生産性がない、と言われた。

まだ生きていた。

この期間に何度も死にたくなったけど、まだ生きていた。

お金も借りる、というよりほぼもらうところからもらいきり、もう当てがない。ギリギリの状態。

だからずっと自分の家で引きこもっている状態。仕事をしようと思ってもまともにできない。仕事を受注しようと思ってもできない。そんな状態がずっと続いている。もうだめなんだろう、とここしばらく言い続けている。妻は「何がだめなの?」とか色々聞いてくるが、そんなことはわからない。すべてがだめなんだ、としか思えない。自分自身も今後も、何もかもが。死にたい、消えたい。そんなことばかり言い続けている。そんな状態がほぼ一ヶ月ほど続いた。

義理の父から支援してもらった。その際に「今後改善されるようなことがないなら無理だよ」といわれたそうだ。また、絶望に駆られた。

外に出たい。今日すこしだけそう思った。仕事にはならないけど、仕事のきっかけになるものを作りたいと最近思っていて、家で作っているがやはり少し外で仕事がしたい、と思った。でもお金がない。外に出たいことを妻に話してみた。「1,000円で足りる?」と聞かれた。そう言われて、「やっぱりいい。」と答えた。そうしたら、また憂鬱感に襲われた。また、もうだめだ、おしまいだ。そんな考えが押し寄せてきた。妻がトイレに行ったときに、衝動的に部屋の中の物を探してかばんにつめた。もう家にいられない、そう思った。この家にいちゃいけないんだと。

先に言っておく。妻は優しい。とても優しい。が、それにも限界がある。最近、始終もうだめだもうだめだ聞かされていたら気が滅入るだろう。

「何探しものしてたの?」と戻ってきて聞かれた。答えられなかった。

「どこか行こうとしてたの?」そう聞かれた。

「ここにいちゃいけないと思って。もういられないんだって。」そう答えた。


そこから先のやりとりはほとんど記憶にない。ただ、もうだめで死ぬしかない、でも死ぬのが怖い、でもここにいたらまたみんなに迷惑を掛ける、だからここにいちゃいけない、といったことをいったと思う。妻は自分の言うことを冷静に聞き、冷静に一つ一つ指摘してきたと思う。

そんなやりとりが続き、なんかの拍子に「生産性がない」と言われた。その言葉を聞いたとき、すーっと頭の中のもやもやが消えた。そして死ぬことがより具体的になった。死なないといけない、と思った。今まで死にたいだの消えたいだのと考えていた願望が、もはや義務のように感じられた。何も生み出していないで消費だけしているんだから、本当にもうだめなところまで行ってしまったんだな、と。

前後の記憶がないから、もしかしたら何かを指し示すためにいった言葉なのかもしれない。現状を認識させるためにいった言葉なのかもしれない。でも、今その言葉だけが頭に残っていた。


妻が仕事のために外出したあと、少しだけ横になった。死ぬ方法を模索するうちに、また死ぬことが怖くなった。結局、死ねないんだ。死ぬ勇気なんて持ち合わせていないんだ。生産性がないんだから。そんなことを考えるうちに、ほとんど無意識に妻に「がんばる」とだけメッセージを送った。


さっきまで作業をしていたが、また強烈に「生産性がない」っていう言葉が蘇り、手が止まってしまった。それでこの文章を書き始めた。だめな人間なんだろう、きっと。鬱とかそういうことじゃなくて、もっと根本的に、だめな人間なんだろう。死ぬ勇気すらない、真のクズなんだろう。

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