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#2 わきみち堂って何? 中編

わきみち堂って何?
わきみち堂の解説投稿。今回は中編です。
パン屋と並行して行っていきたい、人の集う場所としての空間の運行。
今回はその空間の在り方を自分なりに紐解いていきたいと思います。

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目次

[前編]
1.パン屋として
1-1.パン遍歴ということ。何故パン遍歴が必要なのか?

[中編]
2.居場所、交流、発信の空間を設けること
2-1.誰の居場所であり、何故その居場所を設ける必要があるのか?
2-2.交流と発信の基地を築くこと
何故芝居や音楽なのか?また芝居や音楽をそこで上演する意味は?
2-3.表現作品とはどういうものか?また表現作品をそこに展示する意味は?

[後編]
3.わきみち堂における付加価値
3-1.自分なりのパンを、味わって食べてもらうことで、相手の感性を引き出し、時に純粋な感動を得たり、時に世界を広げてもらいたい。
3-2.パン屋としての自分なりの姿勢を真摯に貫くことで、自分を卑下することなく空間に集う人達(特に若い世代や子供)と真剣かつ対等のコミュニケーションをはかれるようになる。お互いがお互いを助ける関係性が生まれる。
3-3.地域的(生まれ育った土地への愛着や繋がり)にも、歴史的(伝統的なものの継承)にも、革新的(画期的な新しい取り組み)にも、文脈としてそぐわない自分がいる。
まずは自分の[個としての]文脈を築いていく事を最初の付加価値と定め、上記の2つの行為の継続によってその付加価値を獲得し、さらに[個→個の集合体として]そこから生まれていくものを発信することで、地域的文脈までを築いてみたい

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2.居場所、交流、発信の空間を設けること

2-1、誰の居場所であり、何故その居場所を設ける必要があるのか?

そもそもここで指し示す[居場所]というものは、
『個人の心身が、外部の何者にも強制圧迫される事なく、過度の緊張を強いられずに、落ち着いて自然に過ごすことが出来る場所』
と定義したいと思います。

では、その居場所が誰の居場所であるのか?という事ですが、それに答える為には自分がその居場所という在り方を思うに至った、その動機に触れる事が一番の近道かと思います。

自分は今まで色々な挫折や失敗を繰り返して生きてきた為、それに伴って外部からの軋轢や自己の孤立感もそのまま強度を増していきました。
当然そこには自業自得の感が色濃く存在しているのですが、独りそうして何も解決できないままにしていると

そのうち『死にたい、生きていたくない、消えてしまいたい』そんな風な思いが去来してきます。
確実ではないかもしれませんが、自分には明確に何度も訪れ、未だ拭えずにいる厄介なものです。

そう在る時の思いは、何もかもが辛いです。不幸です。
そうして、死ぬことさえ出来なければ、その中途半端さが尚辛いんです。

だから、どんな人間であっても、人が人を否定せず、存在を受け入れあって、そこに存在するだけでお互いがお互いをたすけあっているような関係性が必要なんじゃないかと思えて、そうする事で個人も自分自身を赦して肯定して、何とか生きていけるんじゃないか、とそう思うようになりました。

自分が今はまだ生きていられる理由は、一つは自分の情けなさ(死にきれなかった事への)がありますが、もう一つ思い浮かぶ理由があります。

それが実は居場所に依るものです。

自分にとってのその居場所というものは、必ずしも継続的なものではありませんでした。
ただ振り返って見れば、今までの人生の要所に必ずそれが存在していて、そこで過ごす時間は理屈抜きに自分をたすけてくれたものであった気がします。

時には、激しい音楽のライブ(お世話になった人のバンド)のあと、打ち上げからはけた部屋の一室で数人で寛いでいました。
その人達に話を聞いて貰ううち、色んな感情が溢れて出てしまい、知らず知らずに自身の堅く堅く封じていたトラウマが口から漏れ出して、全解放の涙を流すに至りました。 でもそんなこっぱずかしい失態をその場の全ての人が優しく受け入れてくれました。

時には、ある芝居の稽古に取り組む一つの空間で、同じ作品に取り組む同志のような共通感覚がそこにあり、言葉で何を癒しあうとか励ましあうとかそんな事ではない
『ただそこに一緒にいるだけで何だか安心できる』
そんな居場所がありました。

時には、ある店の厨房という空間で、がむしゃらに一緒に働いて、笑って、怒って、ちょっと泣いて、そこに存在して働けることに純粋な感謝の念を得られる、そんな形の居場所もありました。

