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ルリちゃん

誰とも話したくありませんでした
誰とも眼をあわせたくありませんでした

だらしなくよじれた足を投げ出していると
ふとももからふくらはぎへ向かって
何かが這っているようでした

すごく くすぐったかったので
正体が知りたくて
洗い物をしている彼を呼びました

きのう 逃がしたはずの小さなクモ
「窓から外へ出してやって」と伝えたはずだったのに
背中越しにその様子を確かめたはずだったのに
  
枕もとにつり下がった赤いポーチには
半年前には 重要だった書類が 入りっぱなしになっています
なんとなく ながめていたら

子どものころに 飼っていたセキセイインコのことを
思い出しました
ルリちゃんといいました
ぼくが名前をつけました

通っていたマッサージの先生が
飼っていた白猫と同じ名前にしたんです
昼寝しているときに シッポを引っ張ったら
振りむいて 顔をひっかかれてしまいました

セキセイインコのルリちゃんは
施設から月に二回しか帰って来ないぼくに
とてもなついてくれました
鳥籠の隙間からひとさし指を入れると
痛くないように チョンチョンとつついてくれました

鳥籠から出してやるとおばあちゃんの肩で
いっしょにお経をくちずさんだり
鏡台の前で映っている自分を仲間と思い違いして
ぼくとおばあちゃんが教えた人間の言葉で
話しているみたいでした

ルリちゃんはぼくを気に入ってくれていました
胸とおなかの上を何度も往復したり
顔のそばまで来て
鼻やくちびるをつついたり
食事中には 口の中のごはんを おねだりにきました

ある日
横むきになって 図鑑を見ていると
ルリちゃんが頭をつつくので
仰向きになると
ぼくの背中の下敷きに なってしまったんです

ぼくは必死で
寝返りをうちました
おばあちゃんを大声で呼びました
片足は折れ曲がってしまいました

悲しくて悲しくて

それからも
ルリちゃんは片足で
いつものようにぼくのそばへやって来て
鼻やくちびるをつついて
遊び相手になってくれました

いつごろだったでしょうか
家へ帰ると おばあちゃんが言いました
鳥籠を軒先に吊ってたら
ネコに獲られてしまったんや

背中の下敷きに してしまったとき
あれほど悲しかったのに
あれほど心配だったのに
「しかたがないなぁ」と
すぐに諦める ぼくに気づいてしまいました

近いうちに
あのクモはベッドの上を
這ってくれるでしょうか
よじれた足を
くすぐって くれるでしょうか

姿を見せてくれたら
声をかけようと
心待ちにしています
ルリちゃんではありませんが

おふろの湯沸かし器は壊れたままですが
大家さんにはずっと言えないままでいます

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