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電車内の通話で思うこと

いちおう電車内は通話禁止がルールですが、緊急という場合もある。そういう緊急性が見られたら、私は電車内の通話に目くじらは立てません。
でも、だらだらどうでもいい話を聞こえよがしに電車で通話する人いますよね。あれの何にイラっとするのか、最近気づきました。

先日、電車内で外国人(おそらくベトナム人)の男の子が通話していました。緊急性は感じませんでしたが、あれ、そんなに気にならないぞ、と思ったのです。
もちろん、ボリューム的にもさほど大きくなかったこともありますが、何を話しているのかさっぱり分からないことがストレスに感じないのです。
つまり、日本語の通話だと、
「そうそう、そんなに大きくはないよ」
「いや、お前が先に食っただろ?」
「ついに買っちゃったよ」
「えー、来たのあの娘?」
みたいな一方通行の会話がストレスなのです。
他人のどうでもいい話ですが、やはり気になるのです。

会話に突っ込みを入れます。
「そうそう、そんなに大きくはないよ」←何がだよ?
「いや、お前が先に食っただろ?」←何をだよ?
「ついに買っちゃったよ」←何買ったんだよ?
「えー、来たのあの娘?」←どの娘だよ?
というふうに、突っ込みを入れているのです。
それがストレスの元なのです。

だから、まったく分からない外国語の場合は、近くで話されても気にならない。ストレスに感じない、ということに気づきました。

ただ、声のボリュームは関係します。まったく分からない広東語を近くで話されても、声がでかいとそれはストレスに感じます。

会話の一方しか聞こえないというのは、もう一方の会話が分からないストレスと一緒に、疎外感みたいなものも感じているんじゃないかと思います。
べつに、仲間に入りたいわけじゃないんですけどね。

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