見出し画像

犬と自転車

乗って。
足をついて。
進んで。
足ついて。
また乗って。
足をついて。
その足を…

なぜこんなことになってしまったのだろう。
10年ほど自問自答を繰り返してきた。
目の前にあるのは、シンガポールで働いている夫が、私の実家のある大阪に残した自転車である。

私にとって日常的に載っていた自転車というものは、子ども時代にしか存在しない。
最後に長時間自転車に乗ったのは、たしか小学校の高学年のころ、仲良しのまやちゃん(仮名)と夏期講習に向かうときだったとはっきりと言える。

まやちゃんはやさしい子だった。
学校では場面緘黙症で話せなかった私を、放課後外に連れ出してくれて、いっしょに遊んだ当時の親友である。
私が誘拐未遂事件の被害者になってからは、家を出るのが怖くなった私を遠回りして迎えに来てくれた。
相手がまやちゃんだったから、私も放課後、学校を離れてからはたくさん話せたし、そんな私たちを見て互いの親も同時に夏期講習を申し込んだのだろう。

当時、私たちは駅前に住んでいたのだが、電車に乗った記憶はあまりない。
まやちゃんと自転車で進む道のりは楽しかった。
そして長かった。

小学6年生のとき引っ越した私は、その後まやちゃんに会っていない。

引っ越した家は駅からバスで15分のところにあった。
きっと自転車も愛用していたはずなのだが、記憶にない。

中学生になり、私は地元から離れて電車通学を始めた。
バスに揺られて駅に着き、そこから学校までは電車の旅である。
12、3歳の少女にとって時間は長く感じるものだった。

やがて学校へ行かなくなった私は……

と、ここまで書いて思い出した。

そうだ。
フリースクールに通っていた時期があった。
そのフリースクールは結局五回ほどで行かなくなってしまったが、自転車を使って行った。

私はなぜ記憶を封じたのか。
不登校時代を振り返ることにそこまで痛みを感じないのに、なぜ。

すぐに思い当たった。
犬である。
近所に5匹の大型犬を門を閉めずに飼っている家があり、自転車で道を走っていた私は彼らに追いかけられて転んで、すり傷だらけになった。
犬たちは私を噛むつもりはないようで、5匹で転んだ私を取り囲みわんわん吠えている。
私は自転車をほったらかしたまま、ダッシュして家に戻った。

あの後、消毒をして絆創膏をはったのだが、絆創膏をとるときがとてもつらかった。

以来、私は犬が苦手になった。

しかし苦手になったからといって悲劇が終わったわけではない。

それから何か月か経ち、私は親に勧められてフリースクールに通い始めた。
その日はすぐに訪れた。
フリースクールまでの道を自転車で走っていたとき、道に突っ立っている犬を見つけてしまったのである。

瞬時に私の顔に浮かんだ恐怖を、その犬は見逃さなかった。
「怖がるから追いかけてくるんよ」
いろいろな人に言われたことのある言葉だ。たしかにそのとおりであり。

結果的に私はまた犬に追いかけられ、自転車とともに倒れた。
そしてすり傷だらけになり、泣きながら歩いてフリースクールへ行った。

フリースクールには大学生のボランティアが数人いて、みんな「おじさん」「おばさん」と呼んでいた。子どもは残酷である。

その中のあるおじさんが、泣いて「あの犬に会いたくないから帰らない」と言う私と泥だらけになった自転車を大きめの車に乗せて、私の自宅まで送ってくれた。
私は学校という特定の状況でのみ話せなくなる場面緘黙症という病気を小6で克服したあと、女子校に通い、きょうだいもいとこも全員女性だったため、軽い男性恐怖症であまりしゃべれなかったのだが、そのおじさんは一生懸命私を励ましてくれた。

ありがとう。
そしてごめんなさい。
たぶん20代前半だったあなたを「おじさん」呼ばわりして。

そこで、私はまた思い出した。
あれが、私のフリースクール最後の思い出である。
どんなに親に言われても、それきり行けなかったのだ。
またあの犬が突っ立って私を待っているのではないか。
怖くてあの道はもう通れなくなった。
ちなみに通っていた期間が短すぎたのか、フリースクールで何をしたのかはまったく覚えていない。

再び私は自転車に乗らなくなり、カウンセリングルームや児童精神科も母の車に乗せてもらって通い、やがて高校に進むために再び中学校に行くようになった。
そして高校、大学、新卒で入社した会社もバスや電車で通った。