思うに、やっぱり居場所は必要なんです。
そしてそれは、できれば偶発的ではなく固定的かつ継続的なものである方がいい。

そうした継続的なものが必要でない人は大勢いると思います。というか、大多数の人にはそういった居場所は偶発的なもので十分なんでしょうし、自分自身もごく客観的に見れば偶発的なものの方が自然なような気もします。

ただ、ここから記すある種の人達にとっては固定的で継続的な居場所が必要なんじゃないかと思います。

その人達とは
○友達がいなくて、話したいことも簡単に話せないような人
○家庭、学校、職場、あらゆる生活の居場所において圧迫され孤立している人
○いじめにあっている人
○強い生き辛さを感じている人
○誰にも言えない悩みを抱え込んでいる人

そんな様な人達です。

『苦しくても言えない』
『追い詰められているのに、誰にも話せない、どうする事もできない』
『もう死にたい、すぐにでも死にたい』
『誰にも何もわかってもらえない』
そうじゃなくても、実際の虐待を受けて、すぐそこに生命の危険が迫っている人がいるかもしれません。

何が正しいとか、何が出来るかとか、そういう事は正直今のところ明確にはわかっていません。

ただ、居場所というものが腰を据えて継続的に存在してくれるなら、それだけで、そういう類いの悩みを抱え込んだ人達には、純粋な逃げ込める場所になるんじゃないかと思います。

例えば、そこからゆっくり人の力を借りながら自分の存在を認めていけばいいんじゃないかと。

まず求める人達の為に[腰を据えた居場所]として待ち受け、それから自分自身(西岡)も含め、お互いに長い時間をかけて一緒に生きていく力を取り戻していく、育んでいく。

誰の為の居場所であり、何故その居場所が必要なのか?という事への解答は以上のようになります。

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2-2、交流と発信の基地を築くこと
何故芝居や音楽なのか?また芝居や音楽をそこで上演する意味は?

わきみち堂は、他にはあまり類のない交流と発信の基地になればいいと考えています。
その事を明確に考えるに至ったことには、複雑に絡み合った色んな理由の存在があります。

キーワードとして
1『現代の世間一般の、スポーツと芸術の認識とそれに対する無意識』
2『眠ったままの才能と可能性』
3『“個性〟に働きかける情報と“個性〟同士が純粋に出会う事』
この3つを例に考えてみます。
最初にこの3つの事柄に関しては全て自分の経験からの実感、あるいは強い後悔の念を元に発生したものだとしておきます。

まず1のキーワード。
『スポーツと芸術』
現在自分にとっての両者の位置付けは圧倒的に
芸術>スポーツ です。
そこに偏りがあるのは自覚の上ですし、何もスポーツがくだらないと言いたい訳じゃありません。実際幼少期から20代前半くらいまでは自分も スポーツ>芸術
だったはずです。

では何故現在の自分にとっての両者の位置付けがそうなっていったのかを説明していきます。

まず、思春期のスポーツ(部活動に於ける)に関しては、選択した団体競技に於いて人間関係を上手く築くことが出来なくて、何となく3年間を過ごした後、キッパリそのスポーツを辞めてしまいました。
それ以降はスポーツというものに自らの興味を持って接した記憶がないです。

対して芸術というものに関しては、まず幼少期、思春期は全くと言っていいほど、そこに重きをおいていませんでした。
逆に言えばスポーツに対極したものとしてどこか蔑んだ見方すら持っていたように思います。

それが変わっていったのは、自意識の目覚めとともに、映画(20代前半)→音楽(20代中~後半)→芝居(20代最後半)→本※読書(30歳)→絵画※鑑賞(30半ば)
自分の行く道に、そうした芸術系のものとの出会いが重なっていったからです。

こうして見ると自分が今まで歩んできた道行きに自然な成り行きとして、現在の両者の位置付けがなされているとわかります。
ただ、現在の自分には成り行き上の位置付けとは別に、自己の懐疑から発生した意識的な位置付けがこれを多くしめています。

その事とは
『現代社会はあまりに手放しにスポーツというものを享受し過ぎているんじゃないか?』
という疑問です。
その疑問に対しての1番わかりやすい構図が、自分の過去の体験に於いても証明しています。

思春期の要素の大部分を占める可能性のある部活動。
協調性の育みという建前を前提として、その部活動の普及に於いては、なんの疑いもなく親も子も教師も皆、当然のようにして、十中八九スポーツがそれとして定義されていたと、自分は記憶しています。

