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noteの書き方を思い出せないので、メモをまとめてみました。

1月の中旬から3週間ほど、SNSを手放してみました。意識を向けているつもりはなくても、日々いろいろな情報や誰かの言葉を浴び続けていると感じたからです。

身体が汗をかいたら、タオルで拭くなりお風呂に入るなりしてさっぱりできるし、肩が凝ったらストレッチをしてほぐせます。でも脳内のケアって、どうも疎かにしがちです。たまには刺激を減らして、すぽーんとした頭で本当にやりたいと思うことをやってみよう。見たいと思うものを見よう。そんな単純な考えで、Twitterやnoteを閉じました。

感想というほどのものでもないですが、さっぱりして心地よかったです。小さな端末を熱心に覗きながら「あれしなきゃ、これしなきゃ」、「これは読んでおかなくちゃ」と毎日何かに追われているような気持ちでいたのだと思います。

ただ一方で、SNSの使い方がちょっとわからなくなりました。よくツイートしていたときの自分は、なんて陽気(自分比)なのだろう。なんて社交的(自分比)なのだろう。本当に同じアカウントなのか?と思ったほどです。

noteも、書きたいことはぽつぽつ浮かんでくるのに、どうにも書き始められません。「本当に書きたいのかなこれ」と厳しめのチェックが己から飛んでくるのです。「ちょっと厳しいんじゃない」ともう一人の己が肩に手を添えています。パソコンの前にいる私は、一番決定権がない己らしいです。

そこで、SNSから離れた期間に手書きで溜めていたメモを、1枚ずつ書き起こすことにしました。これなら何も考えずに書けるし、終わりが決まっています。何も考えないことがはたしていいのかどうかは別として、noteをまた書くという点においては有効です。

それでは、私のただのメモを見たい方はお付き合いください。

1月18日(火)

たくさんの人に出会う必要はないけれど、たくさんの出会いに気づける人でありたい。

最近当たり前に会話している人、実は一人の友人による紹介がなかったら知り合ってすらいなかった。そんなことに気づいた瞬間に書き留めたものです。誰かが連れてくる出会いというものは、そのはじまりを忘れがちな気がします。時間が経ってからでもいいから、「あれは1つの出会いだった」となるべく気づける人間でいたいんですよね。

1月19日(火)

悦びがあるとき、同時に「かなしみ」があるように思う。むしろ「かなしみ」を悦びで覆い隠しているのではないかとすら思う。

これは具体的な場面をあんまり覚えてないなあ。ただ「悦び」と書いていることから思い出したのは、部活で全国1位になったとか、仕事で大きく貢献したとか、そういった華やかな場面をイメージしたのではないということ。

「自ら」に対する考えの変化

おお、まったくわからない。どのように変化したのでしょう。忘れないようにちょっとでもメモしておかなくちゃ!と思ったのでしょうが、その日のうちに補足しておかないと結局忘れるよ…と1月19日の私に教えてあげたい。

違うところで何度も名前を聞いたり勧められる人は「親友」になる可能性が高いから、近づいてみるといいかも。

言いたいことはわかります。「この人知ってる?」「知り合いかなと思って」「読んでみたら?」「参加してみたら」など、同じ人や本、会社、ものを勧められることがあるのです。そういうときは、えいやっとアプローチしてみるといいんじゃないという自分へのアドバイスですね。

1月20日(水)

執着について。

まったくわからないその2。わりと重そうな話なんですが、こんな一言で済ませられては紙がかわいそうだ。

がんばった!と思う代わりに「ああ、またがんばってしまった」と思ってはどうか。

何かを読んだあとに書いた気がするんですけどねえ。なんだろう。人生を健やかに、楽しく生きたいと思って書いた記憶はあります。

「ペンションメッツァ」の音楽がShroder-headsだった!あと撮影協力にnaotの記載が!

WOWWOWのドラマ「ペンションメッツァ」を観て嬉しくなったことを書いています。心地よい音楽が流れているな~と思っていたらクレジットに「Shroder-heads」さん。なるほど!と納得すると同時にファンなので嬉しくなりました。愛用している靴のお店、naotさんも衣装協力していると知って2度嬉しい。

寝る前、「野口さんは何してるかな」と思うようになった。

たしか野口聡一宇宙飛行士と矢野顕子さんの対談本、『宇宙に行くことは地球を知ること』を読んだ頃です。夜眠りに就くとき、「ISSにいる野口さんは今頃何をしているんだろう…ミッション遂行中だろうか、それとも休憩で地球を眺めたりしているだろうか…」と想像して、どこか安心感を覚えていました。

1月22日(金)

人と仲良くなる方法よりも、人の善意を傷つけずに断る方法のほうが大事かも。

世の中どちらかというと、「仲良くなるには」のほうに目を向けますよね。もちろんそうできればいいけれど、相手を尊重しつつ、爽やかに自分本位でいられる態度っていうのもとても大切だと感じます。

1月23日(土)

「お腹いっぱいになる声」、星野源だけじゃなく小林聡美もだと思う。

前にバラエティー番組で、俳優の綾野剛さんが言っていました。星野源さんの声は「お腹いっぱいになる声」だと。いや、「満たされる」だったかな。わかる気がするな~と頷いていたのですが、ペンションメッツァを観て頭に電球が点きました。小林聡美さんの声も、似ている気がする。トーンは高くも低くもなくて、なんてことない台詞でもお腹いっぱいになるんです。

1月24日(日)

