見出し画像

京都の旅は「観光しない」ほうが楽しい

僕の編集する雑誌「モノノメ」の第2号に、「観光しない京都2022」と題したフォトエッセイを載せた。これはもともと、僕がメールマガジンで連載していたもので、今回はその2022年版という位置づけだ。僕は若いころに京都に7年間暮らしていた。僕は、転勤族の家庭に育って子供の頃からほんとうにいろいろな街に移り住んできたのだけど、京都はそのなかで唯一もう一回暮らしてみたいと思っている街だ。

しかし僕は京都のいわゆる「観光地」にはあまり関心がない。僕が京都が好きなのは、明らかに他のどの街とも違う独自の速度とリズムで街全体が動いているところだ。それは歴史的な事物との妙に近い距離感(銭湯や古本屋に通うために、毎日のように使っている生活道路に面している寺に、応仁の乱の矢傷が残っていたりする)とか、ちょっと変わった人口構成(1割が学生)とか、そういったものが入り混じって生まれているものだと思う。それは、ハッシュタグのつけられるような目に見えるものではない。ないのだけれど、この速度とリズムこそが、僕の考える京都という街の魅力の本質なのだ。

もっと言ってしまえば、それは歴史に「見られる」ことの生むものだと僕は思う。人間は史跡や博物館に足を運び、歴史を「観る」ことをしてもあまり何かを得ることはない。絵葉書と同じ構図でセルフィーを撮って満足してもガイドブックで得た表面的な知識を再確認するだけで、その人の世界のとらえかは何も変化しない。しかし、暮らす中で歴史に「見られている」と人間は変わる。というか、いつの間にか変えられてしまう。自分の存在よりも圧倒的に巨大な時間の流れがあって、はじめてこの世界が存在していることを、いつの間にか深く認識しているようになる。この歴史に見られているという感覚がいつの間にか備わっていくことことがあの街の速度とリズムを強く規定しているように僕には思える。

こういった土地の魅力は、実際に暮らしてみないとなかなか分からないものがあると思う。僕自身、京都のこういった魅力に気づいたのは、大学を出て事実上無職でブラブラしていた1年のことで、このとき毎日自転車で古本屋と図書館と定食屋を回りながら過ごしていたときに、ああ、この街っていいな、と思ったのだ。

京都というと閉鎖的なイメージが強いと思うけれど、それは何代も前からこの街に暮らしている一部の産業に携わる人たちのコミュニティの話で、実際の京都に暮らす人の多くは主要産業の製造業を中心に携わる、ちょっと古いライフスタイルの地方の日本人たちだし、人口の1割を占める学生と、学生だったままよくわからないけれどクリエイティブな活動にかかわっていたり、かかわっているつもりで特に何もしていない(『カムカムエヴリバディ』のジョーさんのような)怪人たちが形成する言葉の最良の意味で「非生産的な」層も分厚い。そして僕にとってはそんな京都のもつ、独特のゆるさーーそれは大阪的な、『じゃりン子チエ』的な愛すべきデタラメさとはまた別のものだーーに、これまで暮らした街で一番の居心地の良さを感じていた。そして京都に限らず、どのような土地にもこのように移住者にしか見えないものがあるのだと思う。京都は、特にそれが際立っているのだけど、どのような街にもその街の日々の暮らしを規定する独自のリズムと速度のようなものがあるはずなのだ。

しかしその一方でこういったことは、もともとそこに暮らしていた人には逆になかなか気が付かないことではないかかと思う。(『カムカムエヴリバディ』風に)言い換えればそれは「移住者にしか見えぬものがある」ということだ。ハッシュタグのついたスポットを巡ってセルフィーを撮りなにかに触れた気になる観光客は論外として、地元の住民たちもまたその土地のことが見えなくなっていることが多い。人間、自分の後ろ頭を見るのが一番苦手なのものだ。ずっとそこに暮らしていると、それが「当たり前」になることでその土地のことに鈍感になっていく。だから移住者のような「外からやってきたけれど、そこに暮らしている人」の視点が大事なのだ。この10年近く「地方創生」的な文脈では「よそ者」の存在が町おこしの鍵だとか、関係人口こそが大事だとか、そういったことをよく耳にするようになったのだけれど、こういった話の本質はここにあるのだと思う。

そこに暮らす人は誰もがその土地の歴史に見られている。しかしその視線に気づくことは、なかなか難しい。このとき、他所の土地からやってきて、そこで暮らし始めた人がもっともその土地からの視線に気づきやすいのだ。移住者にしか、見えぬものがある。移住者にしか、聞こえぬ歌ががある。


僕と僕のメディア「PLANETS」は読者のみなさんの直接的なサポートで支えられています。このノートもそのうちの一つです。面白かったなと思ってくれた分だけサポートしてもらえるとより長く、続けられるしそれ以上にちゃんと読者に届いているんだなと思えて、なんというかやる気がでます。