稀に美術部や吹奏楽部がそこに立ち現れたとしても、自分の記憶に於いては、それはあくまで全体の大多数に対するオマケ的な存在、という見方が定着していたように思います。

そして、年を重ねて自分が自然に芸術の方面を志向していき、その事で初めて見えてきたものがありました。

それは、実際の世間一般というものが、部活動や思春期云々に限らず、スポーツと芸術という両者が実は同等の価値あるものだという事に、本当のところは全然気付いていないんだという気付きです。

当然、両者を同等のものとしてきちんと捉えている方は数多くいらっしゃると思います。
ですが、それを世間一般という物差しに置き換えれば、本当にごく少数の存在でしょうし、その貴重な存在が、多く可能性を秘めた幼少~思春期の子供達の導き手となり得る可能性は、本当にごく稀ではないだろうかと思われます。

そして、その確率の低さは地域が田舎であるほど顕著なものかと推測します。

こうしたことをもとに
2のキーワードに移行してみます。

『眠ったままの才能と可能性』ということです。

例えば極端な話でスポーツというものに対して、全ての人が何らかの適性(ただ好きというものも含めて)を持っていたらそれはそれで素晴らしいことですね。

ただ、単純に考えてみても、スポーツというものに何一つ適性を持たない人も実際に存在するんじゃないでしょうか。

そういう存在の大事な時期(幼少期~思春期)に、もしも世間や周りの大人から提示されるものがスポーツだけだったとしたら、その存在にとってはただの不幸でしかないように思います。

その時点で自我が発達し、自分の気持ちに添って選択判断をできるような人には該当しないかもしれませんが、大抵の人の場合そうした時期に於いては、まだ自我が未発達の場合が多く、自分で自分の気持ちを推し量ることさえ的確には難しいと思われます。

ただそうした時に、スポーツと併せて芸術というものが同等に提示されたらどうでしょうか。

必ずしもそのどちらかに適性が存在するとは言い切れませんし、どちらにしても自分で判断をくだす事は難しいかもしれません。
ですがそれでも、その選択肢を提示する側があらゆる適性の一致の可能性を考慮した上で両者を同等に提示することが出来れば、その存在にとっての可能性というものに確実な広がりが生まれると思います。

というか何で自分がいちいちこんな事に言及するかと言えば、その答えは単純に自分がその大事な時期に於いて自分の適性のものに出会えなかったからです。

時を経て、何の因果か適性と呼べるものに続けて出会うことが出来ました。ただ出会った時が遅すぎました。
例え適性のものに出会えたとしても、それが時期を逸したものである場合、逆にその出会いが不幸となる場合もあります。

自分の場合で言うと、20代後半で音楽(ギター)に触れたものの、その時にはすでに本当の音楽にとっての感受性のようなものは喪われていて、3年間の間、当時好きだったバンドのコピーを練習し続けましたが、どうしようもない違和感はとうとう拭うことが出来ずじまいでした。

それから30手前で出会った芝居の役者ということに関しては、想像力の欠如というものを本当に痛感させられました。

そんなものは努力と根性でどうにでもなるわ!
というお叱りの声が聞こえてきそうですが、いくら努力と根性でもどうにもならない、そんなものが実際そこにある訳です。

あらゆる種類の物事への、基礎的な適性との順応というものは、ある一定の時期(自分の解釈では幼少期~15、16歳)を逃してしまったら、根源的な意味では獲得が極めて難しい気がしています。
天才的な適性が備わった人は別として。

そして、その獲得を諦めてしまった時の、その喪失感は恐らく、実際にその体験をし、打ちのめされた者にしかわからない類いのものです。

今となってはその体験を逆手にとって有効活用するつもりでいますが、その当時はもがいてももがいてもどうする事もできず、毎日空しくて辛くてたまりませんでした。

もしも自分がその大事な時期に於いて、音楽、芝居、映画、本、それらどれかのものと一つでも出会うことが出来ていたら、とは常に自分が馳せてしまう切実な思いです。

上のような自分は、適性に対する才能を眠らせたまま、いよいよ開花する可能性を喪ってしまった、といういかにも憐れなモデルケースです。

だからこそ、これから自分が出会っていくであろう存在の、その大事な時期にしっかり選択肢を用意して、才能と可能性を安易に潰してはならないと思う訳です。

2つの存在。
『やりたい事があるのに、それを現実に望むことさえ許されず、儚く消えてしまうかもしれない命』
『自分の中に確かな何かがあったはずなのに、その出会いを逃してしまい、さ迷い続けるしかない魂』

