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真夜中の自転車 #001/自転車とコンプレックス

 そういうタイトルの本を書いてみたいと思ったことがある。しかしどうも商業出版的にはこのタイトルは難しいようで、だから note でちょっとやってみようかなと思った次第。仰々しくも3桁のナンバリングを用意してはいるが、そこまで続くかどうかわからない。ま、気が向いたとき、ときどき書いてみる、という程度だろうか。

 人は深夜になると、昼間とは違うモードで、喋ったり聴いたりしたくなるらしい。ラジオの深夜番組なんて、まさにそういうことだろうし。
 真夜中に自転車に乗る人も、ブルベのように特別高度でリスクの高いトライアルをする人以外、一般的にはあまりいない。私にもそういう傾向はほとんどない。だからまあ、私がこんなタイトルを使ったのは一種の気障のようなものかもしれない。飛行機好きなら "Vol de nuit" (夜間飛行)と名づけるようなセンチメントと一緒なんだろう。

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 陰と陽、夜と昼、内と外。そういう二極的概念にやや無理矢理にでも当て嵌めようとすると、自転車や自転車乗りはだいたい後者の眷属と考えられることが多い。特に、2000年頃以降の、ここ半世紀のあいだでは直近の自転車ブームにおいては、自転車カルチャーというものは、意識の高い人間が担うもの、みたいな考えが無言のうちに採用された。

  そう言ってはなんだが、個人的にはそれは迷妄の類ではないか、と思ったりする。「自転車依存症」になったりするような人々を多く見てきた私などからすると、サイクリストがオピニオンリーダーやモラリスト、今風に洗練された人種などと見る見方は、すまぬが馬鹿げている。馬鹿げていないとしたら子どもっぽい。
 この点では、「俺たちなんてどうせアホだからさ」みたいに開き直っているモーターサイクリストのほうがまともなように私には思える。モーターサイクリストにもいろいろあるだろうが、彼らは四輪車よりも燃費の良いモデルに乗っていても、環境のため云々などと言うこともないだろうし、世間からよく思われようと思うこともないであろう。モーターサイクルに乗って偉くなろうなどと思うやつは、レースでもやって表彰台の上に登りたい奴以外にはいない。しかし、どうも、近年の自転車の世界には自転車で偉くなりたい人がけっこういるように見える。

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 本題に入るとしよう。このことは私の研究結果ではなく、さる方から教えていただいたのだが、自転車乗りというのは、精神分析的に言うと、どうもファザーコンプレックスの傾向が強いらしいのである。
 括りで言うと、自転車だけではなく単車=モーターサイクルも同様の範疇らしい。単車が「男根的」だということは、この種の乗り物に関する著作で読んだことがある人が少なくないだろう。
 私に教示してくれた人によると、こういうことは、動力付の乗り物で、いわゆる暴走行為に熱中する人々の調査を通して明らかになってきたことらしい。そしてこの場合、乗り物は二つに大別される。単車=二輪車か、四輪車かである。
 そして暴走行為に及ぶ人も、たいがいはそのどちらかを選ぶ。どちらかを得意とするのである。二輪車を選ぶ人の場合、精神分析的にはファザープレックスに強く傾斜しているらしいのだが、ご想像の通り、四輪車は逆にマザーコンプレックス傾向が、乗る人に顕著であるらしいのだ。二輪車が「男根的」と言われる文脈では、四輪車は「子宮的」と言われる。

 ファザーコンプレックスやマザーコンプレックスについて詳しく説明できるほど心理学的知見はないのだが、ここで言う「ファザコン」や「マザコン」は、父親や母親に対する特別な追慕の情だけを指すのではない。私に教えてくれた人によれば、父親や母親に対して強い抵抗感やネガティブな感情があっても、それはコンプレックスであることに変わりはないそうだ。
 父親が好きで父親離れができない人も、父親が憎くて距離をとってしまった人も、同様にファザコンなのだそうである。どっちにもしても、強く意識しているということだからである。
 父親が立派な人間であろうが、逆であろうが、どちらもコンプレックスを生む源になる。亡くなったりして、父親がいなかった場合も、同様である。

 このようなことを聞いたとき、私は半ばぞっとするような思いもあったが、またひどく腑に落ちたのでもあった。私は生前の父と良い関係にあったとは言えない状況だったが、私の周囲のサイクリストにも同様の事例は少なからず見当たるようにも思えたからである。また逆に、父親とやたら仲が良いという例も聞いたことがある。それもファザコンの表れなのであって、良い悪いではなく、通常より強度の高い感情が介在しているならば、それが当人を、四輪車よりも二輪車に導くということなのだ。
 これを大学院等での調査等に取り上げた例があるかどうか知らないが、研究する価値は十分あろうし、また周囲を見回すだけで、思い当たる例が多いという人はたくさんいるのではなかろうか。

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 そういう事情や背景を勘案すると、自転車に乗ることに何か倫理的、道徳的、ファッション的な理由をつけるのがアホくさくなるのである。「アホだから自転車に乗って旅をするんだよ」と言っていたほうが、よほどすっきりしている。
 念のために書くが、ファザコンやマザコンが悪いわけではない。むしろそこから完全に自由な人のほうが珍しいくらいだろう。ただ、そのことに意識的であったほうがいいと思われるだけだ。そうでないと、ファザコンやマザコンに別のものをすり変える場合だって出てくる。
 私はファザコンでもマザコンでもないから、二輪車や四輪車には用がないという向きがおられれば、一輪車や三輪車を選ぶという手もあるかもしれないが、それで立派な大人のように見えるかははなはだ疑問である。

(このシリーズの続編は真夜中の自転車 #002 です)

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