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歌集『生殖の海』 2023年版



及ばぬ高き姿を願ひて

ことばゝふるきをしたひ、こゝろはあたらしきをもとめ、およばぬたかきすがたをねがひて……

藤原定家『近代秀歌』

この世における現実が良かれ悪しかれそれに振り回されることなく、次元を超えたどこかに確かに存在するものごとのイデア・・・にアクセスし、
私情を徹底的に排し、“詠みたいもの”ではなく“詠むべきもの”を“詠むべき形”で歌にする。

現実がどんなに理不尽でも、生活上の不都合や不具合がどんなに大きくとも、崇高なる我が創作物にそんなものは影響させない。

――私の人生を変えた新古今時代の歌人たちの、言語芸術としての和歌が、どのような精神で生み出されどのような矜持に支えられていたか。
出合ったばかりの無知な26歳の私には皆目見当が付きませんでしたが、
あとから振り返り言語化するならば、その精神と矜持をそのように捉えたからこそ私は新古今和歌に魅せられたのだ、と思います。


芸術とは自己表現である。誰にも理解されない思いをせめてぶつける手段である。

……もともとそんな幼稚な、世界に対しても芸術に対しても甘えた態度で生きていた私は、
鎌倉時代初期というままならぬ現実に揉まれながら、少なくとも和歌に向き合うかぎりはどこまでも誇り高くあろうとした新古今歌人たちの作品に頭を殴られ、
創作姿勢も生きる姿勢も根本から改めることになりました。


学びの過程で、新古今時代のさらに約100年後、京極派の歌人たちの選択した厳しい道を私は知ることとなります。

花にても月にても、夜のあけ日のくるゝけしきにてもう。事(本ノマヽ)にむきてはその事になりかへり、そのまことをあらはし、其ありさまをおもひとめ、それにむきてわがこゝろのはたらくやうをも、心にふかくあづけて、心にことばをまする(本ノマヽ)に、 ツテ興おもしろき事、色をのみそふるは、こゝろをやるばかりなるは、人のいろひあながちにくむべきにもあらぬ事也。
こと葉にて心をよまむとすると、心のまゝに詞のにほひゆくとは、かはれる所あるにこそ。

京極為兼『為兼卿和歌抄』

前例や正解のない、自分たちの力しか恃むもののない歌論。
理屈を超えて経験した試行錯誤。
大変な政変や激動の時代を経た、2つの勅撰和歌集におけるその結実。
その人生の壮絶さと美しさ。

新古今の超現実の美に惹かれる気持ちは変わりませんが、
学び行く過程で私の心はおのずと、この厳しくも美しい歌風と生き方を選択した京極派のほうにより魅せられるようになりました。
言葉では同じ“超現実”であっても、新古今の、現実を脇に置いた超現実の美ではなく、
現実を直視した奥にある、現実を超えた美、とでも呼ぶべきものを私は京極派に見たのだと思います。


歌集出版ののち

同世代の歌友の余命宣告と早すぎる死をきっかけに、2020年、歌集『生殖の海』を私家版という形で出版。


当時はまだ京極派より新古今に触れる時間のほうが長かったでしょうか。
新古今の精神を現代に、と当時なりに精いっぱい取り組んだものですが、
もとが

「芸術とは自己表現である。誰にも理解されない思いをせめてぶつける手段である」

のような捉え方をしていた中二病のメンヘラです。

和歌で喩えるならば、武士階級の台頭を見る前の時代の歌人たちの精神性――
「世界は我がために存在すべきである」という不遜さを前提とし、まったく正当性に欠ける主張や同情しようのない身勝手な恨みつらみを和歌に託し、被害者ぶって生きる、
そうした精神性と何ら変わりありませんでした。

そうした精神のありようから詠歌上も人生上も完全に脱するには、それなりの時間と労力が掛かります。
もちろん、それが完全にできていると現在もとうてい言えるものではありませんが、2020年段階では言うまでもないことでした。


2020年版『生殖の海』においては、新古今の厳しさのほうはいくらか体得、体現できていたものの、
京極派の真の厳しさと優しさについては、技術的にも精神的にも「まったく、お話にならない」アウトプットでした。

小手先の技術を磨くだけではどうにもならない、詠み手が真に心を鍛え精神を鍛えることでしか体現しようのない、京極派和歌。
この厳しい歌論を選択した、鎌倉時代初期よりさらに厳しい、筆舌に尽くしがたい激動の時代を生きた京極派の、特に後期の歌人たちの生き方を学ぶなか、
私は現実世界においても少しずつ、少しずつ、心を磨き、それに連動しておのずと歌や連作、歌集の完成度も高くなるだろうことを信じるようになりました。


心のまゝにことばのにほひゆく

和歌の技術を磨くことはもちろん、それ以上に、心を鍛えその曇りを削ぎ落すことは一生の営み。
「現在のお前はどれほどのものか。その心のありようの反映された歌集はどれほどのものか」
と問いますと、きっと来年、再来年の私の目には至らなさが見えていることでしょう。

が、その時点でできることをやり切ることでしか、その先の成長はありません。技術的にも、人として心を磨くうえでも。
その時その時の“精いっぱい”を込めて、その後も『生殖の海』を2021年版、22年版、とアップデートし続けています。

少なくとも2020年版からはかなり変化していますし、20年版よりうんと理想形、“及ばぬ高き姿“に近い2023年版です。
無料や有料の2020年版をお読みになり「梶間和歌とはこの程度のものか」と思われた方にも、ぜひそれ以降の版、そして23年版をご覧いただきたい。

2023年の私の“心のまゝに詞のにほひゆ”くに任せた結果はこのとおり。
これ以上のアップデートは、この先、その都度お楽しみいただけましたら、大変幸いです。
末永くお見守りください。


※有料記事のスクショはご遠慮ください※
※有料で本を出版した場合を基準に考えれば、一部の作品の紹介や引用はむしろ歓迎すべきか思います。有料部分の全作品の引用などは、良識の範囲でお考えのうえ、ご遠慮いただけたらと※


梶間和歌歌集『生殖の海』 2023年版

序章 にほふマルボロ
第一章 いまも言ふ
第二章 母として行く道
第三章 風のライヲングラス
第四章 明けぬ夜の闇
第五章 目を開けて
第六章 及ばぬ高きすがた
第七章 いのちひとつぶん
第八章 水底みなそこの死
第九章 母となること
第十章 浪のいくへ
終章 ひかりを添へて

出典

2023年版にはあとがきを用意しておりません。
2020年版のあとがきを無料公開しておりますので、そちらをご覧ください。


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梶間和歌ってどんな人?


和歌仕事に集中するため、アルバイトを週2出勤に減らしました。
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