自分が特に強く関わっていきたいのはその存在です。

続いて3のキーワードに移っていきます。

『個性』
ここで言う個性とは、やや剥き出しの感受性というようなものです。
それに対して働きかける情報とは、一般向けや大衆向けといった間口の緩く広いものではなく、どちらかと言えば偏って狭い個々に刺さるものを指します。

自分の認識で言えば、ことこの片田舎の町に暮らしていく上で、自分の意志で何らかのアクションを起こさない限りは、そうした類いの情報を自分に向けた情報として受け取る事はほとんど無いに等しいと思われます。

音楽、映画、本などは、消費されるエンターテイメントが主流本流とされ、垂れ流されることが当たり前とされます。
本質的に、少しでも変わった事、常識的でない事などは排除の対象となります。

実際、自分の事に置き換えて見れば、そうした類いの情報に直に接したのは20代後半が最初で、それも自分の意志でアクションを起こした先で発生した出会いばかりでした。
天然自然に環境というものからそうした情報がもたらされる事など皆無でした。

自分がそうしたものと初めて出会ったのは、自発的に初めて観にいった芝居でした。
[目から鱗が落ちる]という表現が即座に口をついて出るくらい感動的なものを覚えました。

それから以降は自分の意識が変わっていったようで、そうした自分自身に対して刺さる何かをだんだん求めるようになって、今ではそうして出会ったものの蓄積によって、何とか自分が生きていられるような気もしています。

本当に、そんな偏った色んなもの(映画、音楽、芝居、本)に、何度も何度も救われてきたんです。

そうした事を考える時、限定される情報というものが思い浮かんできます。

都会という環境であれば、情報は様々な留まる形、留まる場所というものが存在するのかもしれません。
ですが、田舎という環境となると、なかなか情報自体が留まる形に結び付かず、大抵の事は、テレビの中や世間話の中で垂れ流されるばかりです。
限定される情報の留まりとなると、なかなかそれは望めません。

どこにでもある情報の留まる場所として、図書館や学校の図書室(本に関する)、TSUTAYA(映画、音楽に関する)などがある。
ただ、その場所に留まる情報はあまりに広範囲で無制限的なものなので、なかなか個というものに刺さっていかない。求める力を持った強い個は別にしても、それを自らもち得ない弱い個というものは、何をどう求めていいのかわからず、結局途方に暮れてしまう。

だから自分がわきみち堂に於いてやってみたい事は、限定された情報(音楽、映画、本、芝居)を留める事が出来る空間づくり。

限定された情報を明確に表示して、全ての存在の救いや助けにはならなくても、そこに刺さった存在の可能性や世界を開くきっかけになればいいと思う。

もう一つ極めて大事だと認識すること。

そうして個に刺さって目覚めた存在、もしくは目覚めつつある存在や目覚める可能性のある存在。
そのそれぞれの存在が、その空間に於いて個と個として出会う事。

それぞれがそれぞれの個というものに対して興味を抱き、声を交わす。共感し、共鳴する事を知って、そこから生きていく力を獲得していけるかもしれない。

そしてその事こそが、わきみち堂の空間で芝居や音楽などのライブ的な表現をする最大の目的。
そこで目覚めたもの同士が、そこで何かを生み出して、協力しながら助け合いながら、その何かを思うままに発信していけたらいい。

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2-3.表現作品とはどういうものか?また表現作品をそこに展示する意味は?

ここで言う表現作品とは、端的に絵画をはじめとするアート、芸術といわれるところの作品です。

なぜそういったものに、自分が焦点を当てるのか?

