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【沖縄旅行記 #2】 It's a small world

友「二日で沖縄中を巡るとか正気か?」 私「え?」


「沖縄は狭い」

沖縄の人がよく言う言葉である。
しかし、これはただ単に県土が小さいという話ではない。「初めましてのうちなーんちゅも血筋をたどれば大体親戚」という沖縄の血縁に関するものである。

突然だが、私は沖縄旅行二日目となる今日「沖縄は狭い」を実感することになった。
ただ「親戚がいた」とかそういう話ではない。「やっぱり沖縄って小さいな」という県土が小さいという話である。

そう思った出来事の発端は、今日行く場所を決める過程にあった。

昨晩の沖縄全島エイサー祭りの打ち上げで、沖縄観光する旨を現地の友人に話してみると、辺戸岬という場所をおすすめされた。

沖縄本島最北端にある岬で、周りは一切民家のない入り江になっているらしい。遠くに鹿児島県の与論島が見えるそうだ。

とても興味深い話だと思い観光の目的地に入れたのだが、次にとんでもない一言が発せられた。

「行って帰るだけで一日かかるから気をつけな」

…もう辺戸岬しか行けないじゃないか。

こう言われると他にも行きたいところはあったので迷ってしまうが、私は意を決して辺戸岬に向かうことにした。
行けなければまたいつか行けばいい。行き当たりばったりの旅はこういうメンタルが必要だ。


2日目

半日未満で行けるじゃないか

沖縄旅行二日目の9月11日。昨日は旅行というよりもエイサーをしに沖縄に来たため、旅行らしい旅行は今日からである。

徹夜明けで目一杯体力を使って踊り、挙句の果てに午前3時半頃に寝たとは思えないほど、私はスッキリ起きられた。これは沖縄マジックなのだろうか。

しかも普段なら昼間に起きても不思議ではないが、なんと朝の8時に起きたのである。私の体は観光を求めているらしい。

そのため、ゆったり朝食を食べて、10時前にはホテルを出ることができた。

そして、昨日友人から聞いていた辺戸岬へ歩(車)を進めることとなった。

まず、浦添市の西原ICから沖縄自動車道に乗り、1時間ほどで沖縄自動車道の終点名護市の許田ICを下りる。すぐ沖縄の大動脈である国道58号線に合流し、ひたすら北上すること1時間半。「普通に」辺戸岬に着いた。

文章として「普通に」を使うのはマナー違反な気もするが、あえて使わせてほしい。

「普通に」那覇から2時間半で辺戸岬に着いた。

1日どころか半日未満で行けたぞ!!!!

おそらく、私が最大限警察に捕まらないレベルでスピードを上げて一目散に目的地に向かっており、寄り道をトイレ休憩以外しなかったことも大きいだろうが、1日かかるはいくらなんでも大袈裟である。

実際後で調べてみたが、google mapで調べても2時間かからないほどである。友人がどのような道を通って行ったのか気になってしまった。

この時点で私は沖縄の小ささを感じた。同時に友人がいかに安全運転をしているかを想像した。

高知で100km山沿いをジグザグに走るのを経験すると近く感じてしまう。

気を取り直して、到着した辺戸岬についてだが、自然の雄大さを感じられる良い場所であった。

遠くに見えるは大石林山
遠くに見えるは与論島

古くから自然豊かな場所や都市機能の行き届かない場所には祈祷を行う場所が存在するのが日本だが、辺戸岬の周辺も確かに儀式に使われてそうな岩場や森などが散見された。

おそらく古い祈祷の場所だったと思われるところ

さらに写真を撮り忘れたのが痛いが、崖から見下ろす海にはウミガメがいた。なかなかレアだと思う。

そして、主たる観光地から少し離れているため、観光客の数も少なく余裕を持って散策をすることができた。

辺戸岬の展望スペースから見える景色。青春映画のロケ地になってもおかしくないロケーション。

柄にもなく舞い上がって普段しない自撮りをしてしまうくらい綺麗な場所だったので、是非ともおすすめしたい。

周りに人がいないのでこうなった

食堂なども近くにあったが、散策し終わったのが12時30分頃。ちょうどお昼の時間だが、辺戸岬が予想外に早く着いたため、周りたいところを周りきるために一旦お預けした。
そして次の場所へ向かった。


穴場中の穴場

辺戸岬の近くに「ヤンバルクイナ展望台」という場所がある。

おそらくあまり観光雑誌に載っていない穴場ではないだろうか。

というのも、展望台であるため絶景が見えるには見えるが、正直辺戸岬からも同じ景色が見えるため、あまり特別感を感じない。ではなぜ穴場と言われるかというと『展望台の見た目の面白さ』が大部分を占めていると思う。

これをご覧いただこう。

ネットで拾った全景(こんなん撮れない)

