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「四度目の夏」35完結(後日あとがきを書きます)

プロローグ 2046年4月22日


だからまだ、死ぬな。
病室でラボの最高責任者はベッドに横たわるわたしを見下ろしてそう言った。
君の息子に会える。今なら、会えるぞ、と。


 わたしの息子、和也は学校舎の窓から落ちて意識不明の状態が続いていた。

 校舎からの落下事故はわたしが入院中のことで、わたし自身が末期の癌患者であり、当然にわたしが先にこの世を去り、そして息子はこの先にもつづく未来があると信じて疑うこともなかったときに、息子はクラスメイトに生まれつきの弱視についてからかわれ、サングラスを奪われて、それを取り戻そうと校舎四階の窓から落ちたということだった。

 夫はキプロスに恋人と旅行中で、連絡がついたところでうろたえるばかりで帰国しようとはせず、再三の映像電話の向こうで甲高い女の声が聴きたくなくとも聞こえてしまうことに、わたしはついに息子の父親としての責任を諦めた。
 そしてある日突如キプロスはバーバル社製AIの最初の襲撃を受け、島の大半が消滅した。

 2045年11月、ASI戦争の幕開けである。

 ASI化した未知なる敵の襲来は世界中を恐怖に陥れた。
 しかしそれよりも息子の脳死を諦めることのできなかったわたしは、ラボに連絡をとり、まだ承認許可が下りていないにもかかわらず和也の脳を摘出し、保管するよう命じた。
 わたしは息子の死を受け入れられず、それでも発狂しないでいられたのは、わたしの死が目前に迫っているという安堵と、そして、息子の臨終、または校舎から落ちる直前の息子を知りたいという、強い欲求からであった。

 息子の脳は、息子のすべてを知っている。

 わたしは、プログラマーであり、ハッカーであったが、新しいチームを立ち上げ、新しいプロジェクトにも着手した科学者であった。わたしは世界初の脳のハッキングを開発し、その脳の再生VR設計の第一人者だった。

 すでにチンパンジーの脳をハックしてはいたが、まさか我が子の脳をハックし、彼に目的遂行のための舞台となるVRを設計することになるとは、まるで予想しなかったことではあるが。
 
 2045年12月、バーバル社製アナスタシアのAIがASI化したことが判明したものの、バーバルをはじめ世界中の科学者たちが対ASI策を生み出せず右往左往しているうちにASIが次の標的に標準を合わせた。

 日本である。

 2046年1月、N県北部にある白雲岳を中心に半径20キロメートルにわたって、地下10キロメートルの巨大な陥没を作った。列島中がマグニチュード6以上の地震を観測し、自衛隊が空からの巨大飛来物を確認したのは地上わずか500メートルのところで、発見した時点で時すでに遅く、ASIはキプロス同様、迎撃を発動する間さえ与えることなく、白雲岳を消滅させた。

 衛星の高解像レーダーには何も映らない。主要なシステムはすべてASIに乗っ取られた。乗っ取られたことにも気づかぬ方法で。
 人類の知能では1000年かけても考えつかぬ計算によって、我々のテクノロジーは完全に侵略されたのであった。
 

 そして、まったく思いがけない形で息子の「脳」に白羽の矢が立つことになる。


 2046年2月、アメリカホワイトハウスと日本政府は、ASIの命綱となるアルチメイトブロックの創造主、すなわち0期設計図を持っている唯一の人間であるホクトマサキが杉盛益司であることをようやく突き止めたのだ。(ASIがホクトマサキを抹殺する可能性があったにも関わらず未然に防ぐことは不可能だった)

 そして、和也がただ一人、生前にその0期が格納されているメモリを見たであろうことに最後の望みを託すことになった。
 和也が白泉寺で、その住職となった婿養子の杉盛益司に可愛がられていたことは、わたしの記憶にもある。わたしたち家族の、数少ない、幸せな思い出だ。

 そして杉盛益司は、その昔わたしにあるシステムのアルゴリズムを発明したと論文を送ったことがあった。それはまさしく、アルチメイトブロックの前身となったシステムだった。
 わたしはその論文を読まなかった。
 見知らぬ人間から、様々なダイレクトメッセージが送られてくることは日常茶飯事であったことと、ちょうどそのとき、わたしは夫の会社を退社して政府管轄のチームラボのVR設計の主任就任まもなくだったという理由もある。なによりわたしには大事なものがあった。 
 わたしの家族。わたしの息子。ただひとりのわたしの息子。研究以外の時間のすべては、息子のために費やすと決めていた。

――もしも、わたしがその論文を読んでいたら?
 
