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u-note(宇野常寛の個人的なノートブック)

宇野常寛がこっそりはじめたひとりマガジン。社会時評と文化批評、あと個人的に日々のことを綴ったエッセイを書いていきます。いま書いている本の草稿や没原稿、なども載せていく予定。SNS… もっと読む
僕はもはやFacebookやTwitterは意見を表明する場所としては相応しくないと考えています。… もっと詳しく
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「個人的なノートブック」を再開します。

突然ですが、個人のノートブック(定期購読マガジン)を再開します。3年ほど前に、実は少しだ…

宇野常寛
2年前
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平成の「改革」という「物語」が終わったあとに、この国の政治に必要なことは何かを考…

さて、やはり先日の衆議院補選についてはさすがに書いておかないといけない。僕は東京15区で乙…

宇野常寛
9時間前
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「贈与経済」は「怪獣使いと少年」を救えない(むしろ追い詰める)という話

 久しぶりにある本を読み通して、うーん、さすがにこれは……と頭を抱えこんでしまった。その…

宇野常寛
5日前
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「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」という問題に対しての僕なりの解答

三宅香帆さんのベストセラー新書『なぜ働いてると本が読めなくなるのか』を先日読み終えた。世…

宇野常寛
6日前
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「敵」が醜く描かれる世界は果たして「リベラル」であり得るのか(たぶん、難しい)と…

 少し前に映画『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』の映画版(前編)を観てき…

宇野常寛
8日前
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「なぜタイムラインは誰かを常に糾弾し、連合赤軍は仲間をリンチし続けたのか」という…

 さて、ここ一週間は國分功一郎『暇と退屈の倫理学』を再読するシリーズ(その延長で『中動態…

宇野常寛
12日前
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「既に回復された中動態の世界」の問題をいかに「ケア」するか――國分功一郎『中動態の世界』『責任の生成』を再読する

別にこのnoteは僕の「初期(?)國分功一郎」への愛を叫ぶための場所ではなく、他にも書きたいことはたくさんあるのだが、一度始めてしまったらある程度まで書かないと今日も國分功一郎再読シリーズの続きを書こうと思う。 (前回までの議論はこちら) 今日は前回までの議論を『中動態の世界』と『責任の生成』を新たに参照しながら話を進めていきたい。 『中動態の世界』については下記に転載した『群像』の連載(「庭の話」)でも、まるまる一回分用いて取り上げている。 ざっと要約すると、國分は

人間は事物によって不可逆に変化し、「回復」しないときに「制作」に動機づけられる(…

 今日も前回、前々回の國分功一郎『暇と退屈の倫理学』再読シリーズの続きだ。 僕はこの本が…

宇野常寛
2週間前
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人間はどのような条件下で「制作」に動機づけられるのか、という問題を再考する(國分…

さて、前回に引き続き今日も國分功一郎『暇と退屈の倫理学』の消費社会批判を情報社会に延長し…

宇野常寛
2週間前
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國分功一郎『暇と退屈の倫理学』の再読から考えた「退屈」が既に攻略された世界の問題

 さて、今日はこれからPLANETSCLUBで國分功一郎さんの講義があるのだけれど、僕は今日の講義…

宇野常寛
2週間前
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『オッペンハイマー』と「歴史」の問題

さて、昨日掲載した『TENET』までのクリストファー・ノーラン論を下敷きに、今日はいよいよ『…

宇野常寛
3週間前
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クリストファー・ノーランと『オッペンハイマー』を考える上での整理(または『オッペ…

 先日、クリストファー・ノーラン監督の『オッペンハイマー』をようやく観てきた。この映画に…

宇野常寛
3週間前
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続『不適切にもほどがある!』と「テレビ」の問題

さて、昨日に引き続き『不適切にもほどがある!』の話だ。 昨日の記事をざっくりまとめると、…

宇野常寛
3週間前
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『不適切にもほどがある!』と「テレビ」の問題

昨晩、成馬零一さん、三宅香帆さんと3人で先日完結したテレビドラマ『不適切にもほどがある!』についての座談会を行った。今日は、そこで考えたことを改めて書こうと思う。 ちなみに僕はこの作品に寄せられたポリティカル・コレクトネス的な批判について、特に付け加えることはなく、これらの批判は概ね正当なものではないか、と考えている。しかし今日僕がここで述べたいのはもう少し別のことで、それはこの宮藤官九郎という作家が体現している「テレビ的なもの」、あるいは80年代ー90年代、つまり「平成」