私は「愛人」がほしい

恋人が欲しいと思っていました。

あの人が気になる。
もう諦めたつもりなのに、そんな簡単には諦めきれない。
一挙手一投足が気になる。
仲良くしている人に嫉妬したりして。
でもうまく自分の感情を伝えられなかったりして。

ところで、「恋」ってなんだろう

広辞苑にはこう書かれています。


①一緒に生活できない人や亡くなった人に強くひかれて、切なく思うこと。また、そのこころ。特に、男女間の思慕の情
②植物や土地などに寄せる思慕の情

なに⁉︎
一緒に生活できない人⁉︎
亡くなった人⁉︎

なんか叶わない孤独な思いの要素が強いような。
この「今ここにいない人に強くひかれる」という要素は「恋」の核心部分らしい。孤独で、決して双方向性のものではない。それが「恋」
だから、「愛し合う」とは言っても、「恋し合う」とはなかなか言わないことにあらわれているそう。

では「愛」はなんだろう

広辞苑にはこう書かれています。


①親兄弟のいつくしみ合う心。広く、人間や生物への思いやり。
②男女間の、相手を慕う情。恋。
③かわいがること。大切にすること。
④このむこと。めでること。

なるほど、「恋」って切ないとか結構自分目線だったけど、「愛」は相手を大切に思う要素が含まれている。
時には犠牲も払う崇高な感情なんだろう。

では、「恋」「愛」に「人」をつけるとどうなるんだろう

恋人
恋しく思う相手。おもいびと。
愛人
人を愛すること
愛する人、恋人。また、情婦・情夫

そう、「恋人」は、おもいびとなんだ。
決して叶うことのない孤独な「恋」の相手こそ「恋人」なんだ。

一方、「愛人」は人を愛する。つまり、大切に思う。
その相手ということになる。

なんか今までのイメージは、情婦・情夫のみのイメージだったかもしれない。

「愛人」ってもっと美しくて崇高で素敵な言葉じゃないか。


そう考えると、冒頭の私の発言。
「恋人が欲しい」と周囲にも公言していた。

その結果はどうだったか。
気になる相手がいて気にはなっているし、切なくも思っている。
つまり「恋」はしているのだ。
そう、「恋人」はもうすでにできていた。

そう、叶っていたのだ。

ではなぜ幸せな気分にならないのだろう。
こうじゃないって思うのだろう

求めていたのはそういうものだったか?

そう違うはずである。

求めていたのは「愛」だ。
でも「愛」になるほどまだ相手を大切に思えていないし、自分本位の状態に留まっている。
狭義の意味での慕う存在にはなっていても、本当の意味で大切にできていなかったのだろう。

どうすれば良いのかはまだわからない。

でも求めていたのは、孤独ではなく、双方向性の「愛人」だ。

まずは、自分の求めるもの、状態の言い方から変えてみよう。

言葉にすることは、大事かもしれない。

そこから少しだけ何かが変わるかもしれない。

だから、あえて言おう。

私は「愛人」がほしい。

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