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造り手が「好き」でいること

日頃食べないものを食べるだけで胃腸にくる日常。だからウィークデーは無理しないでおこう。(反省しないとね)

あと日中歩いていたが35度超えていたら歩いちゃダメだわ。こんな中を甲子園とかちょっと理解できない笑 誰かが闘技場に例えていたけど確かにクーラー効いている中で甲子園見てるのはそれっぽい感じが確かにします。

あ。そうそう久々に桝一に行ってきたのですが。

うーん何というか見た目は相変わらずですが、ちょっと個人的にはもういいかなと思ってしまった。なんとなく従業員に覇気がないというかちょっとやる気がない感じ。

大昔(10年ぐらい前)いまモンブランの店が普通の蔵で改装途中におじゃました時にも訪れたのですが何というか従業員自身の目がキラキラしてて「こんな事業始めるんです!みてください!」的な熱い思いというか空気があって、あーなんかいいなと。

ああ、そうか自分はカッコいいデザイン見たいんじゃなくてこういう空気を求めていたんだと再確認したのかもしれない。いくらカッコいいデザインでもいてる人がぐったりだとちょっとって思っちゃうよね。

こういう「自分はこれが好き。だからあなたもきっと好き。」って重要なのかもしれない。

最近上演されている「ドラゴンクエスト ユアストーリー」での阿鼻叫喚な感想も「俺たちこんなに好きなのに作った人は好きじゃないよね?ゆ、許せない!」空気のそれで。お互い好きでいてこそコンテンツって繋がっていくんだなと。

そういう意味では「好き」という感情は何かを生み出す上で必要不可欠なのかも。最近世の中「嫌い」ばっかりだしね。注意しないと。


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