人は信じるものの積み重ねで自己形成しているのかもしれない
夏の綿飴のような雲も早朝だと見えづらい状況。普段とは違う生活圏にいるとテレビの不安を洗脳するような軸と、現実から逃避するような軸を2択で提供続けていて。こういうのは毎日続くと思想が偏っていく流れってこうやって醸成されるのかと感じる。
よく欧米だと自己アイデンティティをもっていて自分の考えをプレゼンすると言うが、文化や宗教の影響下の中での考え方は、色濃く醸成されていて、それを口にするかしないかの違いでしかなくて。僕ら人間は案外さまざまな洗脳により自己を形成している気がしている。
それがいいか悪いかは置いておいて、自己形成がされている方が心身的に安心であるが故にそちらの方に傾きやすいのだろうと思う。だからこそ世界的に宗教が居続けるわけで、一神教のメリットは他人との共通認識や同質のコミュニティへの参画の容易さにも現れる。
一方で日本における無宗教観も信じる神がないのではなく八百屋の神による多様性から来ている。いわゆる推し活も推しイコール神でしかなく多様な神様を複数タグ付けしているにすぎない。一神教と比べていい悪いじゃなくて「いろいろある」でしかない気がする。
そういう意味では僕は「朝活神」「散歩神」「朝写神」を信じる信徒かもしれないですね。
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