「英国型プラットフォーム」と2つのキャピタリズム――「プロデュース理論」で比較する日英のイノベーション環境(橘宏樹『現役官僚の滞英日記 オクスフォード編』第6回)

今朝のメルマガは橘宏樹さんの連載『現役官僚の滞英日記』をお届けします。今回は、「知」の集積を中心とした「英国型プラットフォーム」の堅牢性を分析しつつ、イノベーションを起こしやすい環境を作り出すために必要な条件について論じました。

▼プロフィール
橘宏樹(たちばな・ひろき)
官庁勤務。2014年夏より2年間、政府派遣により英国留学中。官庁勤務のかたわら、NPO法人ZESDA(参照)等の活動にも参加。趣味はアニメ鑑賞、ピアノ、サッカー等。

※本稿の内容(過去記事も含む)に関して、皆様からのご質問や、今後取材して欲しいことを受け付けたいと思います。こちらのフォームまたはTwitter(@ZESDA_NPO)にお寄せいただければ、できるかぎりお応えしたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。

▲議会内で開催された国際女性デーを記念したイベントの様子。関連の各種国際NGO団体の活動家たちが一堂に会しています。主催者は壇中央の男性、トム・ブレイク下院議員(自由民主党)

 こんにちは。橘です。みなさまいかがお過ごしでしょうか。オクスフォードでは花々も綻び始めて、段々と暖かい日和の日も増えては来ていますが、まだまだ寒い日も多く、朝晩は冷え込みますし、4月も近いのにコートにマフラー、手袋が未だに手放せません。学校のほうは9週間の2学期があっという間に終わり、間もなくイースター休暇に入ります。多くの友達が、休暇や学位論文のフィールドワークのためにイギリスを離れていきます。ときに、日本ではクリスマスやバレンタインやハロウィンのように、イースターでも関連ビジネスが流行っていると聞いていますが、本当なのでしょうか(笑)?

 さて今回は、尾原和啓さんのプラットフォーム(「配電盤モデル」)という概念をお借りしながら、「インテレクチュアル・キャピタリズム(intellectual capitalism)」とも呼べそうなオクスフォード大学の知的活動を分析してみようと思います。
 さらにその上で「英国型プラットフォーム」の描写を試み、その内部で展開する「プロデュース活動」と「ソーシャル・キャピタリズム(social capitalism)」の存在を指摘したいと思います。これらの長所や日英のイノベーション環境の相違点を説明するために、「プロデュース理論」を考えてみました。プロデュース理論は、連載第10回(参照)で言及した「媒介者(カタリスト)」が果たす機能について詳述しつつ、システムの形に整理してみたものです(なお、インテレクチュアル・キャピタリズムもソーシャル・キャピタリズムも、いわゆる「お金」の資本主義(キャピタリズム)を補完する新概念としてすでに巷にある単語です。それらの定義は必ずしも一定していないと認識していますが、本稿での僕の用い方は一般的な用法から概ね外れていません)。

よろず、いつにも増して覚束ないところが多々ある論考で、お恥ずかしい限りですが、試論としてご参考いただけましたら幸いです。


1.インテレクチュアル・キャピタリズム

■「配電盤モデル」としてのオクスフォード大学

 学期が終わって一息つくなかで、遅ればせながら、我らがPLANETSの連載から生まれた尾原和啓さんの『ザ・プラットフォーム:IT企業はなぜ世界を変えるのか』を読了しました。大変に明解でありながらも深遠な示唆に富む内容で非常に勉強になりました。本書において尾原さんは、プラットフォームを、参加者が増えれば増えるほど価値が増すもの(主にはSNS等のITサービス)であり、共通価値観によって運営されるものとして定義しつつ、「日本型プラットフォームの例として、リクルートの「B to B to C」サービスを提供する「配電盤モデル」の強みについて描写しておられました。
 これは、ホットペッパーやゼクシィ等の情報誌に広告を出す企業(サプライヤー)とユーザーの間に介在し、サプライヤーが増えれば増えるほどユーザーが増え、そしてユーザーが増えれば増えるほど、サプライヤーが増えるというループを回転させていくモデルです。そして、このループはユーザーの「幅」や「質」をも向上させていくことで、サプライヤーの増加をさらに加速させていきます。よって、持続的に儲かるビジネスモデルとして成立していくとのことでした。

