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京都精華大学〈サブカルチャー〉論 第8回 富野由悠季とリアルロボットアニメの時代(後編)

本誌編集長・宇野常寛の連載『京都精華大学〈サブカルチャー論〉講義録』。今回は『ガンダム』以後のロボットアニメについてです。ガンダムが開拓した「リアルロボットアニメ」という可能性からは、『超時空要塞マクロス』や『装甲騎兵ボトムズ』『聖戦士ダンバイン』といった作品が生まれます。ここから、80年代に起きた時代感覚の変化や、新しい社会に対する批評性の萌芽を読み解きます。(この原稿は、京都精華大学 ポピュラーカルチャー学部 2016年5月13日の講義を再構成したものです)

「三角関係のBGM」としての最終戦争――『超時空要塞マクロス』

 『超時空要塞マクロス』(TV版は1982年放映開始/劇場版『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』は1984年公開)は今に続くマクロス・シリーズの第1作で、宇宙戦争ものであると同時に宇宙人との「ファーストコンタクト」を描いた作品でもありました。地球人と「ゼントラーディ」という宇宙人が遭遇して戦争が起き、主人公の一条輝(いちじょうひかる)はパイロットとして活躍していくという物語ですね。
 ところが『マクロス』の本題はそこじゃありません。宇宙戦争でもなければファーストコンタクトでもなく、主人公と二人の女性との三角関係です。ヒロインの一人目は、もともと輝の近所の友達で、やがてアイドルデビューしていくリン・ミンメイ。放送当時の80年代前半、松田聖子や中森明菜などに代表されるアイドルブームがあって、それを背景に設定されたキャラクターです。声を当てていたのも飯島真理というアイドルでした。もう一人は、輝の上官である早瀬未沙という歳上の女性キャラクターです。そして主人公の輝くんは、延々と「アイドルデビューした友達と仕事で知り合った美人上司のどっちと付き合うか?」という、まあ、端的に言って極めてどうでもいいことについて悩むことになります。でも、この「どうでもいいこと」が真面目な話を押しのけて本題になる感じが、1980年代にはクールだったわけです。「政治の季節」の反動ですね。「意味のない」ものをでかでかと掲げることが、一番批評的な態度だった。
 現在まで続くマクロスシリーズはすべてこれを基本にしています。最近の『マクロスF(フロンティア)』もそうでしたし、今度の『マクロスΔ(デルタ)』もおそらくそうなっていくだろうと思います。だいたいの場合、メインヒロインがフラれるパターンが多いんです。この第1作でも、輝は結局上司の早瀬未沙と付き合うことにして、メインヒロインのはずのリン・ミンメイがフラれてしまう。まあ「アイドルは恋愛しちゃいけない」という事情もあるんでしょうね(笑)。

 『マクロス』にはもうひとつ面白い側面があります。そもそも敵として出てくるゼントラーディは文化を失った戦闘民族なんですね。だからアイドルの歌を聴くと感動して戦争するのをやめてしまう。これはマクロスシリーズを知らない人には突飛な設定に見えるかもしれませんが、80年代当時の若者たちの感覚をよく表していると思います。
 これ、さっき説明した「意味のない」ことを追求することこそが意味がある、という当時の世相と関係しています。80年代の若者は「戦って世の中を良くしていく」ということに対して醒めていた。というか、それが知的であることの条件ですらあった。だからアイドルやアニメのようなサブカルチャーに「あえて」耽溺してみせること、がクールだったわけですね。

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