昨日イメージした「今日」がもう終わろうとしているように、人生が終わる日や両親と死に別れる日も必ずくる。少しずつかもしれないが着実に近づいていくのだと、実感した。

海辺で冷たい風にあたったように、一瞬で理解したことをメモしました。前日に「明日は…」とぼんやり思った今日が、もう終わる。それなら、「10年後には…」と思った10年後は、生きていれば必ずくる。自分や家族の命の火が消える瞬間も。「いつか」というのは予測不能なもののようであって、実はとても正確なものなんだ。そんな衝撃を受けたのを記憶しています。

若松さんの本からはその装幀から、読み手がとても大切にされている印象を受ける。

最近読んだ若松英輔さんの『読書のちから』を思いだしながらメモ。また読みたくなりました。

興味のないこと、やりたくないことはやっぱりやりたくないよな。

あったりまえだのクラッカーなメモ。ちなみにこの言い回しっていつの間にか刷り込まれていたのですが、なぜ「前田」「クラッカー」なのか知りません。調べるのも悔しいので自然に理解する日を待っています。

1月25日(月)

欧米系の人はやっぱり洋服が似合うっていう話。「パン旅」を観て。

女優の木南晴夏さんがゲストさんと一緒に日本各地のパン屋さんをめぐるTV番組、「パン旅。」が好きです。登場したパン屋さんのお客さんにたしか欧米系の方がいて、シンプルなニットとチェスターコートがすごく似合っていました。今は世界中で洋服が着られているけれど、やっぱり元から洋服を着ていた人種の方はとくに似合う気がするんだよなあ…と思い、メモ。日本の着物や割烹着なども、やっぱり日本人が着るとしっくりくるんですよね。誰が何を着たってもちろんいいのですが、「しっくりくる」ものっていうのはあるかもしれないなあと。

誰かのことを忘れてしまったというのは、その人の本名を忘れたときではなく、自分がその人をなんと呼んでいたかを忘れたときなんじゃないだろうか?

たしか高校の時のことを思い出していました。フルネームが思い出せなくても、あだ名は思い出せる。そういう人のことは「覚えてる」って言えるんじゃないかなと思ったんです。

「登山」を「のぼりやま」と読んだぞ

これはシンプルですが深刻ですよね。ふだんあまり目にしない単語をとらえたとき、「音+音」で読むところを「訓+訓」で読んでしまったということです。いや、そんな解説はどうでもいい。さして難しくもない日常用語の読み方を一瞬とはいえ忘れたことがショックなのです。そんな私は小学校教員免許と中学・高校の国語科・書道教員免許をもっています。

1月26日(火)

ドラマチックな手法に頼らずに、ドラマを「感じさせる」ことができれば最高だ。

「まあそこはドラマだからね」と言われてしまう物語は、残念だよなあと思います。反対に、特殊な筋書や演出ではないのに「ドラマがあった」と感じさせる作品が好きです。

生きることが前提になっている問いと、生きることを問う問い。意見がまるで違うと感じるとき、違っているのは意見ではなくて「問い」なのではないか。表面化した意見だけ見比べても仕方ない。問いがどのように違うのかを考えてみよう。

自分が設定している問いって、その人自身が自覚していないことがままあります。「私たち、問いがそもそも違うんだね」と理解したとき、それまでとは根本的に違うアプローチができると思うのです。

おもしろい本かどうかは、まえがきでわかる気がする。一方、まえがきで期待を煽ろうとする本には注意が必要だとも思う。

書店でまえがきを読んで購入した本に、読み進めてがっかりしたことがありません。

1月28日(木)

「応募」を「王墓」と書いていて、やたら壮大なかんじになってしまった。

言い間違いや書き間違い、変換ミスが好きです。「なんだこれ、変なの!」と一人にやにやすることもしばしば。「王墓」は変換ミスです。

1月29日(金)

”Seasons of Love"が懐かしい。サークルライブで歌ったときの音源ほしいな。

"Seasons of Love”はミュージカル映画『RENT』に登場する有名曲。大学生のときにアカペラサークルに入っていて、コーラスを歌いました。英語歌唱がべらぼうに上手い人たちがいて、そのリードを心地よく感じながら音を乗せるのは楽しかったなあ。ミュージカル映画について調べているときにこの曲が出てきて、懐かしくなった次第です。

日付なし

「それは違う問題」とわかる人でいたい。

おお、日付がありません。たぶん最初のころに書いたんじゃないでしょうか。何か一つ主張をすれば、「こういう場合はどうするんですか」「これを考慮できてないじゃないですか」といくらでもツッコミをうける油断ならない時代。いや、時代は関係ないかもしれませんが、コミュニケーション手段が増えて見ず知らずの人からもメッセージが飛んでくる可能性が高いというのはいえますよね。それを恐れていると何も言えなくなってしまう…という人も多いかもしれません。

でも「私はここを問題視してる」「今はこの部分を論じてる」「(指摘に対して)それは違う問題」とはっきり言える人でありたいのです。少なくとも、自分に対しては。誰かに強く言い返すことはできなくても、まず自分に対して軸を示せる人間でありたい。そして必要ならば他者にも伝えたい。怖がったり遠慮したりする前に、「何を恐れているのか」「何に迷いがあるのか」を自分が知ること。軸があるかどうかを確認すること。そんな約束をメモしました。


分量だけはいっちょまえなメモnote

メモを書くだけ~と謳っておいて、けっこう長くなりました。ここまで読んでくださった方は、相当なメモ魔かあおやぎのことが好きか、一度開いたnoteは読み通す主義の方だと思います。いずれにせよ、お付き合いくださってありがとうございます。

おかげさまで、noteの書き方も思い出してきました。今から「トップ画像を作る」という、不器用な私には時間のかかる作業に移ります。



私にしてはポップでカラフルなトップ画像になりました。珍しくさくさくできたので、canvaさんに感謝です。文章とのテンションの落差が大きめですが、お許しください。

読んでくださってありがとうございます!