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当たり前の事なんてないんだよ

・何かあった時に帰れる家、守ってくれる家族がいる
・健康でいられる
・五体満足であること
・金持ちでは無いけれど、ご飯が食べられて、寝る場所(住む場所)を確保できるだけのお金がある   
・仕事ができる

その他にも色々あるけど、これらを「当たり前」だと思っている人のなんと多いことか。そして、この「当たり前」を基準に話をするから「当たり前」に該当しない人を無邪気に傷つける。

生活苦でどうにもならず、行政に頼ろうとしている人に「皆苦しいのに頑張ってるんだ」「家族に頼れ」「働けよ」「他人に貰った金で食べても美味しくないだろ」「なまけもの」と罵詈雑言。会ったことも無い人の事を自分の解釈、想像だけで、支援を受けようとしている人がどんな状況かも知らずに無邪気に盛り上がり、人を傷つけている。これはTwitterでの話だ。

先日「#おせちも買えないから一律給付金出せ」というタグのツイデモがあった。もちろん「おせちを買いたい」から開催されたのではない。
「おせちも買えない」という表現を使って、「生活苦で年も越せない。助けてくれ」と言ってると私は理解したけれど、このタグを理不尽だという人がいた。家で作れば買うより安いと言っていた。それを買うお金もないほどの貧困には考えが及ばないんだろう。

「おせちが買えないなら餅を買え」と言う人も。これじゃまるで「パンがないならケーキを食べればいいじゃない」と言ったとされるマリーアントワネットと同じだ。
「国の金を当てにするな」「私達が納めた税金なのに」「国を頼らず家族を頼れ」「仕事探せよ」等々酷い。

場所柄ネトウヨと呼ばれる人が多いけれど、これらはそういう人達のリプじゃない。普通に病気の人を心配し、励ましや応援のリプをしている人達。彼らは家族に助けてもらうのが当たり前、助けてもらえないのなら仕事して稼ぐのが当たり前と思っているのか。そうしたくてもそうできない人がいるということに考えが及ばないのか。

例えば生活保護。これは国にあるセイフティーネットの1つ。これがなかなか申請受理されない。

私の知人の話。彼女は癌を患っている。手術や抗がん剤治療を繰り返ししていて今は働ける状態ではないのだけど、天涯孤独で頼れる家族がいない。仕事もできない。貯金も高額な治療費や生活費で底をつき、最後の手段で生活保護の申請に行った。そこで担当者に言われた言葉が

「家にいても、横になっていても出来る仕事だってありますよね。」

申請は受理してもらえなかった。
(今回一人で申請にいったけれど、彼女は1月に支援してくださる方と一緒に再度申請に行く予定です。)

既存の救済措置なのに何故受理してもらえないのか。すきでこの状態になったわけではないのに。

「働かざる者食うべからず」が当たり前なのか?

国レベルから個人レベルまで同じような反応にゾッとする。
自分にとって当たり前のことが出来ない人は怠け者なのか?

何故他人に対してそこまで思いやりの無い態度がとれるのか不思議でしょうがない。

当たり前なんてありはしない。
自分を基準に考えて「当たり前の事が出来ない怠け者」じゃなくて、どんな事情でそういう状況になったのか想像してみて欲しい。

あなたにとって当たり前のことでも、私にとっては当たり前の事じゃない。


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