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フルート・コンプレックス

私はリコーダーを吹いている。リコーダーというのは、多くの人に知られている楽器である。本質的な部分を知る人は多くはないが。

この楽器がバロック期には花形楽器であったにもかかわらず、古楽器としての側面が半ば忘れ去られている理由の一つは、小学校から高校に至るまでの学校教育で実質的に習得を強制させられる楽器になってしまったからである。

リコーダーが学校で使われるようになったのは、その楽器の音が容易に出ること、楽器自体が樹脂製ならば廉価であること、楽器が小型で携行が苦にならないこと、などが挙げられよう。

しかし「私はリコーダーを吹いています」と言っても、一般の人にリスペクトされることはほとんどない。「学校でやったあの楽器でしょ」ということになる。故人になってしまったが、私に愛用のヤマハ木製アルトリコーダーを贈ってくださった某大学の名誉教授も、そんなことを嘆いていた。

ちなみにこれは日本国内の音楽教育だけに限られるわけではなく、諸外国でもそうなっているようで、日本の樹脂製リコーダーはずいぶんと輸出もされているようだ。

映画『小さな恋のメロディ』でも、トレイシー・ハイド演じるメロディがソプラノリコーダーを吹くシーンがある。日本では小学生が吹くソプラノリコーダーは、C durでの運指が容易なジャーマン式であることが多いようだが、あれはイギリスが舞台だったので、イギリス式(バロック式)だったのかもしれない。

さて、ピアノのような鍵盤楽器は、幼少のうちから習い始める人が少なくない。もっと少数派にはなるが、ヴァイオリンのような弦楽器も子供サイズのものが作られており、早い時期からトレーニングをすることが可能だ。

そう言えばそれで思い出したが、こないだ市内の生涯学習交流館で私の所属しているリコーダークラブが出演するのを聞きに行ったときに、低学年の小学生を中心とした吹奏楽バンド(6名くらい)が演奏したのだが、トランペットはもちろん、クラリネットを吹いた子供も、通常の大人サイズの楽器を見事に扱っていたので感心した。

そういう例外もなかにはあるけれど、ふつうは、金管楽器や木管楽器などの管楽器に人が触れるようになるのは、中学生になって吹奏楽、いわゆるブラバン=ブラスバンドに入るようになってからだ。

ブラバンで扱う楽器の大半は管楽器で、リコーダーのように簡単に音が出るものはほとんどない。トランペットにしろ、トロンボーンにしろ、クラリネットやサックスにしろ、その楽器らしい音が出せるようになるまで、かなりの修練が必要となる。

私は中学生のときにブラバンだったが、打楽器だったので、音そのものは簡単に出せた。今考えると、ほかの楽器をやるべきだったと思うけど、過去は変えられないので致し方ない。

ブラバンで簡単には音の出ない楽器の一つに、フルートがある。そして私は今現在も、この楽器に多大なコンプレックスを抱いているのである。ピアノにもそういう面があり、一時期自己流でそれなりに練習したこともあったが、結婚相手が私よりずっとピアノが上手いし、今もって情熱も衰えていないので、私のピアノ欲は近年だいぶ収まってしまった。

管楽器のほうは身近にやる人が少ないせいか、今もって色々な思いがあり、その筆頭はフルートなのだ。中学生のとき、憧れの同級生がフルートを吹いていて、ずいぶんと切ない思いをさせられた。フルートには、麗しき女性が吹くというイメージがある。

親戚の叔父がサックスのほかフルートもやっていて、ジャズっぽい演奏を聴かせてくれたことも印象に残っている。フルートには、端正なクラシックの演奏という面のほかに、アドリブの似合う楽器という面もある。

そういうこともあったからか、高校に入学してオーケストラ部の門を叩いたとき、最初に希望した楽器はフルートであった。しかし現実は甘くない。「基本的に経験者を優先します」ということだったので、泣く泣く諦めて、ファゴットの部屋に行った。2枚リードの楽器は中学でやることは少ないのだ。

そうやってフルートへの憧れをどこかに持ち続けながら、私はクラシックギターもやり、合間に少しリコーダーも吹いたりしていた。時が流れるのは早い。自分はもう63歳になってしまった。

私にローズウッドのヤマハ・アルトリコーダーを下さった友人も学生時代にはフルートを吹いていたらしい。亡くなってしまった今は、その頃のことはもう想像してみるほかないのであるが。

モダンフルートも近代楽器であるがゆえ、リコーダーに比べれば音量はやや大きいが、管楽器の大家族の中では、比較的古楽器に近い性格を備えているように思われる。音に厳しい集合住宅などを除けば、家庭でふつうに練習できる音量なのだ。

音域が3オクターブあるというのも羨ましい。リコーダーは2オクターブとちょっとだからね。

ただし構造の複雑な近代楽器ゆえ、良いものの値段は張る。リコーダーは一部にキーシステムを備えたモダン・アルトリコーダーのような楽器でも30万円くらいで入手できるが、フルートの良い楽器は100万に達する。

もっとも中古楽器も多い。だから、今からでも始めればいいじゃないかという声も聞こえてきそうだ。YouTubeには女性のフルートの名手がバッハの「シャコンヌ」を吹くファイルがアップされているが、そういうものを聞くと、さすがに考え込まされる。

余談になるが、私は体質的にシルバー(純銀という意味ではなく、色として)や木材が自分に合っているので、ゴールドのものを除くフルートなら相性がいいはずなのだが、残念ながらフルートを吹く縁には恵まれなかった。

私はリコーダーのへっぽこアマチュア奏者として、あと何年になるか知らないが、残りの人生を生きてゆくことになるだろう。でも心の隅のどこかには、今でもフルートとフルーティストへの憧れがあるのだ。

フルートの名曲は多岐にわたるが、個人的に最大のリスペクトを払っているJ.S.バッハの作品中では、フルートのために書かれた曲としては、「無伴奏フルートのためのパルティータBWV1013」を深い敬意とともに推す。「この曲をやるためだけにフルートを吹いてもいい」と思わせる曲であり、先鋭な霊感と豊かな和声(感)に満ちている。


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