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こんな「共生」関係なら作りたい

今週の運勢 おとめ座の占い
2023年11月27日〜2023年12月03日の運勢
強制から共生へ

https://isuta.jp/uranai/horoscope/virgo/4386

 この記事で紹介されていた文章を転記。

共生とは、一般にこの語から想起されるような、相手を思いやる仲睦まじい平和的な関係ではなく、それぞれが自分勝手に生きようとして遭遇し、場当たり的に生じた相互依存関係

「粗放―「穴だらけ」であること」『つち式 二〇二〇』

 「つち式 二〇二〇」を見ると、おそらく正式なタイトルは「穴だらけの世界の穴だらけのわたしたち」

 実際には元の出典の文章をお読みいただいた方がいいが、
 共生というと、書かれているように「相手を思いやる仲睦まじい平和的」関係を想像してしまうが、争いを避ける平和的関係は、
「思いやり」という縮小再生産をすることになる。
 つまり、発展がない。

 争いがあった方がいいとは言わないが、
「自由に考えて、自由に話せて、自由に行動できる」関係は、
1対1の場合でもよほど特別な関係でないとできない。

 つまり会社の中で、
「若手社員が社長に、言いたいことを言って、給料をたくさんもらって、出世して、仕事でも成果を出す」(・・・・・ステレオタイプな社員像だなあ)
 といったことができる人がいないとは言わないが、
それ以外の社員にとって、それが仕事ではないし、それが仕事や生きていく中での目標でもないので、それが実現できるよう取り組むことはない。
 第一、会社の中で、一人だけがそれをできても意味がない。全員がそれをできないと。

 となると、「自由に考えて、自由に話せて、自由に行動できる」人はほとんどいない。
 たいがいは、その場所で善意も悪意も持ちながら、「会社という生態系の枠内」で、いかに自分が長く生きられるかを考えるもの。
 周りから、「共生していて、いい会社」に見える。
 実際は、「我慢と妥協は仕方ないし、突出する者を抑える」となるので、そんなつもりはなくても、『縮小再生産』に向かう。

 発展の可能性のある「共生」は、引用句にあるように、

それぞれが自分勝手に生きようとして遭遇し、場当たり的に生じた相互依存関係

上記より抜粋

 日本人はこれが苦手な気がする。場当たりな面はあるのだけれど。
 人それぞれの常識という子供のころの経験によるのだけれど、

「やりたいことを、いろいろ工夫して、周りの人に働きかけて、行動して、うまくいったか、失敗だったときもおもしろかったと感じた」経験

 があることが前提じゃないかなあ、と思う。
 こんなの頭でいくらイメージしても、どこまで言っても自分の中にはない人は確証を持てないで、「思考の論理」で多数決で正しそうなものを選ぶだけ。

 こう書くと、「こんなところで書いていないで、実際にやったらいいじゃない」と言う人がいる。
 この人は応援しているつもりかもしれないが、イラついているのが伝わってくる。

 先の「共生」は、「それぞれが自分勝手に生きよう」とみんながしていることが前提にある。
 どこの社会にも、批判家、評論家、裏で手を回して多数決で勝てるようにする人が多い。
 それに対する恨みは書いても仕方がないので。

 本来の「みんながぶつかり合う共生」ができる社会にしないといけないな。
 すでになっていると感じている人が多いなら、それは幸いなこと。

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