ブレンダのサムネイル

「四度目の夏」12

 マサキとの再会、そしてブレンダ

「別荘地にいくなら行くなら車に乗せて行こうか?」
 朝食のあとに、益司さんがそう言ってくれた。マサキの家は別荘地の入り口から一番遠かった。
「ありがとうございます。でも帰りにまた来てもらうのは申しわけないから自転車を貸してもらえたら一人で行きます。あ、あとで境内の掃除も手伝います」
「なんて君は良い子だ」
 益司さんがぼくの頭をわしゃわしゃと撫でた。
「自転車、使っていってくれ。昔僕が使っていた自転車で、自動運転は装填されていないけどね」
「十分です。脚の筋肉もちょっとは使わなきゃ弱っちゃう」
 ぼくは言った。
 おじいちゃんが「い、い、」と言った。「行くなら気をつけてな。虹池には虹蛙が出るよってな、それも気をつけてな」と言って、カクンと顎を落とした。首の力を使って顔をまっすぐにするだけでも相当力を入れてるんだろうと思った。
「ニジガエル?」
「虹池には大きな蛙が出ると言われてるんだよ」
「蛙? ほんとにいるの?」
 ぼくはよっくんに聞いた。
「ちがうよ、にぃに、ニジガエルはそうぞうの生き物なんよ」
「想像の生き物?」
 ぼくは白い雲を突き破る白雲岳を頭に描いて「ここは昔はほんとうに妖怪いたっぽい雰囲気があるよ。天狗とかいそう」と言ってしまった。
「おったよ、ぜったいおった!」
 よっくんだけがぼくに賛同してくれた。
「わたしゃ天狗も虹蛙も見たことないけどねぇ」とおばあちゃんが言った。
「よっくん、はやく目玉焼き平らげてちょうだい。いつまでも片付かないわ」と佳奈江さんが言う。
「じいちゃんは? じいちゃんは見た?」
 よっくんが勢いよくおじいちゃんに訊く。おじいちゃんはぽわんとした瞳でよっくんを見つめ、またカクンと顎を落とした。顔を支える首の力が尽きたようにも見えたし、頷いたようにも見えた。
「ほらね、じいちゃんも見たって」
 よっくんが得意げに言った。
 みっちゃんだけが口の周りにケチャップを付けてぼくらを見渡していた。
 
 境内をよっくんと掃き掃除をして、本堂を雑巾がけした。内陣に入ってはならんという益司さんの言いつけを守って、ぼくたちは手早く掃除をした。 
 よっくんはふざけてても手慣れていて動きが早い。ぼくはよっくんにならって雑巾を固く絞って古い木造の床を拭く。
 佳奈江さんが本堂と自宅を結ぶ廊下に掃除機をかけている音が聞こえる。
 お堂を開け放して本堂に明かりを入れ、須弥壇の近くまで行って本尊を拝んでみる。朝は暗くてよく見えなかった聖観音菩薩像の顔がはっきりとわかる。
「父さんと母さんがアナスタシアをいやがってるのは、顔のせいだと思うんよ」
 よっくんが言った。
「菩薩様の顔をまねるなんて、趣味わりぃよな」
 東京の街には、愛玩犬を散歩させているアナスタシア、老人の手を引いているアナスタシア、車椅子を押すアナスタシアをあちらこちらで見かけるようになった。
 メタルボディのアナスタシアは服を来ていないけれど、裸という感じでもなく、ボディはメタリックに光ってスマートフォンのようにシャンパンゴールドやピンクシルバーのカラーが売れ筋らしい。ボディはそんなふうにロボット然としているけれど顔は特殊な合成ゴムでできていて、皮膚の質感を再現している。
 いつでも微笑んでいるような細い瞳、アーチ型の眉、微かに曲線を描いた鼻筋と小さな唇。言葉を発するときにはちゃんとその唇を動かすし、音声は口の中から聞こえる。

「ロボットの顔が慈悲の顔ってよぅ、うまく考えたよなぁ。年寄りや子どもってみんなあんな顔すきじゃん。ホッとするってゆうかよ、美人じゃないからええし、男前でもないからええ、マーケット的に成功してるよな」
「よっくん……マーケットって言葉知ってるんだね……」
 よっくんは手に持った雑巾をひっくり返して立ち上がった。
「おれさ、大きくなったら白雲岳を出ようと思ってるんだよね!」
 あれ、急に東京弁。
「そのマサキとやらみたいに家で勉強してさっさと大検受けて、大学はにぃにの父さんみたく東京の大学に行ってさぁ、そいでにぃにの父さんみたく社長になりたいんよ。だからケイザイのことも勉強せんとな!」
「そうなの?」
 ぼくはびっくりした。よっくんが益司さんのあとを継いでこの寺の住職になると当たり前に思ってた。
「そうそう、そいで、夏休みにキプロス行ってよぅ、バカンスを楽しみたいんよ。で、アナスタシアがシャンパンとか運んできてよぅ、それをビジョと楽しみたいわけよ!」
「へぇ……」
 よっくん……。
「一生、本堂の床をみがいて鐘ついて過ごすなんて、おれにはムリよ。ににぃになら、わかってくれるよな?」
「う、うん」
「これ、父さんにはまだ言うとらんのよ。ナイショな」
「え、あ、うん……」
 ふと思ってぼくはよっくんに訊いた。
「よっくんは白雲岳の修験道、頂上まで登ったことがあるんだよね?」
「あるよ。すげえキツかった。ご来光もおがんだよ。そいで読経もした」
「すごい。それってさ、すっごく感動、あったんじゃない?」
「感動っつか。んー……」
 よっくんは雑巾を両手でぶらぶら振って考え込んだ。
「きれいだった。そりゃきれいだったな。でもおれ、世界は広い、やけ、もっと広く見ろって言われた気がしたんじゃ。世界の方から、おれに。山をおりて、いつか海をわたって、おれ世界とつながりたいんよ」
「世界とつながるならインターネットでもつながるよ。世界中の光景がリアルタイムで見られる」
 言いながら、よっくんが求めているものとは違うと気づいていた。
 でも世界とつながるよりも、白雲岳を征してるよっくんのほうがずっとスケールが大きい気がした。
「うらやましいよ」
 ぼくは言った。
「このお寺の住職になれるよっくんが、ぼくはうらやましいんだ」
 よっくんが唇をへの字に曲げた。奇妙に長い間のあとでよっくんがため息をついた。
「変わっとるのぅ。にぃには」
 
 変わってるのかな、とぼくは思った。
 


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【読んでくださっている皆さまへ!】
 ここまでおつきあいくださって、誠にありがとうございます!
 次号ようやく!マサキとやらと、ブレンダとかいうヒューマノイドマシン(アナスタシアは商品名ね!)が登場します。
 ここから面白くなっていく(はず)なので、どうぞもうしばらくおつき
 あいくださいませ。
 いつの日か、この物語について語り合えることを楽しみにしております。
(たぶん、連載あと30回くらい。。)
 


最後まで読んでくださってありがとうございます! 書くことが好きで、ずっと好きで、きっとこれからも好きです。 あなたはわたしの大切な「読んでくれるひと」です。 これからもどうぞよろしくお願いします。