どでかいヤンバルクイナが展望台そのものになっているのである。

どうしても行ける範囲に全体を捉えられる場所がなかったため、全景はネットから拾ったものだが、下から撮ってみるとその大きさがわかる。

自分で撮った写真

これだけでもインパクトがある面白い場所だが、それ以上にインパクトを与えるのは道中である。

一旦停車して写真に収めておくのも難しいほど気を使って運転するレベルの獣道を通って、ようやく近くに来たと思ったら集団墓地の中を突き進む。
沖縄は「亀甲墓」が基本であるため、近くを通ると不気味さよりは威圧感を感じてしまう。申し訳ないやら怖いやら。

そして、展望台まであと少しというところで急勾配の坂道である。舗装はされているが、高尾山の登山道と変わらない勾配であるため、アクセル全開でも15km/h出るかどうかという程だ。おそらく傾斜50°くらいはあったのではないだろうか。

そして着くと、4台くらい車が置ける駐車場があり、20段くらいの階段を登る。展望台そのものは大きくないのに、道中のインパクトで忘れ得ぬ場所となった。

入り口に至る石造りの階段。雰囲気がいい。
入り口は一瞬廃墟かとみまごう。無料だから仕方ないが、それを以てしても有り余る絶景力がある。

追憶の彼方へ ~13歳の後悔~

全島エイサーに出演することをリベンジした旨を#1 にて記したが、私には沖縄でもう一つリベンジしなければならないことがあった。

それは「万座毛に行く」ということである。

実は一度家族旅行で沖縄に行っている。私が中学一年生、13歳の時だ。

歴史的建造物が好きな中学生だったため、首里城を始め勝連城、今帰仁城など、親に頼み込んで史跡ばかり巡っていた。

そんな時、ガイドをしてくれたタクシー運転手のおじさんに「景色が綺麗なところがある」として勧められたのが、恩納村にある『万座毛』であった。

ところがである。

万座毛へ向かう途中大雨が降ってきた。これくらいなら沖縄ではよくあることで、大体30分くらいすれば止み、晴れ間がさす。

しかしこの時降った大雨はしぶとく、近くの食堂で時間を潰すも一時間以上経っても止む様子はない。雨でも行けるのだろうが万座毛は「崖」である。雨で地形が変わって事故になる可能性も否めない。
すでに夕方になっていたため、泣く泣く万座毛行きを断念しホテルへ戻った。

そのことが10年以上経っても忘れられなかった私は、雨が降らないことを切に祈り、沖縄滞在二日目を迎えた。

そして…

天気は晴れ!!!!!

さらにタイミング良く、台風が去って新たな台風が生まれたかどうかという間の日取りだったため、雲も程よく出ている晴れの状態だったのである。


ヤンバルクイナ展望台から南下すること1時間30分。沖縄本島中北部にある恩納村に到着した。

そして、万座毛へといざ行かん!!としたところで、有料エリアに面白いものを見つけた。

恩納ナビー』という西暦1700年代琉球王国で活躍したとされる女流歌人で、写真の琉歌は首里(那覇市北方の琉球王国時代の王都。首里城がある場所)から来た役人に対する田舎者としての皮肉を謳った内容となっている。
他にも農民同士の恋の歌や故郷の恩納の景色を優雅に歌う歌い手として今も語り継がれている。
ちなみに『恩納ナビー』という名前は、日本本土と同じく明治時代まで百姓には苗字をつけることが許されていなかったため、農民出身の恩納ナビーは「なべ」(琉球方言でナビーになる)という名前に出身地の恩納をつけて『恩納ナビー』と呼ばれるようになったとされている。
「なべ」という名前は昭和でいう「花子」くらいポピュラーな名前であったらしい。

恩納ナビーの詩は当時の農民の役人に対する感情が漏れ聞こえてくるような歴史のロマンを感じさせてくれた。


そして、いよいよ万座毛だが、それはそれはとんでもなく景色がよかった。
しかし崖は崖なので少しの恐怖も感じた。サスペンスの名所・東尋坊(福井県)を彷彿とさせる。

万座毛

周りに人がいなかったのもあって、テンションが上がって一人で万座毛と撮影会をしていた。
ガッツリ顔面が写っているため載せていないが、万座毛を背景に自撮りもしている。
後で考えるとなんで崖とツーショットを撮っているのかよくわからない。

しかし、思ったよりも大きなスケールであったため、写真で見るのと実際に行ってみるのでは感じ方が違う場所だった。

そして、万座毛の観覧エリアを過ぎると、またもや面白いものを見つけた。

日陰で撮ったので少し見づらい。

『鳴き象』(万座毛の泣き龍)