実をいうと、そうやって自ら焦点を当てようとしているくせに、自分はそうしたアートや芸術作品にあまり造詣が深くありません。

というのも、30半ばを迎えるまでそういったアートや芸術なんかは自分外の世界のもので、限られた才能、選ばれた才能、そんな人並外れた人達だけが織り成す事が可能なもので、自分にはそれに触れることすらかなわないのだと、疑いもなくそう思い込んでいたんです。

そんな自分の思い込みが、理屈ではなく成りゆきの上で自然に覆された、ある芸術との出会いの形がありました。

それは、前回投稿の折り少しだけ触れた自転車日本旅の途中に訪れたものでした。

長野県は上田市というところに[無言館]という美術館があります。
その美術館には、太平洋戦争で戦没された画学生さんの絵画作品が展示してあります。

自分は最初その地を訪れたとき、正直に言うと、旅中の穴場巡りの一環という心持ちでいたのでした。

当然というか、自分の意志で美術館に行き作品を鑑賞する、なんていう事はそれまで想像すらしてみなかった事なのです。

映画、芝居、本などの造詣によって育っていた『戦争』というものへ思いを寄せる機会としてそこへ立ち寄ったのでした。

自分は、戦争を顧みる一環の行為として、戦没者の方から象徴的な意味合いでの心の揺さぶりを期待していたと思います。

ですがその場で自分が受けた心の揺さぶりは、期待のものと形を異質にしたものでした。

自分は、何はなくとも、戦争で亡くなられた人の遺品だから単純に存在感を放つものだろうと展示物を閲覧し始めた訳です。
ただ、もうそのものの数秒後には全く目新しい何かの感覚に捕らえられていました。
『凄い…』
心の中で呟いていました。

そこにあったものは、戦没された方が遺された尊い遺品ではなく、
純粋に[画学生が己を掛けて描いた表現の作品]だったのです。
何度も何度も足を停めて、熱っぽく作品に見入りました。本当に胸がうち震えました。

それが絵画等の表現作品に対する尊敬心の最初の始まりです。
それからは必ず各地方の美術館には立ち寄るようになりました。今でもその思いは継続されています。

http://mugonkan.jp/

[本当の力を持った事象は1度の行為で、根本的な何かを変えてしまう]
その事は今へと続く大事な認識の在り方の一つでもあります。

やや脱線傾向にあるので話を戻しますが、自分がなぜそういった表現作品というものに焦点をあてるのか?です。

今記したばかりの[無言館]に於ける自分の体験にはある一つの大事な現象が起こっていました。
その現象とは[心の激しい揺すぶられ]というものです。
人間は予想もせずにいるところへ、その予想外の事が起こった時、激しく心を揺さぶられると思います。
そして、その時初めてその存在の内部に於いて、何事かの変容が始まると自分は考えます。

有名無名、はたまた老若男女に限らず、その心の芯を揺さぶる可能性を秘めた作品を思うままに展示する。

公的展示、副次的展示ではない、本気の展示をする。

中途半端な田舎には、人の評判を噂しあい、人の愚痴を飛ばしあい、そのくせ当たり前のように何食わぬ顔で善人面をしあってお互いで笑っているような、そんなどうでもいいような心の揺れに溢れかえっている。

片田舎のそんな中途半端に閉塞しきったセオリーを、自由な表現作品で思いっ切り揺さぶってみたい。

そんな思いがあります。

そして、アートや芸術の作品の力を借りて、またそこから生まれる何か、未来ある存在の可能性の広がりを見届けてみたいです。

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くどくどと長い御託にお付き合い下さり本当にありがとうございます。

ここで
わきみち堂って何?(中編)を締めさせてもらおうと思う訳ですが、
ここで更に大事な事が一つ。

本当に本当に本音のところを言えば、
今まで散々並べ立ててきた、ごちゃごちゃした理屈みたいなものなんかは、実は割りとどうでもいい事であったりします。

わきみち堂の空間に於いて本当に大事にしたいことは、安らぎたいけど安らげない人や、繋がりたいけど繋がれない人達が、その空間を通じ、ごく当たり前の事としてその思いをとげられること。

その人達がそれぞれの瞬間に於いて、
『この場所があって本当に良かった』
と、そう思えるような事が一つでもあればそれで本望な訳です。

欲を言えば、
そこに音楽とか本とか映画とか芝居とか絵とか、そんなものが色々と転がっていて、
自分(西岡)も含め、そこに居る人達が
『何かやってみようか?』ってなれば、もうそれで良いわけなんです。

この投稿をしている現在、店舗案として実家の蔵を採用する事に決めました。

今回投稿記事のトップ画像は、蔵のてっぺんの鬼瓦さん。
そしてすぐ上の画像↑が現在の蔵内部の状況ということになります。

そんな訳なので、実は今、この内部の道具を納める物置小屋を自らDIYっているところです 笑

それからもう一つ
前回投稿
わきみち堂って何?(前編)
のトップ画像が、蔵の2階部分の空間に当たります。
軽くもう一度、お目通しのほどよろしくお願いいたします。

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