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 今、振り返る19世紀からの思想の歩み(9)昭和3年の本…もったいなかった

 ぼくの勉強してきたところでは、やはり19世紀後半、そしてロシア革命の思想が、結果として様々な思考錯誤を流産させたと思うのである。その間、帝国主義、資本主義は幾度も危機を生み出し、その度に新たな顔を見せた。そのことを思い、考えてみたい。
 
  「絶体絶命」とか「極限状況」にあった場合、例えば戦場で、どこに連れていかれるか分からない場合を、できる限り想像してみる。身につまされることだが、それでもかなり原体験とは離れるものだ。明日どころか次の瞬間にすべてと別れなければならないとする。この、避けようのない、逃げようのない立場に置かれた場合、例えば兵隊さんの気持ち、その人生を思う。
 野戦病院に運ばれた親父の兵隊生活を思っても、そのほんの一部しか、それもちょっとしか知らないのである。階級が一つ違っただけで、殴るけるをする者があり、父などはベルトで顔をやられた話を一度したことがあるし、小さい頃、風呂を一緒した時、胸のかなりの部分にわけが分からない傷が散っている。「どうしたの、それ?」と聞いたら、「あぁこれね、散弾銃の跡さ。意識が無くなってね、トラックで野戦病院へ運ばれたんだが、途中で気が付いて、隣に中隊長が寝て居たよ。」
 「声を掛けたら、頭をやられていてもう死んでいた。弾丸はおそるべしで、額の穴は小さいんだが、後頭部はもう無残に大きく空いてたなぁ。・・・あぁこれってなにか分かるか。小さな傷だ。」と胸の傷一か所を指した。それは弾丸の跡で、胸のボタンに当たったから助かったと言っていた。
 余り具体的なことを話したりはしなかったが、産経新聞で長期にわたる戦争のある連載記事を熱心に読んでいたことは忘れられない。戦争生活の極限を知っているに違いないし、つらい体験がどれほど続いたことか、想像もできない。

 戦後生まれのぼくの世代は、かなりのことを知らないで済んだ。それでも、ぼくは「戦争を知らない子どもたち」という歌が突然流れてきたとき、その歌詞の甘ったれた内容に唖然とした。こういう時代になっちゃったのかと思った。ぼくらはぼくらなりに次代に取り組むという、そういう意気がまるっきり落ちていたし、それを当然のことのように歌って世に流す。これを若者の気持ちと思われては迷惑だ、と反発した。とは言っても、まだ文部省を始め、大抵は上意下達という戦前の高等学校の教育が保たれていた状態である。それへの抗議があったことは認めてよいが。
 しかし、その後の学生運動などを体験すると、なるほど「戦争を知らない」とはこういうことだったか、と思わされた。つまり、各派に分かれて「戦争ごっこ」を一生懸命やっていたのである。無論その中に真実性がまるでなかったというのではないが、前の大人は、戦争に反対せず、大半は敗戦まで唯々諾々していたのだから、振り返るなら、「なんて馬鹿な」と言うしかない、と思ったのだろう。
 ぼくらは極限を知らない。逃げようも、逃れようもないところまで追い込まれたこともない。それなのに、大きな口をたたいたし、酷いケースでは暴力につぐ暴力が「革命精神」だと思う輩もあって、長い目で見ることをしない、社会の基礎や民主主義の基礎や自由ということを学びもしなかった。一知半解とも言い難かったとぼくは思っている。だから、それに続く世代がどうか、考えて今を生きることをしないで済んだ。しかし、昔から言われるように、歴史というか、以前にこだわることを忘れては、必ず大きなしっぺ返しを食らうのである。

 先日、本箱を整理していたら、若い頃に古書店で買った立派な本に出合った。『世界大思想全集』(春秋社版)の中のある一巻(昭和3年(1928年)12月発行)だ。
 何と言っても、大正14年(1925年)に制定された「治安維持法」が、緊急勅令で新たに厳しい取り締まりを始めた年である。ちなみに、「3.15事件」(非合法の無産政党の設立および日本共産党等の活動員数千名を検束、検挙された者は約300人に及ぶ事件)が起きたのもこの年だし、左系教授を締め出す文部省方針もこの年だ。
 芥川龍之介はこの前年自殺し、この前亡くなった創価学会の池田大作氏はこの年に生まれている。張作霖爆殺事件など、取り返しのつかないきな臭さが世を包み始めたのである。
 まぁ、あれこれキリがないところだが、後はもう一度振り返り考えて欲しいということだ。
 この本は若い頃に買って、いつか読もうと思っていたものだが、頑丈な作りになっていて、本当に昔の本づくりの良心には驚き、感心する。こうした本が作られなくなるし、内容的にもあれよ!と思う記述が散りばめられているではないか。たとえば・・・。  

 「併しながら、若しもその暴力が経済学上の力として、如何にして又如何なる時、予期の如き結果を生ずるように作用するか、といふ問題に当面するならば、ヘーゲルの弁証法はもう何の役にも立たぬであろう。さればその場合に、大過失を犯さざらんと欲するならば、具体的の諸事実と精密に—―『形而上学的』に—―定義された諸概念とを参考とせざるを得ない。ヘーゲル説の論理上の転倒は、げに急進的にして且つ機智縦横的な色彩を帯びてゐる。又ヘーゲル説は鬼火を示すように、漠然たる輪郭の彼岸の眺望を示してゐる。併しながらヘーゲル説を信頼して、進むべき道を選ばんか、直に必ず沼澤に陥るであらう。」(82頁、松下芳男訳、ベルンシュタインの文章。旧式の漢字は改めた。)

 ぼくも哲学会に属する人間で、弁証法については、古代ギリシャ哲学者たちの議論やヘーゲルのそれを知らないわけではなく、ある程度は直接読んで、考えてきた。正直言って、上の引用などぼくの考えと相違しないので驚いた。百数十年前だから本当に驚いた。こうした議論を今日の「沼澤に陥」った状況を前にすると、何ということだということになる。

和久内明(長野芳明=グランパ・アキ)に連絡してみようと思われたら、電話は、090-9342-7562(担当:ながの)、メールhias@tokyo-hias.com です。ご連絡ください。         

 


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