泣き龍(鳴龍)というと、日光東照宮や長野県上田市にある妙見寺が有名だが、まさか屋外で同様のことができるとは思わなかった。

音はオクターブ高めで龍のような荘厳な感じよりかは馬のような少し甲高いように聞こえたが、それでも手を叩くとエコーがかかるような響きがあり、落ち着く音であった。

この泣き龍は専門用語でフラッターエコーというらしく、また一つ勉強にもなった。

そして、万座毛の鑑賞ゾーンから屋内に戻るとすでに14時30分を回っていたため、遅めの昼食を摂ることにした。

このチヂミが…名前が思い出せない…

なんら言葉を修飾する必要もなくおいしい。沖縄そばと沖縄のチヂミのような料理だが、地元で採れる食材を使ったものらしい。
執筆中になぜチヂミの料理名をメモしなかったのかと激しく後悔している。

そして極めつけはこれ。

沖縄ぜんざい

個人的にはすでにポピュラーになっていると思うが、これは「沖縄ぜんざい」である。

「ぜんざい」というと、温かいお汁粉に白玉が入った冬の甘味のイメージだが、沖縄のぜんざいは冷たいお汁粉にかき氷をかけて食べる夏の甘味である。ぶっちゃけかき氷の一種だ。
なぜ本土と季節感が真逆の食べ物に同じ「ぜんざい」という名前が使われているかというと、元々沖縄にはユッカヌヒーという本土でいうところの端午の節句のような暦上の風習があり、その時に小豆や緑豆と押し麦を黒糖で煮込んだ「あまがし」という伝統的なお菓子を食べていたらしい。
この「あまがし」が本土のぜんざいと見た目が似ているため「ぜんざい」と呼ばれるようになった。

再現してみると、冷たいお汁粉のような見た目なのだが、冷蔵庫の普及とともに食べ合わせとしてかき氷を乗せるやり方が広がり、現在のかき氷のような見た目になったとか。

あまがし

初めて見た方には是非とも食べてほしいがこれが案外合うのである。正直普通のかき氷にお汁粉味のシロップをかけて食べても良いくらいかき氷と汁粉の相性が良い。

本土では売っていないため、沖縄に来た時ならではのものだが強くおすすめしたいものの一つである。


バンタ

沖縄ぜんざいを堪能した私は万座毛のある恩納村を15時頃に出発した。
次なる目的地に向かうべくひたすら南西に向かうこと1時間。本島を横断した先に到着したのはうるま市は勝連半島。

「海中道路」と呼ばれている場所である。

途中から本島を眺めて。圧巻。

「海中道路」はうるま市の勝連半島から5kmほどの距離にある平安座(へんざ)島を結ぶ道路であり、元々は沖縄を暫定統治していたアメリカの石油会社が石油基地を置いた平安座島と本島へのパイプラインを作るために建設された橋である。

ちなみに見た目は完全に大きな橋なのだが、道路と呼んでいるのは一部以外海を埋め立てて堤防上の道路(いわゆる土手道)として作っているからである。

そういった経緯で建設された道路であるが、風光明媚な景色を見られるとして今や観光地化している。
さらに海水浴も楽しめるため、サーファーやダイバーの集まる場所としても知られている。
(海中道路の字面から、私は長らく全面ガラス張りになっている東京湾アクアラインのような道路を想像していた)


しかし!
今回目的としているのは海中道路ではない。

その先にある『果報バンタ』という場所である。
これで「カフウバンタ」と読む。

文字だけ見ても何かはよくわからないと思うが、そもそも「バンタ」というのは沖縄の方言で『崖』である。

このバンタが沖縄各地にあり、それぞれの地名や昔からの呼ばれ方で名前がついている。その内有名なバンタの一つが「果報バンタ」だ。

これも辺戸岬をおすすめしてくれた友人がおすすめしてくれたものだが、岬で喜んでるやつは崖でも喜ぶと思っているのだろうか。
しかし万座毛を見てテンションが上がっている人間にはその対応で正解である。どんどん紹介してほしい。

この果報バンタは、海中道路を越えた先にある平安座島の奥にある宮城島にある。かつて琉球王国の流刑地となっていた場所で比較的史跡も多いため、合わせて見るのにちょうどいい場所だ。

その情報を楽しみに歩みを進めて、あと数kmあるかないかというところで事件は起こる。

この道をまっすぐ進み、海沿いを進めばすぐ果報バンタに着くのだが…

見えるだろうか。通行止めの立て看板が。

なんでも一週間前に沖縄に上陸した台風の影響で崖崩れのおそれがあり、海岸付近に近づくことが禁止されていたのである。

(道中でも何度か通行止めの看板はあったが、抜け道のように狭い山道が各所にあったため、なんとかたどり着いた先がこれである。素直に引き返せばよかった)



