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新型コロナウイルスと日本社会保障制度

日本は「補償」がない冷徹な国なのか

新型コロナウイルスの感染爆発のニュースが連日取り上げられています。
お笑い界の大御所、志村けん氏の訃報もあり、今後益々の自粛ムードは避けられないでしょう。


これにより、エンタメ業界や観光業界を中心に、日本経済は大打撃を受けており、「国による補償」を訴える著名人も続々と現れています。

確かに、「集客=利益」となっている業界なわけですから、そもそも「客を集めてはならない」となると、売上0です。でありながら、社員へのお給料をはじめとする固定費はかかり続けるわけです。またイベントキャンセルとなれば、会場への違約金支払などで、とんでもない損失を計上しなければならないことを考えると、「自粛というなら、国がなんとかしろよ!」と言いたい気持ちは凄く分かります。
しかし、国がなんでも介入するような隣国のような経済の仕組みではないですし、「カネは出すけど口は出さない」みたいな男前な国でもないのはあいちトリエンナーレでも示されたことを考えると、経済と思想の観点から国による補償ってのは難しいんじゃないかなーと思っています。

ま、そもそも、「(俺たちのビジネスを成立させるために)国は自粛しろっていうな!」という風に聞こえてしまう部分もあり、この新型コロナウイルス対策にマジメに取り組んでいる国民、特に医療者や公衆衛生界隈の皆様に対していかがなものかとも思えてしまいます。活動を自粛させること自体は間違っているわけではないので、「だったら補償をくれよ!」と強く言うのは少し違うかなと。前提に「自粛はしょうがない」というところからスタートしての、『どうしようもない怒り』というやつかもしれませんが。

しかし、国としても、「どこにどれだけお金を入れればいいのか」が分からないことには、補償の仕様もないと思うんですよね。例えば、一律百万円支給としても、そんなものは一瞬でなくなるでしょう。企業の延命にもならない補償をしても不満解消にはならないし、やるにしたって、その企業がコロナウイルスによってそ損失を本当に得たのかを確認しないといけないという事務的な手間も発生するわけです。また、その選別方法によっては「こっちは救って、あっちは救わない」となる可能性もあり、またいつもの「忖度」というやつが発生しかねないというリスクも内在しています。

つまり、「国が何とかしてほしい」という思いはあっても、それを達成するためにはすごい時間と労力とお金がかかるけど、全員は救いきれない事態であることはどうも確実っぽいので、国としては冷徹とかそういう次元じゃなく、もう直接介入の選択肢はないよなーという目で僕は見ています。

銀行が1つ2つ潰れそう!みたいな危機であれば(勿論これもかなりヤバいことだけど)、資金注入は出来たでしょうけれど、こんかい「つぶれそう」なのが業界全体となってしまうと、政策金融公庫とか公的金融機関を通した融資しか考えられないです。その特定融資を受ければ法人税の支払い期間を猶予してくれるとか、そういうもっと「個人では見えない部分での緩やか、かつ平等な支援」になんだろうな。

って思っていたら、昨日付でこんなニュースも出てました。給付金はまだ制度面では詰められていないようですが、やっぱりかなり「異例」の対策ですね。

そもそも、日本の社会保障制度もう限界では?

前置きがすっかり長くなりましたが、みんな「補償!補償!」っていう手ますけど日本の社会保障費ってそもそも限界に近いぐらいパンパンに膨れがっていること、覚えてるのかなというのが気になっているのです。

2020年1月17日に「医療介護福祉政策研究フォーラム」にて、厚生労働省事務次官である鈴木俊彦氏の記事を再読していて、改めて日本の社会保障制度の限界が近いよなぁ、と感じたのです。
当日の資料がPDFで公開されていたので、いくつか抜粋しながら考えてみます。(抜粋元資料: http://mcw-forum.or.jp/image_report/DL-etc/20200117/01.pdf

社会保障に関するお金の話

スライド1

上の図は社会保障費の予算と、GDP比率を示していますが、2018年の段階で121兆円ものお金が使われています。それが20年後には190兆円まで膨れ上がる見通しです。大体、1.6倍です。
これに対して、GDPは564兆円から790兆円へ成長することが見込まれていますが、これが1.4倍です。社会保障費の伸びよりも穏やかですね。
なのでGDPの比率として21.5%から最大24%まで上昇します。
この中で、最も経済情勢によってブレ幅が大きいのはGDPです。今回の新型コロナの影響で経済が冷え込むとGDPの成長も想定を下回るでしょう。
一方で、社会保障費は政策にもよりますが、ほぼ人口構成で決まります。構成要素である年金・医療・介護の需給は増加の一途でしょうか、想定通りに進むでしょう。
このグラフが作成された2018年には想定していなかった経済の大停滞が発生してしまったことを考えると、社会医療費のGDP比率はもっと高まることが想定されます。
お金の面でいえば、おそらく未来は想定したよりも経済的に厳しい状態になっているだろうし、どんなに経済活動をしても4分の1以上は社会保障に使われていくという見え方になります。

社会保障に関するヒトの話

次に、就業者の推移を見ていきます。

スライド3

超高齢社会になるので、「医療福祉」業界で働く人は約1.3倍まで増える必要があります。5人に1名はこの業界で働くであろうという見通しです。
あわせて、少子化も実体経済に影響をモロに与え出していて、就業者全体も15%減少しています。
この状態になることを鈴木事務次官は「我が国の産業が世界に伍して戦っていく観点からいいことかどうか」と表現しています。まぁ、言葉尻を濁しているだけで、これは「そんな国の産業が世界と戦えるわけねぇよなぁ」と暗に言っているわけです。現状のままでは国家衰退を予期しているのです。