 このモデルを大学教育に応用するならば、サプライヤーは学者・研究者、ユーザーは学生・一般市民に当たり、オクスフォードのような世界のトップ・ブランド大学にも、「配電盤モデル」のアナロジーが当てはまるように思われました。学生/研究者の幅と質が向上すればするほど、世界中から研究者/学生が集まってきます。共有価値観は探究心、好奇心、進取の気性、多様性、論理性などになるでしょう。
 ただし、サプライヤーとユーザーには既存の参加者側が設定する入学基準という質のフィルターがかかっており、同窓会はともかく現役の在籍者数に天井がある点では変則的かもしれません。
 また、大学というプラットフォームが「配電盤モデル」を運営して永続的に生み出しているのは、お金ではなく「知」だということが重要ではないかと思います。知とは、発想や解釈、テクノロジーなど人類にとって価値のありそうな情報です。オクスフォード編第2回(参照)でも触れたように、毎日毎日この街のそこかしこで異常な数のセミナーやイベント、フォーマルディナーが催されています。面白そうな催しが同じ時間帯に何件も重なり、もはや飽和していると言えるほどで、それでもなお果てしなく積み上がっていきます。知の集まる場所に知がますます集まっていく無限ループが回転しているように見えるのです。


■ 圧倒的な豊かさのなかで

 おびただしい数のイベント告知が届くメールボックスやFacebookをチェックしていて、いくつか思うことがあります。

 ひとつは、圧倒的な豊かさのなかで初めて育まれる何か、至れない心境というものがあり、それが学究活動のバックボーンになっているのだな、という実感です。オクスフォード大学の学生はみなが必ずしも金持ちの子弟であるというわけではありません。しかし、オクスフォード大学という組織と施設には、この国の支配階級が800年かけて築いてきた富があります。これまでこちらに掲載してきた写真などでもお分かりになるとおり、カレッジの建物は、古いものは貴族の邸宅のよう、新しいものは会員制高級ゴルフクラブのクラブハウスのようで、それぞれに趣と高級感があります。そこかしこに趣味の良い絵画や彫刻が飾られており、寮の掃除も週に一回、業者がしてくれます。カレッジによっては、ジムもサッカー場もテニスコートもBBQ場もバーもあり、最高級のピアノを据え付けた音楽堂ではプロの音楽家を招いたリサイタルが催されます。受付には優秀なポーターが常駐しワンストップで多くのサービスを捌いてくれ、お茶の時間には給仕さんが談話室でお茶を淹れてくれます。

 特に古いカレッジのフェロー(教職員)専用の談話室の家具はひときわ高級感が漂います。テレビや映画で断片的に見かけた「昔の英国貴族ってこういう感じなのだな」というイメージ通りの世界で、行き届いた設備やサービスがあります。学費を収めればそれっきり、ほぼすべてが無料で利用可能なのです。

 もちろん少しの不便はありますし、学費も決して安くはありません。しかし、日本の中流の家に育ち、財政逼迫の昨今、出張の際には時折、旅費から足も出るような公務員生活を送ってきた僕からすると、ここに蓄積されてきた富や享受できる豊かさには、しみじみと驚嘆させられてしまいます。「ここには金があるなあ。日本には金がないなあ。」と(もちろん日本にもお金持ちはいますし、オクスフォードの財政も楽ではないようですが)。

 そして、学生たちは生活「感」から解放されて、深々とソファに足を組んで思索に耽る余裕が与えられ、教授らに知性を厳しく磨かれる時間に多くを充てられる、という恩恵にあずかっています。カツカツ、せかせかしていてはダメ。ここでは「深遠なる知性を育むには、心を落ち着いて研ぎ澄ます余裕がないといけない」と考えられているようです(道理で学者になった僕の日本の同級生には、お金持ちの家の子が多いわけですね)。

 そういう意味ではオクスフォード大学は、奨学金を得て入学してくる必ずしも裕福ではない層の世界中の学生へ、知性を育む機会と環境を再配分する機能を果たしているとも言えるように思います。


■ 加速する知の集積(インテレクチュアル・キャピタリズム)

 また、知的刺激を受けられる機会や発表される知が、個人が消費できる量を物理的に超えて積み上がり続けていく環境を目の当たりにしていると、この営みはどこまで続いてくのだろう……と呆然とするときがあります。その圧倒的なスピードと量に、もはや恐ろしさというか、非人間的な何かを感じるときすらあります。知の集積という営みの眼中に、知を消費するユーザー(学生・研究者)は、とうの昔から入っていないのではないか、と。

