最近、母の認知症の進行が著しい。

本日2024年4月1日そう思われる出来事が起こった。


「いつものことだから」

3月31日、私は用事で遠方に出掛けており、家には父と母が休みを満喫していた。

と言っても、父は競馬をやり、母は部屋の片付けを淡々としているだけである。


その夜、22時前に帰宅すると、父が顔面蒼白になっていた。
「またお母さんがどっか行った」


認知症の母は徘徊癖がついてしまい、目を離すといつの間にか外に行ってしまう。
そのため、父が家を留守にすることが多い平日は私が在宅仕事をして、休日は家で競馬をやる父に母を任せ、私が遊びに行ったり旅行に行ったりしている。

そのようなローテーションで面倒を見ていたのだが、父がテレビに夢中になっている間に物音を立てず母が出て行ってしまうというのである。


こういったことが数年前からよくあったため、正直私は焦りもしなかった。
「いつものことだし、どうせすぐ見つかるよ」
と軽く返事をした。

しかし深夜になっても所在がわからず、少しの不安を抱えつつ寝ることにした。


そして今日を迎え、少し嫌な予感も頭を過ぎる中、10時50分頃に警察から連絡があった。
隣県の交番からだった。
「おそらくお母様と思われる方を保護しましたので、迎えに来ていただけますか」

事務的な話もあったが、要約するとこのような内容だった。
なぜ私にすぐ連絡があったかというと、すでに父が捜索願を警察に出していたため、データベースから似た特徴の行方不明者を見つけ出せたからだ。

車で1時間ほどかけて当該交番に向かうと、眠そうにして明らかにサイズが合っていないパンプスで歩き続けたためか足が血だらけになっている母が椅子に座っていた。

正直「無事に見つかってよかった」という安堵と「警察に迷惑をかけて申し訳ない」という恐縮する気持ちと「なんで毎度どこかに行こうとするの」という呆れが交錯して複雑な気分だった。
その後、警察に礼を述べて、寝落ちしそうな母を引っ張り上げて引きずるようにして車に押し込んだ。


「これが介護か」

家に帰ってから、睡魔のためか意味不明な言葉を吐き続ける母を誘導して、まず汚れた体を洗ってもらうことにした。

しかし、ここ数年シャワーの浴び方を忘れたのか、冷め切った湯船に浸かろうとしたり、自分の服を濡らして体を洗わずに入浴を終える母を見てきたため、不安になり体を洗ってあげることにした。

いつもなら「自分でできる」と拒否されるのだが、もうそんな元気もないのだろう、私の前で裸になりシャワーを浴びせてもされるがままとなっていた。

そのため、頭と背中は洗ってあげて、前と足はなんとか自分で洗うようにしてもらった。

しかし、もう言葉も通じないような様子の母は一心不乱に髪だけ洗おうとするので、最終的に股間と尻以外の全ての部分を洗うことにした。

もう怒りも悲しみも湧いてこない。それでもふと一つ思ったことがあった。

「ああ、これが介護か」と。


母が認知症と診断されてから早2年経つ。おそらく認知症予備軍と思われる時期からは6年以上経った。
その中で、母と一緒の時間を自分なりに作ってきた自負はあった。

一緒に散歩に出てみたり、ルールを教えながらトランプで遊んでみたり、ジグソーパズルをしてみたり。
20代という時間を親に捧げるのには少し覚悟が必要だったが、それでも育て上げてくれた恩は老後の面倒を見ることで返そうと思っていたので、全く不満もなかった。

しかし、私は少し認識が甘かった。

心のどこかで母が人間らしい動作は忘れないだろうという決めつけがあった。
例えば、食事、入浴、排泄、着替えなど、大人になったら一人でできて当たり前なことだ。

実際、どんなに物事を記憶できなくなっても、前は大切だと言っていたことを忘れても、普段当たり前のように使っていた道具が使えなくなってもその「自分が生きるために最低限必要なこと」は忘れないだろうと思っていた。

しかし、その当たり前は崩れ去ろうとしている。

私は世の中の介護福祉士の仕事に尊敬を持っている。
純粋に体力や胆力を必要とする仕事であるからというのもあるが、何より自分では力不足だという諦めがあるからだと思う。

それでは目の前に、日々の生活にさえ介助が必要な人がいたらどうするだろうか。

私に与えられた選択肢は腹を括る以外にない。



今日はエイプリルフール。この現実が嘘であることを願うばかりである。


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