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黄色い花だけ枯れたワケ

一週間前、彼女に頼んでダリアの花を買ってきてもらった。
「ピンクがAmyで、黄色が私のイメージ」と言っていた。

一週間後、黄色いダリアだけが一気に枯れてしまった。

この一週間、彼女はとても辛い思いをたくさんした。

家でもその状態でいた。
ほとんど口をきかない。

すっかり自信を失くしてしまって、黄色いダリアのように元気で太陽のような彼女が、この一週間、体験したことの一つを泣きながら話してくれた。

「また人生から逃げたくない」と言った。

「また」って?

彼女は一度も人生から逃げたことは無い。
むしろ、信条は根性。一生懸命突き進み、成し遂げている体験をいくつも持っているはずなのに。

先輩から「それは逃げだ。また逃げるのか。」と言われた一言だった。

“それ”は逃げとは、あなたの解釈。
人の人生のほんの一部を切り取り、似た体験であるだけの理由で、自分の行動が正解で、それ以外は逃げだと解釈してしまう。
人の辛かった過去の体験を、過去とった行動を逃げとして、人の人生を塗り替えようとする。後悔やトラウマになりかねない。
一種の脅迫で依存させ、人のエネルギーを奪っていく。
こうして誰もが人生のセンターから外れて、他人の正解に合わせていく。
自分の内側の声をかき消して、遠回りして迷走していく。
しかし、これがまだ社会の実態なのだと思う。その先輩も悪意はない。
ほとんどの人が、見たいものしか見ない世界から発言しているだけ。
それにすら気づいていない。だから相手の気持ちも見ていない。

こうして客観的に見て、自分のセンターから外れていくことがわかるようになるまで、自分と向き合っていくしかない。
自分の内側の小さな声がハッキリと聴こえるくらいになるまで、聴き続ける必要がある。そしてその内側の声に従って愛から世界を創るチャレンジをして欲しい。

黄色い花が命をかけて教えてくれた。

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