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亀島川橋巡りその1:南高橋・高橋

隅田川の橋渡りを趣味にしている私でも、なかなか渡る機会のない中央大橋。渡りたい、でも気が進まない。なぜなら、こんな言い方ちょっと失礼ですが、渡った先に何も目的がないからです。散歩に目的?目的が散歩でしょ?橋を渡るのも立派な目的でしょ?って思うかもしれません。ですがプラスアルファの目的がないと面白くありません。ここで桜を見たいとか、解体現場の進捗どうなってるかな?とか、今日はあの辺を歩きたいと思う次の目的が私には必ずあります。中央大橋を渡った先という表現は、両岸あるのでどちら側から渡るかで異なるのですが、月島側から行こうと思っていたので渡った先は新川地区です。

近くにある駅は八丁堀か茅場町で、自分にとっては帰るのに便利な場所でもないし、話題になるほどの商業施設があるわけでもありません。実はこの辺にあるオフィスに2ヶ月くらい通勤していた経験があります。期間の短さからわかる通り続けたくなくて辞めた職場です。いい思い出がない場所に対して拒否反応が出てるのかも。いやいや、場所に苦手意識などもってはいけない。この辺、何かないのかなと拡大していくと・・・

まずは川の上の「高橋」に気づき目が釘付けになりました。人の名字のような名称だったため、道路上に突然高橋って何?(この地図なんかヘン)と思いました。少しして、川の上にあるんだから橋の名前では?と気づくわけですが、人の名字みたいな橋の名前ってこれ以外にもあるのかも、とか思ったわけです。

そして次に、こんなところに川があったんだっけ?と亀島川の存在が気になりました。これは日本橋川から分流してる・・・意識していないと川の存在にも気がつかないなんて。地図を見ているうちに、新川地区が日本橋川と亀島川によって陸地が分かれた島だったことに気づいたのでした。なんだか面白くなってきました。

一般的には親柱にある橋名板に橋の名前が書いてあり、どちらかがひらがな表記になっています。高橋はやはり「たかはし」って書いてあるのかな、と会社帰りに見に行ったんです。

八丁堀側の橋名板

新川側の橋名板

ええっ、どっちも漢字だ(笑)。4つとも見ましたが全部漢字でした。こんなことあるんですね。
橋の名前をひらがなで書く場合は、川がにごらないように「はし」で書くのが決まりなんだそうです。でも隣の南高橋は「みなみたかばし」と書いてありました。日本橋川の橋も「たからだばし」とか「まないたばし」はひらがなが「ばし」になっていました。比較的新しい橋を見る限り、橋のひらがな表記に関するルールはなくなっているのかもしれないです。橋の呼び方も、ほとんどは「ばし」と濁って呼ばれる事が多いですし。
例外が、橋が「大橋」の時でしょう。橋と大橋の違いはなんなんでしょ。

こんなことがきっかけとなり、亀島川の橋巡りをしました。距離は短いので簡単に終わるはずが、2023年10月に始めたのにコンプリートは割と最近の2024年の3月。4月にも追加取材のため足を運んでいます。
中央大橋に近い河口の橋からはじめます。

南高橋(みなみたかばし)

南高橋は中央大橋を渡って一番最初に出てくる橋、つまり亀島川の河口に位置する橋です。説明によると、今の位置にもともと橋はなく、隣の高橋があっただけでした。関東大震災後の復興事業として架けられた橋ですが、予算の関係で旧両国橋の三連トラスの中央部分を利用して作られています。詳しくは橋の説明の写真に書いてあるので読んでみて下さい。

旧両国橋は今の両国橋よりも20mほど下流に架けられていたそうです。Wikipediaの画像一覧で1904年完成の旧両国橋の姿を観ることが出来ます。実はつい最近の私の記事に奇しくも載っていました。「ふるさと東京 今昔散歩」の表紙の左下は浜町河岸なのですが、この川は隅田川で、奥に三連トラス橋がうっすらと見えます。これが旧両国橋ですね。

河口にある亀島川水門です。

向こう側は隅田川です


高橋(たかばし)

高橋はネタとして先に出てきましたが、南高橋の北に位置する橋です。もとはこの橋が一番河口の橋だったため、船舶の出入りが頻繁で橋脚の高い橋を架けたことに由来するといわれているそうです。名字みたいな名前だから、橋名板もまるで表札ですね。
特徴としては、橋名板にひらがながありません。そして橋の上に信号と横断歩道があります(下の写真参照)。橋を渡った先の道路上なら横断歩道はよくみかけますが、橋の上ってめずらしいと思いました。しかも信号のある横断歩道です。そして、渡ったすぐ左手に八丁堀駅のB4出口があります。

「高橋」という名前の橋は江東区にもあって、清澄白河駅の北を流れる小名木川に架けられた清澄通り上の橋がこの名前です。こちらは江戸時代に架けられた古い橋なのですが、当時の木橋がアーチ型のひときわ目立つ高い橋桁の橋だったことが名前の由来だそうです。近くの町名はこの橋の名前が由来です。

次回へつづく。



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