、ひとりの男として伊地知さんを心から愛しているのだと主張しているように見て取れた。
 だけど五年の月日が経った現在も、ふたりの関係は一向に進展していない。朔也は“脈なし”だと言ったが、そんなわけはないのに。

「伊地知さんはさ、俺なんか好きじゃない。だってお前のことは朝陽くんって呼ぶのに、俺はいつまで経っても“五十嵐くん”だぞ? 下の名前すら呼んでもらえないんだ」
「……は?」

 何年もずっとそのことを気にしていたのかと思うと、仰天して変な声が出た。
 コミュニケーション能力が高い朔也なら、下の名前で呼んでほしいとすぐに本人に言いそうなものだけれど、相手が意中の伊地知さんだとそうもいかなかったのだろうか。

「それ、もしかしたら朔也が思ってるのと逆の意味かもしれないぞ」
「逆って?」
「俺は伊地知さんがお前と距離を取ろうとしてるとは思えない。名字で呼ぶ理由は、下の名前で呼ぶと照れるからじゃないか?」

 伊地知さんは俺に対しては恋愛感情が一切ないから、ナチュラルに下の名前で呼べるのだろう。
 逆に朔也のことは異性として意識しているからうまく呼べないだけだと思う。伊地知さんの性格を考えたらそうに決まっている。
 
「いい加減、自分の気持ちを伝えろよ。伊地知さんにも、答えを用意しておいてほしいって言っておいたから」
「マジで?!」

 それはやりすぎだとばかりに朔也が目を見開いて驚いている。
 伊地知さんだって長年俺たちと一緒にいるのだから、朔也の気持ちに気付かないわけがない。
 朔也が三歳の年の差を埋めようとして、先輩の伊地知さんに対して徐々に敬語を使わずに話すようになったことも。
 もしかしたら伊地知さんは、朔也がはっきりと告白してくるのを待っているのかもしれない。だとしたら、わかりにくいアプローチでは絶対にダメだ。

「もし答えがノーだったら……伊地知さんはこの会社を辞めるかな?」

 うつむいて頭を抱える朔也に、俺は首を横に振った。

「それはない。あの伊地知さんだぞ?」

 もし告白を断ったとしてもふたりの仲が険悪になることはないだろう。だいたい、俺は朔也がフラれるとは思っていない。

「とにかく全力で行けよ。どうせ告白するなら指輪を用意してプロポーズしてみるのはどうだ?」
「アホか。無理に決まってるだろ。キスもしてない相手にプロポーズするなんて愚行でしかない」

 俺の言葉に即座に突っ込む朔也がおかしくて、ついアハハと声に出して笑ってしまった。
 だけど本人にとっては笑いごとではないようで、どうしたものかと顔をしかめて考え込んでいる。
 俺としては心を許せる親友と先輩が付き合って、幸せになってほしい……ただそれだけだ。

「俺が言うのもなんだけど、朝陽だってちゃんとアプローチしなきゃ後悔する羽目になるぞ」
「わかってるよ」

 氷室も香椎さんに気があるらしいと伊地知さんから聞いているし、美しい川のほとりでキスを交わしたとはいえ、悠長に構えてはいられない。

 彼女を逃すわけにはいない。この世でたったひとりの、運命の相手なのだから――――

<第7話 https://note.com/wakaba_natsume/n/n4573fa8251bc

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