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u-note(宇野常寛の個人的なノートブック)

宇野常寛がこっそりはじめたひとりマガジン。社会時評と文化批評、あと個人的に日々のことを綴ったエッセイを書いていきます。いま書いている本の草稿や没原稿、なども載せていく予定。SNS… もっと読む
僕はもはやFacebookやTwitterは意見を表明する場所としては相応しくないと考えています。… もっと詳しく
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2024年5月の記事一覧

これからの社会は「承認」のゆりかごを充実させるか、「評価」のハードルを下げるかの…

さて、今日はちょっと変わった話から始めたい。少し前に國分功一郎さんの『中動態の世界』につ…

宇野常寛
3日前
21

コモンズと共同体をデカップリングする可能性を考える

 少しバタバタしていて、間が空いてしまったが、今日はコモンズと共同体について考えたい。宇…

宇野常寛
4日前
29

「多様性」をマジックワードにせず、しっかり機能させるために一番大切なものとはなに…

 今日は「多様性」という言葉について考えてみたい。この言葉は今日においてほとんど「正義」…

宇野常寛
10日前
55

となりのトトロ2ーーメイとサツキと僕らの民主主義(仮)

 物語の舞台は前作(昭和33年/1958年)から13年後の昭和46年/1971年。母(靖子)が復調した…

宇野常寛
12日前
54

「文化を生み出す場所」に必要なのはいったい何か、改めて考えてみた話

 今日は「場所」について考えてみたい。それも「文化」が生まれる場所についてだ。随分と抽象…

宇野常寛
13日前
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「性愛」を経由しない対幻想(のポテンシャル)と「共同体ではなくチーム」を僕が選ぶ…

今日は昨日の三宅香帆さんとのトークショーで出た話題を延長して考えてみたい。それは「対幻想…

宇野常寛
2週間前
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SNSの時代に世界にとって必要な「批評」とはどういうものか、改めて考えてみた話

今日は昨日に続いて「批評」について考えてみたい。いや、まあ「批評」という言葉を神聖化しても仕方ないのだけれど、僕なりに長くこの仕事をしているので、考えることは多い。たとえば僕は書き手の傍らマイナーな媒体をもう10年以上運営してきているのだけれど、よく考えるのは「僕らみたいな媒体じゃないとできないこと」はなんだろうか、ということなのだ。 最悪なのは「その少し前に流行った本のタームを使って別のもの(自分の好きなもの)を論じる」ような企画(そうすることで「界隈」から認められたいと

出版人の一人としていま「批評」本を売り出すことの意味を考えてみた話

今日は少し「出版業者」として考えていることを書いてみたい。 今日、三宅香帆さんの新著『娘…

宇野常寛
2週間前
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「西新宿ストーカー殺人」から考える「対幻想」と「所有」の問題

今日は昨日の記事の問題ーー人間は「対幻想」から「自立」できるのかーーの続きを考えたいと思…

宇野常寛
2週間前
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人間は「対幻想」から「自立」できるかという問題を戦後史から考える

気がつけば5月も半ばが近くなってしまった……。明後日5.15は僕たちPLANETSから三宅香帆さんの…

宇野常寛
3週間前
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「仕事で自己実現する」という物語(と、それができない人が暴走しがちな問題)を因数…

さて、今日は昨日の「働く」ことについての議論の続きだ。 阿部真大は、現代の労働市場の「や…

宇野常寛
3週間前
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「なぜ人間は〈働く〉ことでカネも承認も社会的な役割も得ようとしてしまうのか」とい…

昨日は PLANETSCLUB に阿部真大さんをお招きして、現代における「労働」の問題について講義し…

宇野常寛
3週間前
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人間は「公共」の場では、むしろ「何者でもない」存在として扱われるべきなのではない…

昨日、今日と「楽天大学ラボ」の取材で小杉湯の三代目、平松佑介と久しぶりに対談した。小杉湯…

宇野常寛
3週間前
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「21世紀のアイヒマン」は昭和企業の歯車人間ではなく、むしろ「意識高い系」なのではないかという仮説

さて、連休中に今更だけれど『〈悪の凡庸さ〉を問い直す』を読み、考えこんでしまった。これは昨年『ナチスは良いこともしたのか』で話題を呼んだ田野大輔と小野寺拓也の編で、ハンナ・アーレントの『エルサレムのアイヒマン』に登場する〈悪の凡庸さ〉という概念について議論したものだ。 今日の日本において、〈悪の凡庸さ〉という概念はアーレントの意図から半ば離れたかたちで定着しつつある。それはつまり、「難しいことや負荷の高いことは考えたくない」人間たちが、組織や共同体の命令や場の「空気」に流さ