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窓越しの別れ

 その朝、祖母は五歳のぼくに大芝居を打たせようとしていた。
「お昼からお医者さんが来はるんや。おかあちゃんが診てもらわはるんやけど、熱があることにしておくさかい、このお布団で寝ててほしいんや。おかあちゃんに聞かれたら、【しんどいねん】ってお芝居してな」
 ぼくは事の重大さを察して、祖母の頼みを引き受けた。昼過ぎに母が奥座敷へ入って来たけれど、子どもながらに気合の入った演技でなんなく切り抜けた。

 しばらくして、ベレー帽を被った白衣の先生が入ってきた。母は診察を受けざるをえなかった。三人のやりとりは憶えていない。
先生が帰った後、祖母はゆっくりとぼくを諭した。
 「おかあちゃん、入院しはることになったさかい、ガマンせなあかんことがあるかもしれんけど、がんばってや」
 なにか心にズシンときた。

 祖母は器用に片手で大きな重箱を抱えながら、ぼくを乗せた乳母車を押していた。
 坂道には、紫色の木蓮が空に向かって花をひろげていた。
 初めての面会は、庭を挟んでの窓越しだった。目が合うと、大声で泣きじゃくった。窓辺に寄りかかった母も泣いていた。
 あまり泣きじゃくったので、最初で最後の面会になってしまった。
「ガマンせなあかんことがあるかもしれんけど、がんばってや」
帰り道、祖母の言葉の意味がはっきりと理解できた。
 母は結核だったと、十歳を過ぎたころに祖母は教えてくれた。
主治医は手遅れだと伝えたらしい。病院の食事は無視をして、好きなものを食べさせてあげてほしいと。

 それから、入院中の母には会えなかったけれど、祖母が腕を振るった手料理をおすそ分けしてもらうときがあった。なかでも、甘鯛のお吸い物の味は忘れられない。

木蓮の季節になると、心になにかがいっぱい詰まった感触と、どこまでも空っぽな感触が背中合わせに同居する。
 きっと、あの午後がぼくの内面を形づくる分岐点になったのではないだろうか。

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