 いや、正直に言おう。わたしはその論文を、読んでいた。
 すべてではない。
 だけれども、たしかに「北斗真規」という名を、わたしは目にしていたのだ。
 そしてわたしは圧倒された。その難解なアルゴリズムに。
 いや、一見単純なソフトウェアにして、何重にも張り巡らされた完全無欠の徹底的なAIを作り出すであろう可能性に。
 
――見ないふりをした。
それが真実だ。

北斗真規の才能に嫉妬し畏怖した。
これが真実だ。


 その結果、論文はバーバル社の手に渡り、結果はこの通りだ。新型AI搭載のアナスタシアが開発され、その結果わたしの夫が恋人とともに偶然にもキプロスでのバカンスの最中に非業の死をとげ、ASIに狙われた北斗真規――杉盛益司も襲撃され家族ごとこの世から消えた。そして多数の人間の命が消滅した。


 そしてわたしは息子の脳のなかで、もうひとつの世界を作り出し、息子を騙し、コントロールし、0期奪取のために彼を利用することになる。


 もうひとつの世界――


 血液の血球よりもミクロサイズのナノボットを大量に脳の中に注入する。電気を発したナノボットからコンピュータ基盤に脳のすべての情報を移管する。そこに個の人格、記憶、技能、歴史のすべてが取り込まれて再生される。
 アップロードしたのちは、最新VR技術で、新たな世界を再構築し、それをまたナノボットから脳に上書きする。
 
 新たな息子の世界には、わたしがデザインした新たな人物が登場することになる。和也に動いてもらうための、アバターだ。わたしは和也の興味をひきそうなキャラクターをデザインし「マサキ」と「ブレンダ」と名付けて配した。
 
 和也は虹池で、マサキとブレンダに出会うという設定にした。
 その虹池で和也の姿を見て、わたしはとても驚いた。
 息子の姿が、わたしの息子の和也とは似ても似つかない容姿の少年だったからだ。

 でもわたしは彼の意識の最期に、彼の視覚がとらえたものがその少年であることを知っていた。
 
 あの教室で、うすいセピア色に見える教室で、彼は自分の眼鏡を取り返そうと必死だった。そして窓に向かって投げられた眼鏡。窓に向かって走り出す。
 そのとき、彼はなにを聞いたのだろう。自分の名を叫ぶ声だろうか、一瞬視線は窓ではなく教室に戻る。そこには顔を歪ませて声を上げる少年がいた。でも息子の動きは止まらない。そのまま眼鏡に腕を伸ばして、空へ。

 青い空は青ではない。
 息子の目には薄いベージュ色だった。淡い——

 なんと淡き色の中で息子は生きていたことか。

 VR世界にいた少年は、わたしの知る息子の和也ではなく、彼が教室の窓から落ちる刹那にその目に焼き付けた――彼の唯一の友達、優樹君の顔だった。
 彼は、VRの世界に別の人間の姿で、生きていたのだった。
 
 わたしは脳の不思議さに圧倒される。
 
 息子は、杉盛和也として生まれ、そして生きることにどれほどの不具合を感じていただろうか。そしてどれほどに優樹君に憧憬していたことだろう。
染色体の配列が少し狂ったというだけで、先天色覚異常で生まれた息子がクラスメイトにいじめを受けていたことを、情けないことにわたしは知らなかった。
 
 わたしが息子の脳に手をかけるこの選択をしたのは、地球の未来を人類に取り戻すためだけではない。
 わたしが母として最後にできることは、最愛の息子に、世界の彩りを、せめて見せることだ。

 わたしはありとあらゆる色彩をVR設計に盛り込んだ。
 白雲岳の山肌の美しさ、昇る朝日と、そして沈む夕日の空の色。そこに飛ぶ鳥のコントラスト。木の根とその狭間に咲くちいさな薄桃色の花。ロウソクに照らされて揺れる白泉寺の聖観音像。豪奢に光る金色の宝冠――まさにそこに地球を救う鍵が隠されていたとは。

 量子プログラムの脳VRは、仮想であって、仮想ではない。

 もう一つの、設計された現実である。

 それでも、一つの命が、ふたつの現実を生きることは不可能だ。
 不可能だ。
 使命を終えたところで、幕は下りる。

 まもなく息子は二度目の死を迎える。

 
 わたしは母として、もっとも残酷なことをした。

 

 和也が虹池で泳ぐ姿。虹のかかる小さな川で、アユを捕まえようとはしゃぐ息子をみて、わたしは胸が熱くなった。生まれつき色素の少ない和也は紫外線に弱く、太陽の下で遊ぶことなど叶わなかった。
 その息子に、鮮やかな世界を見せたいと願うことも、もう一度会いたいと願ったことも、わたしのエゴだろうか――おそらく、そうだろう。結局のところ、わたしは科学者としての本懐を優先したのだ。

 
 わたしの人生につきあったわたしの肉体も癌に侵されすでになく、息子同様にわたしも脳だけでこの世界とつながっている。
 わたしはラボと契約を交わしている。このプロジェクトを終えたときには、わたしの脳も、息子の脳も、一緒に灰にするということを。


 早く、わたしを殺して——

 わたしはつぶやく。

 これであの子のもとへ。今度こそ——


 意識がシャットダウンするその刹那、ラボから歓声が轟いた。


解析クリア! 解析クリア!」 




「これで地球は救われる! 我々人類がASIに勝ったのだ!」





最後まで読んでくださってありがとうございます! 書くことが好きで、ずっと好きで、きっとこれからも好きです。 あなたはわたしの大切な「読んでくれるひと」です。 これからもどうぞよろしくお願いします。