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歌集『生殖の海』 2022年版 リリースのご案内

この記事は2023年9月2日にLINE公式アカウントのほうでお送りしたメッセージに加筆したものです。
2020年に上梓した『生殖の海』の推敲を続けるにあたり、どのような姿勢、思想で取り組んでいるのか、おもいが少しでも共有できましたら幸いです。



歌集『生殖の海』 2022年版 リリースのご案内

こんばんは。梶間和歌です。

歌集『生殖の海』2021年版のご案内を数日前にLINEで送りましたが、文字数制限もあり、伝えきれない部分もありまして。
あれに加筆した文章をnoteに公開いたしました。

与謝野晶子が『みだれ髪』を何度も改訂したことを引き合いに出すなどしています。
先日のLINEの文章と重なりはしますが、覗いてみてくださいね。


さて、『生殖の海』は2020年バージョンを上梓したのち、23年まで3回改訂し、現在note上で4種類が読める状態になっております。
【2020年版】【2021年版】【2022年版】【2023年版】


梶間のめざす理想形は変わっておらず、各バージョンで異なるのは

・その時点でその理想形、『生殖の海』のあるべき形がどの程度正確につかめているか
・その時点でその理想形、『生殖の海』のあるべき形を現実の作品に反映させるための技術がどの程度磨かれているか

だけ。

要するに“作者がどの程度成長したか”が各年のバージョンに反映されており、
私が自己研鑽や和歌の学びを怠った場合はともかく、そうでないかぎり、年月を重ねるごとに理想形に近づいてゆく、
ということになります。これまでも、こののちも。


これは私見ですが、和歌にかぎらず何かしらの芸術作品を創作するにあたり、重要な要素と比率を考えると

精神8割
技術2割

ぐらいではないでしょうか。

何はなくとも技術ではないか、と思われるかもしれませんが、私は精神のほうを8割前後と考えます。
芸術でもスポーツでも仕事でも何事においても、精神の甘えやたゆみはそのアウトプットに滲み出るものですが、特に私の敬愛する京極派を考えるとわかりやすい。


京極派の重視するのは「心のまゝに詞のにほひゆく」こと。

聞こえはよいですね。心のままに、ありのままに。
しかし、実際これは果てしない厳しさを伴った「心の絶対尊重」「言葉の完全自由化」宣言なのです。


というのも、弛緩した心のままに詠んだ結果、弛緩した、独りよがりな歌になってしまっては、とてもとてもよろしくない。
心を絶対的に尊重しながらも優れた歌を詠むためには、その種となる心から“自己都合”を取り払い、曇りのない目と心で直視した現実や我が心を詠む必要がある。

それができないならば、京極派が当時闘った主流派の二条派のような

「あなたが何か考えたり新しいことを産み出したりしなくていいんですよ。凡人はただ先生に言われたとおりやればいいんです(意訳)」

という姿勢のもと、大きな欠点のない代わりに人の心を打つ要素も少ない歌を詠むほうが、まだマシなくらい。

しかし、そもそも主流派のそうした姿勢に満足できない、豊かな文学素養を持っていた稀有なメンバーだからこそ、
主流派にアンチテーゼを唱え、当初理念はあっても具体例、正解像の見えなかった「心を尊重して歌を詠む」という道を歩み始めたわけで……。

その彼らも、政治的に有利な状況になって心が弛緩したり、大きな悲しみに打ちひしがれて心を研鑽しようとする姿勢が鈍ったりした時、
その「心のまゝに」歌を詠み、なかなか目の当てられない独りよがりな実作を残してしまったりしています。

それでも、彼らは主流派である二条派の唱える道に戻らなかった。
あくまで、尊重しても歌がダメにならない心、尊重して歌を詠むにえ得る心を磨く、
自己都合を取り払いまっすぐな目で我が心を見、その心を通して世界を見る、
という生き方そして歌の詠み方を続けました。

(ちょうど吉田裕子さんのVoicyにて9月1日公開の、裕子さんと私との対談で、京極派のそのあたりの話をさせていただきました)


そういう重荷を背負った「心の絶対尊重」なのです、京極派の理念とは。

自己顕示欲の発散を目的としているとしか思えない歌をありのまま、心のままにと詠み散らかす現代短歌とは大違いですね。
おっと、失礼……。
※何事にも例外はありますよ。しかし、例外は例外です。


さて、精神の話に熱が入り過ぎてしまいましたが、技術のことも軽視するわけにはいきません。

少し考えればわかることですが、どんなに心を研ぎ澄まそうとも、例えばその人の母語がフランス語であったならば、日本語で和歌を詠むことはかなり難しい。
絶対にできないとは言いませんが、大きなハードルがあることは想像に難くないでしょう。
その人にふさわしいジャンルは和歌でなく、フランス語による詩や文筆業かもしれません。言語に依存しない絵画や彫刻なのかもしれません。

そして、母語が日本語であったとしても、その日本語が正確に使える日本人などわずかです。
また、和歌や短詩形文学に取り組むうえで、押さえておくべき知識や技術というものもあります。

そうした技術面の重要度を、2割前後かなと私は捉えます。
重要でないとはゆめ思いませんが、8割は作者の精神の成熟度に大きく依存するのが芸術作品の完成度でしょう。


要するに、技術はもちろん大切ですがそれ以上に作者の精神のありようの如実に反映されるのが芸術作品というもので、

「こんなかわいそうな私を理解してほしい!! (キラキラドヤァ)」

という作者の自我の声を黙らせよ、
いや、そのような欲求がそもそも湧き上がらないよう精神を磨け、

ということです。
自我の声ほど作品推敲時の判断を誤らせるものはありません。

2020年段階の推敲でもそこは強く意識していましたが、年月を経ると
「あれで自我の声を黙らせたつもりだったのか」
と愕然とするのがお約束です。それだけ成長したということですが。


……良い機会でしたので、梶間の思想や姿勢の一端を改めて紹介させていただきました。

そのようなつもりで磨いてきた『生殖の海』の2022年版、こちらからお楽しみください。


23年版もすでにnote上に公開してありますが、こちらでも日を改めてご紹介しますね。


梶間和歌歌集『生殖の海』 2022年版

『生殖の海』2022年版

序章 にほふマルボロ
第一章 いまも言ふ
第二章 母として行く道
第三章 風のライヲングラス
第四章 明けぬ夜の闇
第五章 目を開けて
第六章 及ばぬ高きすがた
第七章 いのちひとつぶん
第八章 水底みなそこの死
第九章 母となること
第十章 我が暴れ川
終章 ひかりを添へて

出典

2022年版にはあとがきを用意しておりません。
2020年版のあとがきを無料公開しておりますので、そちらをご覧ください。


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PS.

梶間和歌ってどんな人?


和歌仕事に集中するため、アルバイトを週2出勤に減らしました。
月だいたい4万円の収入になります。

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2020年の私家版歌集『生殖の海』の2022年アップデート版です。 2020年版は無料公開・有料販売しておりますが、その後大幅な変更を施し…

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