見出し画像

婚外セックスが違法なモロッコで、妊娠した未婚女性が選ぶ道とは? 映画『モロッコ、彼女たちの朝』

7/31~8/20 Twitterプレゼントキャンペーン

8月13日公開『モロッコ、彼女たちの朝』はモロッコ人女性監督として、初めてアカデミー賞モロッコ代表(2020年度)に選ばれた映画であり、日本で劇場公開される初めてのモロッコ映画である。また同年のカンヌ国際映画祭・クィア・パルムにもノミネートされ、世界中の数々の映画賞を受賞した非常に美しい作品だ。

本作の監督・脚本を務めたのは、モロッコ・タンジェ出身のマリヤム・トゥザニ。今年41歳になる彼女は女優でもあり、ロンドンの大学ではジャーナリズムを勉強したという。モロッコの女性だけでなく、世界中の女性が抱えるリプロダクティブヘルス・ライツ問題を、静謐な美しい絵画のような映画に仕上げたこの作品が、長編デビュー作というから驚きだ。

(c)Lorenzo Salemi.jpg

実はFRaU Webからドゥザニ監督に取材したのだが、非常に聡明で優しい女性であった。話すときには私の名前もいちいち呼んでくれて、パーソナルな取材になった。(外国人のインタビュアーの名前を覚えるのは難しいと思う)

取材記事は後日配信するとして、本記事では見どころを簡単に紹介したい。

■『モロッコ、彼女たちの朝』あらすじ




モロッコ最大の都・カサブランカの旧市街。美容師のサミア(ニスリン・エラディ)は臨月だが、モロッコでは婚外セックスや中絶が違法なことから、サミアは実家から離れて仕事と住む家を探し、家族には内緒でひとりで子どもを産もうとしていた。

そんな彼女をたまたま通りで見かけた小さなパン屋を営むアブラ(ルブナ・アザバル)は彼女に寝るところを与えてやった。未亡人のアブラは娘のワルダ(ドゥア・ベルハウダ)を一人で気丈に育てていたのだ。若くてオシャレなサミアとワルダはすぐに仲良くなり、急死した夫の死に向き合えず、自分の娘にも心を閉ざしていたアブラとサミアは衝突するが、サミアが作る伝統菓子ルジザがアブラの店で大好評を得たことをきっかけに、アブラは次第に心を開いていく。そして、サミアの陣痛が始まった……。

■フェルメールやカラヴァッジョの絵画のような映像美




映画のセットはほとんどがアブラの家の中。ドゥザニ監督は家に差し込む光を使い、アブラ、サミアとワルダの心の交流をカメラで映し出す。彼女たちの心がコネクトし始めたときから、家のなかに差す光が強くあたたかいものへとさりげなく変化していくのだ。その描写は実に見事で、特に、やわらかな日差しの下でパンをこねるシーンは、フェルメールの絵画を彷彿とさせる。監督曰く、フェルメール以外にも、カラヴァッジョやジョルジュ・ド・ラ・トゥールに影響されたという。ほの暗いリビングのなかで人物がランプの光で浮かび上がるシーンは、カラヴァッジョの“明暗の美”を想起させる。(※参考ープレス資料)

■パンをこねるシーンのメタファー




サミアがパンをこねる様は美しく、官能的だ。(個人的にはナディーン・ラバキー監督作『キャラメル』(2007)を思い出した)

パン屋のアブラも毎日パンをこねるが、その様子にも変化が起こっていく。最初は、夫を亡くした悲しみで、自分の心を封印していたアブラは機械的にパンをこねていたのだが、サミアとの交流で自分自身を解放するようになってからは、パンをこねる動作にエモーションがにじみ出てくるのだ。

アブラやサミアにとって、自分の手で丁寧にパンをこねることは、失くしてしまった、あるいは、“封印しなければいけない“と信じていた、自分の心をさぐりあてていることのように思えてならない。パンをこねる行為はセクシュアリティ、母性、アイデンティティのメタファーなのではないだろうかーー。パンをこねるシーンで2人の女性の心の変化を浮き彫りにする、なんとも見事な演出だ。

■婚外セックスや中絶が違法なモロッコ




モロッコは宗教的にリベラルな国であるが、家父長制的価値観が強く、女性の性は抑圧されている。婚外セックスや中絶は違法であり、サミアのように未婚で妊娠した女性は、つい数年前までは病院で出産すると警察に逮捕されていた。だから、サミアは実家とは離れたところでひとりで子どもを産まなければいけなかったのだ。

また、2003年以前には婚外子は出生の登録もできず、2004年の法改正以降のいまでも、出生記録には「婚外子」と分かるような記載されており、差別が非常に激しい。だからサミアのような女性は、産まれたばかりの赤ちゃんをどこかに捨てるか、孤児院へ入れるかするしかないそうだ。そうした赤ちゃんは誰かに引き取ってもらえれば、引き取った両親の法律的な子どもとみなされて差別から免れる。監督によると、こういった婚外セックスや中絶の違法や婚外子への差別は、宗教が原因ではなく、家父長制における“社会的慣習”だという。

■監督の私的な思い出がモチーフとなった物語




サミアには実在のモデルがいる。監督がロンドンの大学生の頃、モロッコに帰郷した際に、見知らぬ若い妊婦が訪ねて来た。彼女はフラッと両親の家のドアを叩き、助けを求めたという。監督の両親は事情を聞いて彼女を匿い、家で出産させてあげた。そして、その女性は出産直後に、赤ちゃんを養子に出した。湧き上がってくる母性と激しく葛藤する女性の姿がどうしても忘れられなかった、と監督は教えてくれた。

この映画はフィクションだが、語られるメッセージは真実だ。日本でも2013年に婚外子の相続差別がやっとなくなったが、まだまだ社会的な差別は残っているし、中絶にも相手の男性の同意が必要だと言われている。アメリカでは保守派が増えて中絶クリニックがどんどん閉鎖されているし、フランスの議会では保守派が中絶を制限するような議論をしている。

女性のカラダの権利は未だに女性自身の手にはない事実や、子供に与えられるべき平等な人権を、この映画から改めて考えてみてほしい。

■7/31~8/20Twitterフォロワーキャンペーン、4名様に抽選でプレスシートをプレゼント



■公開情報




『モロッコ、彼女たちの朝』8月13日(金)、TOHOシネマズシャンテほか全国公開©︎Ali n' Productions –Les Films du Nouveau Monde –Artémis Productions

監督・脚本:マリヤム・トゥザニ(長編初監督)出演:ルブナ・アザバル『灼熱の魂』『テルアビブ・オン・ファイア』ニスリン・エラディ製作・共同脚本:ナビール・アユーシュ『アリ・ザウア』2019年/モロッコ、フランス、ベルギー/アラビア語/101分/1.85ビスタ/カラー/5.1ch/英題:ADAM/日本語字幕:原田りえ提供:ニューセレクト、ロングライド配給:ロングライド
©️Ali n' Productions –Les Films du Nouveau Monde –ArtémisProductions

https://longride.jp/morocco-asa/

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?