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休学したときの話


大学を休学することにした年、カミュの「シーシュポス神話」を読んでいた。「真に重大な哲学上の問題はひとつしかない。自殺ということだ。」という文章で、自分に猶予する期間を与えるべきだと思った。幸いなことに国立の大学である母校では、休学中の学費は全額免除された。田舎に手紙を出すくらいの感覚で、大学の事務所に休学届けを提出し、誰かから何を言われることもなかった。半年前にした精神薬の過量服薬の後遺症なのか、ずっと身体はぼんやりと怠かった。搬送された病院で、主治医から「急に心臓が止まることがあるかもしれません」と言われて、「ベロニカは死ぬことにした」みたいだと思った。当然だけど、親族の誰も見舞いに来なかった。自殺未遂したあとは、しばらく躁状態になる。読んだ文字が、聴いた音楽が、血管に流れこんでくるかのように染みてくる。情報処理が速くなるとか、思慮が深くなるとか、そういうことではなく、ただただ身体を流れて浸透圧で染みこんでくる。「シーシュポス神話」は、自分が生きるに値するか否か、まっすぐに実存を問いてきた。一年間休学して、適当なアルバイトをしながら、大学の図書館にある本をほとんど読んだ。どの本のことも、読んではすぐに忘れていった。最終的に「生きるのに意味なんて必要ない」と、凡庸なことを思いながら、次の年に復学した。

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