その対策として健康寿命推進と生産性向上を訴えているわけです。
「健康寿命推進」は「おじいちゃん、おばあちゃん、健康に長生きしてね!余生を楽しんでね!」と言っているわけではなく、「医療や介護を出来る限り使わず、年金受給も先送りにして、自分が働いて稼いで生活してね!」とという、過激にいうと老人に鞭打つ施策であります。
また、医療介護の生産性向上というのは昨今のトレンドで、まだまだどうなるか分からないところなので言及はおいておきますが(そもそも2020年段階で見通しつかない段階で「おや?」というところですが、そこも飲み込んで)、医療介護領域の人材を1.3倍確保できるのかよ、いう議論の前提部分が全く持って怪しいです。

介護

2018年時点でも全職種の求人倍率の2.4倍以上も開きがあったわけで、ここをどう巻くっていくか、そこの課題も解決しない中で「生産性向上」はなかなか厳しいのではないかと。そもそも、生産性向上って「2名でやってたやつを効率化して、1名でやれるようにしよう!」っていうことだと思うのですが、現状は「2名でやらないといけないことを1名でやっている」状態と近いので、そこで「生産性!効率!」とか言われたら、現場のやる気の減衰ったら想像を絶します。

社会保障と国民負担の話

新型コロナウイルスでも他国の対応に比べて、日本はどうだああだというお話が出ると思います。

欧州は芸術に対する国民の造詣が深く、歴史的に「庇護するもの」という観点があることもあるのでしょうが、無い袖は振れないわけです。「いつの日かのための袖」があったから、それを放出したということでしょう。
その「袖」は今までの国民からの税金にほかなりません。

次の資料を見てください。

スライド4

これは横軸を国民負担率、縦軸を社会保障支出率(共に対GDP)です。
右に行けば行くほど、国民が税金や医療費などに対する負担が高い(≒税率や保険料率(給与から天引きされるアレ)が高い)状態です。
また、上に行けば行くほど社会保障が収入(GDP)と比べて手厚くいということを示しています。

日本は1990年まで、国民負担が少なく、また社会保障が占める割合も少なかったです。消費税が導入されていなかったり、まだ少子化でもなかったことが要因の一つでしょう。あるいは高度経済成長からバブルという国の勃興期でもあったので、どんどんGDPが伸びて母数がデカくなり、比率が下がっていたということもあるでしょう。
ただ、2015年には「国民の負担は少ないけれど、社会保障が他国よりも手厚い」状態になっていて、恐らく2020年現在はもっと上にポジションしているかと思います。
今回、支援を発表した国として記事に紹介されていたイギリスやドイツは、共に日本より右側に位置し、そして縦軸は2015年の日本と同等程度に位置しています。
つまり、国民から日本よりも国が税収を集めていて、日本と同等程度の社会保障をしていた国なのです。その差分は今回のような緊急時の費用の財源になっているのでしょう。

「結構な財政赤字」だったのも覚えておきたい

国民負担率

今回、政府は中小企業への給付金払出を決定しました。一時期話題になっていた国民一人に対する10万円給付という話はどこかに消えていき、「お肉券」だか「お魚券」だかという話になり、更にそれさえも今や闇の中、というところです。
ですが、既に財政赤字がどんどん膨らんでいて、社会保障負担もどんどん増えている中での決断です。「大赤字の家のお母ちゃんが、必死で周りの人を説得して、息子の学費のために絞り出したおカネ」のようなものです。涙ぐましい。
懐事情を勘案すると、私はそれぐらいが限界じゃないかとも思うのです。

但し、この美しい(ように聞こえる)話も、その実は残酷です。
「絞り出したおカネ」のせいで、年度末には「いまよりもっと借金しないといけないこと」、「来年以降はもっと返済しないといけないこと」は確定します。
今回補償したおカネをどこから集めるか、それは「国民一人一人のお財布」に違いないのです。
鈴木事務官も講演の中で以下のように話しています。

社会保険料の負担はそれなりに増えている。だから、税金を上げるべきだと短絡的なことを言っているわけではないが、読み取り方として念頭に置いていただければよいと思う。
私見ではあるが、(中略)みんなの知恵と工夫で何とか財源を捻りだし、その財源をすべて子供・子育て世代に当てる。

斜めに読むと、

・配賦する金は最早ないので、国民から税金を追加で集めよう。
・消費税みたいな分かりやすいところじゃなくて、集めやすい方法を考えよう。

新型コロナウイルスの騒動の前から、もうこれぐらい厳しい状態であったのです。
そこに更にもっと厳しい状態になっているということです。

まとめ:国民は決断の時期

日本は「もうダメ」ということを言っているのではなく、「低い負担で、高い保障を得よう」という姿勢は、今回の新型コロナウイルス禍により、「もうダメ」というところまで来たな、という所感です。

世界は大抵2つの社会保障制度があると思っています。1つはアメリカのように「負担は低いが、保障制度は薄い」という仕組みと、スウェーデンなど北欧を中心とした「負担は高いけど・保障制度は手厚い」という仕組みです。
日本は「負担は低くしたいけど、保障制度は厚くしたい」というユートピアを目指してきました。
でも、もう限界なのです。いや、限界をとうに超えていたけれど、このようなパニックな状態になった時に、社会的なひずみが露呈したという感じです。
国としても国民一人一人が医療や社会保障制度に対して、興味を持ってくれている今だからこそ、税と社会保障をもう一度説明して、あるべき方向性を国民みんなで議論するように持っていってほしいなと、思っています。

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