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やっぱり、アウトプットは大事です。

2月末にnoteを始めて、「寝る前には必ず書いて寝る」と決めて書き続けていた。けれど、「書く」となるとそれがこれまで睡眠時間にしていたところに埋め込む形になってしまったものだから、どんどん、どんどん寝不足になって息切れした先月。インプットはながら作業で出来ても、アウトプットは場をしっかりと整える必要があるから、今はそこ以外に時間が取れない。

noteで出会う文章はとても面白いけれど、自分がこんな状況に陥ったものだから、「この面白い記事はどのくらいの時間をかけて書いたのだろう…」と、毎度そんなことを考える。時間設定してみるのもアリだな、と思う。どんなにへたくそでも、「ハイ、そこまで!」って。

本当に息を吸うように文章を書けたら、と思う。それを目指してnoteで練習していくつもりなのだけれど、私は今のところ、残念ながらものすごく時間がかかる。早い話が、凝ってしまうのだ。

でも今日書きながら思うことは、前にnoteを始めた時のような気負いが取れているということ。「読み手が面白いと思わないことを書いてどうするのだろう」とか、オチとか、何だかそんなことあまり考えずにスラスラ書いている。(以前に比べてだけれど。)しばらくお休みして、一回決めたことが守れなかった自分にちょっとガッカリして、何だか後ろめたい毎日だったけれど…良かった。こんな収穫もあった。


さっき、お風呂上りに生理の貧困の話題をテレビで見た。世界中で、「生理用品に(贅沢品と同じ扱いで)税金をかけるのはおかしい」というムーブメントが起こって、どんどん法改正が進んでいるらしい。確かに、日本でも食料品は8%で、生理用品は10%だ。アメリカやフランスの学校では、トイレットペーパーと同じように、トイレに生理用品も常備されるようになっているという。

そのムーブメントの源流が、ひとり、また一人と声を上げ始めた人だった。何でも、問題って色んな角度から見ると色んな見方ができるから、この生理用品に関する運動にも、「逆差別」だとかいう批判もたくさんあるのだという。でも、声を上げ始めた人達は、反対の意見にちゃんと向き合っていて、それが私にアウトプットの大切さを思い起こさせた。

例えばSDGsの問題だってついつい自分の立ち位置を濁して「難しい問題ですよね」で済ましてしまうけれど、ちゃんと自分の意見を明らかにせずに、考えることをそこで止めてしまったり、批判や論破されることを恐れてどっちにも転べるようにしておくのは、ズルい。矛盾があっても、後で意見を変えることになっても、「いまこう思うんです。」こう表明しておくことは、主体的に生きている証。

そうそう、やっぱりアウトプットって大事です。人生には波もあって、盛り上がったり、気分が乗らなかったり、文章だって上手に書けたり、考えがまとまらない時もあったりして当然。それが自然の私なのだから、受け止めてやらないと仕方がない。継続できないカッコ悪さのお陰で、肩の力が抜けたところで…これからもボチボチやっていこう。

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