簡単にいうと果報バンタは見られないということだ。

なんのために本島を横断してうるま市まで来たのか…

失意の中、私はうるま市を離れ、次なる目的地へと向かった。

失意の中撮った写真。なんだこれは…なんで撮ったんだ…

エイサー研究

果報バンタが見られないショックはことのほか大きく、そのまま那覇市まで帰ろうとしたのだが、海中道路を出たのが16時50分頃でまだ夕飯にも早いと思ったため、もう一箇所寄るためにうるま市を南下した。

そして、30分ほどかけて到着したのは沖縄市。昨日全島エイサーまつりで踊った場所だ。

なぜ改めて沖縄市に来たのかというと、学生時代から行ってみたい場所があったからである。

それは沖縄市上地のコザミュージックタウン内にある『エイサー会館』である。

エイサー会館入り口

エイサー会館は一言で言えば沖縄全島エイサーまつりにフォーカスした博物館のような施設で、エイサー体験なども可能な場所だ。

このホームページを見てもらえれば概要がわかると思うが、私が見たかったのは「エイサーの歴史をどのように扱っているか」である。

学生時代にエイサーがどのようにして作られたかを論文として書いたのだが、やはり今ひとつ納得できなかったのが「起源について」である。

↑ここで少し触れているのだが、エイサーは明確な起源がわかっていない。色々説はあるが、どれも確定的な根拠がないまま現代を迎えている。

そこで、エイサーを取り扱うエイサー会館は起源についてどのようなスタンスをとっているのか気になっていたのだ。

そして、実際に展示を見る中で起源に触れている展示を見つけた。

文字での説明のみではあったが、こう書かれていた。

1603年から3年間、沖縄に逗留した浄土宗名越派の袋中(1552-1639)上人は、本土の浄土宗の念仏を沖縄の那覇の地(垣花、具志、小禄一帯)に伝えました。滞琉中は浄土宗の布教に努め、『琉球往来』、『琉球神道記』などの書物を著しました。彼の教え広めた念仏が今日のエイサーの直接な起源、あるいはチョンダラーを介した源流となったとも考えられます。

エイサー会館

もちろん起源に対する明言は避けているものの、エイサー会館は「袋中上人布教説」を支持しているらしい。

一番有力な説(実際に書物が残っていたり、伝聞も各地に存在するため)だとされているため、エイサーを扱う公的機関が公式見解として取り上げるのも納得できる。
(もし違う説を前面に押し出していたらめちゃくちゃ面白いなと思ったが心の内にとどめておこう)

気になっていたエイサーの起源の扱いを知ることができた上に私が知らないさまざまなエイサーの歴史も知ることができたので、果報バンタが見られなかったショックも早々に晴れて大満足な気分でエイサー会館を出発した。

エイサー検定3級ならできた。(1級は難しすぎて…)

1日の終わりに

エイサー会館を出て、沖縄市から那覇の泊まっている宿へおよそ40分ほどかけて戻り、夕飯をどうするか考えていると友人から「一緒にご飯を食べよう」とお誘いの連絡をもらった。
元々東京出身なのだが、沖縄への憧れから移住して現地で働いている友人だ。

こういう生活に憧れもあるのだが、すでに東京に地盤を築いてしまっているためなかなか叶わないのがもどかしい。


友人と向かった先は国際通りの県庁側の入り口にある「JUMBO STEAK HAN S 奇跡の1マイル店」である。
その名の通りステーキ屋さんなのだが、メニューを見るとかなりボリューミーでお腹を空かせていなければ完食できたかどうかわからない。

というのも、一番少ない量で200gでボリュームたっぷりで注文すると1kgくらいのステーキが来る。

流石にそこまで大食漢ではないので大人しく200gを頼んだが、サラダやご飯などをバイキングできるため食べようと思えば好きなだけ食べることができてしまう。

舌鼓を打つのに必死で写真を撮り忘れたが、行ってみていただくとわかる。そのボリュームに圧倒されるだろう。そしてもちろん美味しい。


友人と他愛のない話に花を咲かせ、気付くと22時近くになっていた。

翌日もさまざまなところを周る予定があるため解散し、ホテルに戻った。

そして、また明日も晴れることを祈り、23時30分くらいに眠りに就いた。

前日とはひどい落差であるが、寝るのは早いに越した事はない。大人になると余計そう思う。

明日は早くも最終日。今日は主に本島北側を攻めたため、明日は南側を攻めてみようと思う。


しかし、1日で5箇所(夕飯の国際通りも含めれば6箇所)も回れてしまった。

…沖縄の人には悪いが、やっぱり沖縄って県土としては狭いんだなと思い知らされた。

辺戸岬へ向かう途中見つけた壁に張り付いてる看板。なぜか強い説得力を感じた。

次回!!!!!3日目!!!!!「後世に伝えなければいけないもの」!!!!お楽しみに!!!


前日譚↓






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