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言葉を探す旅

言葉だけがあった

胸を打つ言葉。歌詞。

それはずっと前からそこにあったように感じる。

新しい言葉でも難しい言葉でもないのに、驚くほど自然にそこにある。

「自分が言いたかったことを言葉にしてくれてる」なんていう、書いた人への仲間意識のようなものを覚えたりもする。

でもほんとうに流れ込んでくる言葉は、「誰が言ったか」なんて関係ないような言葉だ。

わたし/あなた/だれかというちっぽけな枠を超えて、言葉だけがずっとそこにあったような。

「ほんとうの言葉」に出会うと、もはや〇〇さんだから作れた言葉という印象は受けない。
とても「作られた」言葉には思えない。

「I LOVE…」Official髭男dism

もしかして、言葉のほうがその人に宿るんじゃないだろうか。人が言葉を選ぶんじゃなくて、言葉が人を選ぶ。そんなことを考える。

Official髭男dismさんの曲が好きだ。
いま書いたのは新曲を聴いていて感じたこと。

独りじゃ何ひとつ気付けなかっただろう こんなに鮮やかな色彩に
見えないものを見て笑う君の事を 分かれない僕が居る 
美しすぎて目が眩んでしまう 今も劣等感に縛られて生きている

人が人と出会う尊さを、せつなさをこれほどまでに歌うのか。歌えるのか。

そんな驚きと同じくらい、なつかしさも覚える。ずっと胸にあったものがほどかれていく。

喜びも悲しみも句読点のない想いも 完全に分かち合うより 曖昧に悩みながらも 認め合えたなら

走り出したくなるようなサウンドとともに、歌声に乗って私の心も走り出していく。その先には、いつもとちがう景色が待っている。

大袈裟じゃなく、世界の見え方が変わる。

こんな言葉に出会える喜びがあるから、私は読んだり聴いたりするのかもしれない。そこから感じたことを伝えたくて、書くのかもしれない。

言葉という景色

映画も、本も、ドラマも、音楽も、言葉をもっている。形はあったりなかったりするけれど、そこに描かれているのは言葉だ。言葉という景色だ。

さまざまな景色を見てきた体は、そのたびに自由を知る。この世界には無限の景色があり、まだどこに何があるかすらわからない。

でもそれこそが自由ということで、まだどこにだっていける。どんな景色だって、自分のものだ。

「ここにあったのか」と驚き、その景色との出会いを喜んでいたい。作りだすのではなく、見つけたい。思い出したい。

そう思っている限り、私が言葉をあきらめることはないのだろう。私が言葉を選ぶのではないのだから。言葉はすでにあるのだから。

さあ、探しに行こう。今日もきっと、今日だけの景色に出会えるはず。




読んでくださってありがとうございます!