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スタバin蔦屋書店から、最近賑わすUX議論を個人的に考えた

朝から、行きつけのお店にいったが日曜日は8時かららしく、ちょっと足を伸ばして、中目黒の駅前にある蔦屋書店まで行ってみる。

蔦屋書店にもスタバが入っているが、ここではドリップコーヒーのショートサイズにミルクを入れるにはカップが小さすぎるので、一つ大きめのサイズを希望している。

面白いのは、その際のスタッフの入れる量に、差がありすぎて。
恐らく100ml前後差も。今日の方は残念ながらショートよりも少ないサイズ。起点となる、カップが変わることで、見事なまでのグダグダさ。こういうのも体験。

あと、もう一つ。上の写真のCharge hereは、自分の肌感覚では、上の木目調の台にあると、認識。その上で、覗き込むと答えはわかるのですが、椅子が高く不安定なので覗き込むにはちょっと、不安があったので余計に探すことに。

こういうデザイン体験は、「何が正しい」「何が間違い」が複数あってしかるべきなので、奥深く難しいですね。

視点で変わるUX議論

いわゆるネット界隈って、なんとなく書く場所でいろいろな層が相乗的になっている気がするけど、面白いなって思ったことを以下にコメントしていく。さっき以下の記事をよんだんだけど

マツモトキヨシのロゴデザイナーが言った『UXの本質』と、IT業界の根本的なズレが致命的になるについて

ちなみに読み方は斜め読み。おそらく30s程度ではないだろうか。その上で、自分が思った感想

・noteってUX議論って活発なのね
・まあ考え方はわかる
・「ユーザーを笑顔に」までは言えないな
・でもストレスをかけない努力はしたいね

その上で、この記事ははてぶ経由で見たので、コメント気になって見て見たんですよ。それが下記。

・タイトルも日本語も怪しい
・文章のUIが悪いならUXも悪いよね

そのあと、記事を60s再度斜め読み。その上で、コメントで書かれた方の「気持ち悪さ」については理解した。

個人的に面白いとおもったのは、この議論こそ「アウトプットの実態」なんだと思うんですよ。

つまり、この方が「伝えたいこと」と、私に「伝わったこと」と、他の人が「伝わる前に感じる違和感」が、個々に異なっている。これが事実なんですよね。

どうも作り手も受け手も、「自分の考えが正しく、他の人の考えが間違いだ」という風に解釈しがちですが、実態は「考え方は様々で幅がある」と。

重要なのは、「この幅がある事実を受け入れること」。受け入れた上で、どの幅まで許して機能させるかを考え、過去出したアウトプットに課題があるなら、改善していくことなんだと考えています。

目線をどこまで広げるか

この話に関連する話ですが、難しいなと思うのは、「自分が出すアウトプットをどこまで視点を引いてみるか」であると思います。

僕の父は、働いていた時に、建築屋でスタートして、それが団地になり、街並みや地域に興味を持ち、、というように、視点をズームアウトしていったのですが、より自分がつくりだしたアウトプットに機能性を持たせるかと考えた時に、視点を広げたくなる気持ちはわかるんですよね。

この実際に、

・アウトプットのを起点として目線、視点を広げていく
・アウトプット自体の効果の考えを広げていく(実効果、効率化、時間短縮、売上、耐久性等)

など、広げるべき観点は多いと思うけど、いくつか広げていくと、結果ビジネスや事業観点でどうこうという発想になるのはある意味自然だと思うんですよね。

その上で、自分の立場で置き換えると、この広大なfieldを見た時に、

・いま自分が何ができていて
・なにができなくて
・将来的にできる見込みは?
・会社全体でできる可能性は?
・パートナーと組んでできる可能性は?

とかを踏まえて、どこまで拡げるのが現実的か線を引くことなのかなと思っている。残念なのは思っているだけどアクションが自身鈍重なことだよね。

高田社長のコトバ

これを書いていて、元ジャパネットの高田社長が、いま長崎のJチームを事実上率いているが、「いろんな人に畑違いで大丈夫?」の問いに「ビジネスもサッカーも同じだから大丈夫と思う。いかに笑顔にさせるか」的な回答を出していたのを思い出した。

たしかに事業者として、考えて自らの事業のコアな考え方が近いならやり方も近いと考えたのでしょうね。

おそらくできる経営者って、さっきでいう「自分でできること」「周りを巻き込んでできること」を瞬時で判断しかつ実行することができるんでしょうね。しかも、経験を積むとその幅は広く、深い。尊敬する経営者の一人と言えますね。

#デザイン #スターバックス #蔦屋書店 #中目黒 #ビジネス

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