 もちろんこれは、単に僕があちこちに登録しすぎて、手元の告知情報が氾濫しているだけだとお笑いの方もおられるかもしれません。それは否定できませんが、知が集積していく流れそのものが、ITによってかなり可視化される時代になって、僕はある種の圧迫感も感じています(僕が若さと元気を失っているからかもしれませんが)。

 例えば、加速する資本主義経済を評して、人間がその欲望によって富を集積しているというよりも、お金それ自体が集まるところに集まって果てしない自己増殖を望んでおり、銀行や投資家などの活動はその意志に傅(かしず)いているに過ぎないように見えてくる、という人がいます。オクスフォードに限らず、全世界の大学・研究機関・学者の知的活動の全体に思いを巡らせたとき、僕はそれに似た感覚を覚えることがあるのです。

 もしかしたら、大学という「配電盤モデル」とは、知が新たな知を産む自己増殖のために、世界中から最良の脳を選別して大量に掻き集めるシステムなのではないか。
 サプライヤーもユーザーも、もはや人間ではなく、参加主体は知そのものなのではないか。
 人間の脳はそれを運んだり加工したりするサブシステムに過ぎないのではないか。
 より良い脳を掻き集めるために、知が富や名声を集積しているのではないか。

……という「錯覚」に囚われる瞬間があります。これは前回の記事(参照)で取り上げた、人工知能がより優れた人工知能を自ら生産することにより、人間のコントロールを超えてしまう「シンギュラリティ」に対する漠たる恐怖感にも通ずるところがあるかも知れません。

 オクスフォードで暮らして半年が経つなかで、怒涛の如く「知」が集積を続けるプラットフォームから享受できる恩恵を満喫する一方で、ある種の疎外感・圧迫感も感じたりもしています。近年、「お金の蓄積だけではダメで、知の集積も大事」という文脈で、インテレクチュアル・キャピタリズムという概念が語られることがあります。僕は、インテレクチュアル・キャピタリズムに、非人間的、脱・人間本位主義(ポスト・ヒューマニズム)な側面を感じている、ということなのかもしれません。

▲上から見たオール・ソウルズ・カレッジ。数名の大学院生と研究者(フェロー)のみが所属しています。38のカレッジの中でもトップクラスに裕福です。本当に選ばれた天才的頭脳しか受け入れないとされており、後のノーベル賞受賞者も不合格にされたとか。一方で、その超然主義は度を逸しているとの批判も受けているようです。


2.英国型プラットフォーム

■ 英国型プラットフォームとその共通価値

 さて、尾原さんのプラットフォームという概念をまだまだ借用しつつ、この1年半、僕がイギリスで見聞したものを総合しながら、考えてみたいことがあります。それは、イギリスにも「英国型プラットフォーム」というものがあるとすれば、それはどういうものか、その競争力はどういうところにあるのか、ということです。

 英国型プラットフォームなるものがあるとすれば、その特徴は、まずサプライヤーとユーザーが増えれば増えるほど価値が増す構造と流れを維持しつつも、プラットフォームへの参加資格に絶妙なフィルターをかけている点にあるでしょう。
 たとえば、上記の通り世界的に有名な英国の大学、様々な資格基準を共有し移民要件において優遇されているコモンウェルス(旧大英帝国植民地。53ヵ国に及び、そこで22億人が暮らす)や、既存会員の推薦状がないと入れず会費も高額な各種のクラブやソサエティ、大学の同窓会、ロンドン中心部のシティと呼ばれる金融街のコミュニティがその典型例だと思います。境界と選別(フィルタリング)をコントロールしつつ、参加者に与えられる特権によって、プラットフォーム外の人々を誘引すると同時に、内部からの離反を防ぎます。プラットフォームの運営者は、優れたバランス感覚と先読み能力、スピード感によって、プラットフォーム内部のイノベーション力や評判を維持し、内外に対してプラットフォームの魅力を保とうとします。

 それから、英国型プラットフォームの共通価値は、おそらく「信用と献身」だと思われます。プラットフォームに参加を許された者は、みな信用のおける人物とみなされてお互い安心して交流を深めていくと同時に、各自コミュニティへの貢献が求められます。「信用があるから貢献を求められ、貢献によって信頼が高まる」というループもあります。何が信頼に足り、何が貢献と認められるかの判断基準は、ためらわず言ってしまえば、伝統的に、オックスフォードまたはケンブリッジ大卒の高学歴白人男性(「ジェントルマン」)らのモラルや知性のバイアス下にあると言っても良さそうです。

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