フリースクールに行くのを辞めた後の記憶を映像のように脳によみがえらせても、そこに自転車は映っていない。
日常的に自転車に乗っていたのは、フリースクール時代が最後だったのだ。

乗って。
足をついて。
進んで。
足ついて。
また乗って。
足をついて。
その足を…

20代半ば。私は後に離婚することになる前の夫と暮らしていた。
「自転車、乗れたほうが便利ちゃう?」という前の夫の言葉をきっかけに、見ただけでテンションが上がるような可愛いピンクの自転車を買い、おそるおそる二回ほど乗ったら意外と楽しかった。

しかし、私の自転車人生は再び断たれる。
今度は犬ではない。鍵をしめるのを忘れて盗まれたのだ。

気に入っていたのに。
高かったのに。

悔しい気持ちはあったが、新しい自転車を買う気持ちにはなれなかった。

むしろ私は逆恨みをした。
ぜんぶ自転車に乗った10代の私を追いかけて来た大型犬が悪い、と思ったのだ。

追いかけてきても怖くない小型犬ならいいのかというと、そんなことはない。友人のうちで小型犬に吠えられ追いかけまわされ、すべての犬が苦手になっていた。

30代になり、私は今の夫と再婚して平和に暮らしていた。
そんな夫が突然、シンガポールで働くことになった。
彼は自転車を乗り回してどこにでも行ける男で、同時に犬を見つければどんな犬でも近寄っていくほどの犬好きである。

「あなたの夫、犬、好きでやさしいですね」

これは私が夫とのトルコ旅行中にトルコ人に言われた言葉である。
自転車や犬にまったく抵抗がない夫を、私はいつも信じられない気持ちで見つめていた。

そして夫がシンガポールにいるあいだ、夫の自転車は私の実家に置くことになった。
実家は中学生のころと同じで大阪の田舎である。どこに行くのも不便だ。

しかし当時と異なり、両親も60代、車で高速道路に乗るのもそろそろ危なくなる年齢である。
「じゃあ私が車の免許を…」と提案したが、親と夫だけではなく一族郎党に反対された。
ADHDで、集中したらひとつのことしか見えなくなる私には向いていないと全員が口をそろえる。
「なんとかなれへんかなあ」と思っていた私が車の免許をとることを諦めたのは、母のひとことだった。

「被害者になるときはなる。仕方ないけど、加害者には絶対なったらあかんでしょ」

そうだ。過失事故。それだけは起こしてはいけない。

そんな経緯を経て、「せっかく自転車があるんだから、まずはこれに乗れるようになりなさい」と5歳年下の夫に兄のように諭され、私は自転車に乗る練習を始めた。

フリースクールに通っていた14歳のころ。
二回だけ自転車に乗った25歳のころ。
あれからもう何年経っているのか。

乗って。
足をついて。
進んで。
足ついて。
また乗って。
足をついて。
その足を…

なぜこんなことになってしまったのだろう。
田舎ならではの人の少ない道で練習してみる。
乗れるには乗れるのだが、遠くで人の姿を見つけると自転車を降り、曲がるときも足をつかなければならない。

夫との猛特訓を経て、彼は海外へと旅立っていった。

そしてきょう、10年ぶりに私はひとりで自転車に乗った。
10分で汗びっしょりになるほどの注意力を要したが、「乗れないことはない」という結論に達した。

とはいえ人どおりが多いところ、車の通行がさかんなところはまだ怖いので、歩道橋で自転車を引きずっていると、向こうに小柄で穏やかそうな年配の女性を見つけた。
彼女が愛しそうに連れているのは小型犬である。

あ、犬だ!

そう思ったとき、私はかつてない行動に出た。
犬の目と私の視線が重なるのを自覚しつつ、自転車の車輪が犬の小さな足を踏むことがないよう、これまでにないほど気をつけたのである。
注意しすぎて、昔、犬に追いかけられたとき以来初めて、犬のことが怖いと思わなかった。

犬を連れた年配の女性がにこにこして行った。
「素敵な自転車やねえ。色がいいわ」

私も車輪に注意しながら顔をあげる。
「わんちゃん、かわいいですね。目の色がいいです」

奇妙な誉め言葉になってしまったが、女性はにこにこして、「気をつけてね」と言って去っていった。

素敵な女性だった。
犬のこと、「可愛い」と思ったのは20年前だっただろうか。
……いや、もっと前かもしれない。

犬によって自転車に乗れなくなり、自転車によって犬が怖くなくなった。
犬と自転車。
私にとって密接なかかわりをもったふたり(一匹と一台)である。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?