Twitterの炎上案件が気になる

ここ一年くらい、Twitterの炎上案件が気になっている。神戸のクリスマスツリーとか、LGBTQ+周辺、そごうポスター、生理ちゃん作者の問題作(言葉にするのも憚られる)、宇崎ちゃんとかレペゼンとか、今だと沼津のみかんポスター。何で気になるのか自分でもよくわからなかったんだけど、なんとなくわかったような気がする。

炎上案件ならなんでも気になるわけではない。
目に留まるテーマは要約すると以下の3つ
(振り返るとこの3つに集約されるような気がする)

①多様性(特にジェンダーや発達障がい)
②暗黙で押し付けられる社会的役割
③企業広告(世論や流行りを写し出す鏡)

この3つが気になる理由は自分にある。
今思えば、ね
①ジェンダーは実家、発達障がいは社会、それぞれに自分がうまくはまってない気がしてて、その答えを見つけたかったから。
②、③そしてその原因となる、みんなが共通して認識しているらしい"常識"や"当たり前"、"普通"。これらに無意識に抑圧される空気の原因を知りたかったから。

炎上案件を追いかけ続けた結果、
(1) 私自身"こうすべき"にとらわれて生きてきたけれど、様々な視点や考え方があることを知り、"こうすべき"なんて一時的なものではないかと思うようになり、
(2) もやもやした気持ち(言語化に時間がかかる+自信のなさから来る、怒りたくても怒れない、意見を持てない状態)を言語化してくれる人を見つけ、問題を問題として認識、
(3)さらに共感・納得できる意見の代弁者を見つけることでその問題における自分の立場を認識、
(4) うまく社会にはまってない自分に自信が持てなかったけれど、同じようなことで悩んだり、怒ったり、工夫したり、闘ったりしている人を見つけることで多少自分を認めることができた。

なんとなく内省が固まってきたので、じゃあ次は、外の世界に!って思うんだけど、何があるんだろう。
何もできないような気がするけれど、実はすでに、私は変わり始めているのかもしれない。
昨年12月、社会人歴2年半で転職を決意し、福岡から関東に出てきた。そんな大それたことができたのは、今思うと、内省が固まり、多少の自己肯定感が生まれたからこそ、のような気がする。

次のステップはこういった気づきを対面でも話せるようになること、のような気がする。

ここまでで書きたいことはもう終わり。
あ、この一連の流れをなんで思い付いたかというと、ある文章を読んで、なんだかストンと落ちたからです。
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ここからは、完全に余談ですが、最初あのみかんのポスターを見たとき「ラブライブは好きだし、沼津という土地だし、広告に起用されるのも好ましく思う。そうなんだけど、あのポスターのデザインはなんかちがう」っていう気持ちになった。そのもやもやを晴らしてくれた文章。

JAなんすんのポスターのこと
http://tegi.hatenablog.com/entry/2020/02/16/200409#f-fb542e30

少しだけ抜粋。この文章の目的は以下の通り。

擁護する人たちをみて「ポスターに疑問をもつ自分は考えすぎなのだろうか?」「自分の好きな作品・キャラクターなのに、こんなことを考えたくない」と考えている人たちのアシストになれれば嬉しいです。わたしはあなたの抱く疑問や不快感は否定されていいものじゃない、と言いたい。

これがまず嬉しかった。否定されていいものじゃないんだ。次に、そのポイントについていくつか。

・広告であること
(~中略~)名目上は「みかん大使」としてより多くの人に知ってもらうことを企図しており、『ラブライブ!サンシャイン!!』ファン以外・オタク以外へもアピールするものとして作られています。
 よって、作品や沼津に親しんでいない人からの意見は受け付けないとか、『ラブライブ!サンシャイン!!』がこれまで行ってきた沼津への貢献度や女性を力づける物語の価値を訴えるとか、そういった姿勢にはあまり意味がありません。

広告には意図があり、その意図を実現するためにデザインがある。広告において「表現の自由」を盾にしたり、批判を「いちゃもんだから無視」したりすること、それってどうなんだろう。
取り下げろ!とは全然思わないんだけど、企業活動の中で責任を負うのは残念じゃないのかなと思う。
初めてポスターを見た人がちょっといやだなって思って、その結果として売上減少や顧客離れに繋がるとしたら。いいものを作っているなら、それはきっともったいない。

・女性の身体を表現することの意味
(~中略~)たまたま最近、明治や大正時代の女性と教育について調べているのですが、女性が教育を受けるときの服装というのは、そのときどきの社会からの強い縛りをかけられてきたものです。おもに社会の権力の中心にいる男性たちから(そしてそれと価値観を同じくする女性たちから)、「教育を受ける若い女性はこうあるべきだ」、という服装を押し付けられてきました。

押し付け、、、!押し付けがいやなんだ、私は!という気づき。

(私にとっては)最後に、

・はじめに
 以下は、今日の昼間に書いて、そのあといったんは発表するのをやめようと思っていた文章です。
 いろいろ迷ったのですが、あまりに今回のポスターを擁護し、批判を無視ないし曲解する声が多いように思えたため、バランスを取りたくてアップします。

出会えて本当によかった文章です。
ありがとうございました。

いつもご一読、ありがとうございます。 だいすきなプリンが食べられるよう、応援よろしくお願いします。