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おみくじから始まる息の吸い込み方

大吉だったんですよ。一回で、おみくじ。
そしたら、なんかどこでもなんでもおみくじとか運試し系やるの、勿体なくなってしまって。
この一瞬の栄光がもう続かないかもしれない、って思ったら、ちょっと切なくなってしまって。
ただの100円の和紙なのにね。
でもなんかここ近年でレアだったし、素直に嬉しかったので、写真撮ってゆっくり、丁寧に括ってきました。新年くらい未来に思いを素直に馳せたっていいじゃないか、逆にいつ馳せるの。
…みなさんご存知、そこから早々に大吉らしさの無い世の中になったので、やっぱりあれはただの和紙でした。

わたしはずっとマルチタスクが出来ない。
本当は脳内のマルチタスクが忙しすぎて、体が追いついていない。すごい勢いで頭の中は動いているし、何かを記録・記憶・出力するのに常に稼働し続けている。
でも、それを具現化や表現できなくて、すごくもどかしい。そんな気持ちを抱いたまま30年が過ぎようとしている。
…30年も生きていた。気がつけば。
友達からは30代からが楽しいよ!と散々聞かされているし、実際30を超えた友人はみんな楽しそう、というか、自分のペースを掴んで生きているように見える。

新年早々鬱転+周期的なアレで精神的にも体調的にも、元気とは全力で言えない状態になるのは、なにも今年に限った話では無い。
寧ろ、月初が周期的なアレが来るのが確定されているわたしには、なんらいつもと変わらないはず。
でも、なんだろう、今年はすごく重たく感じる。
なんとなく原因は見えている。
・無職であることの罪悪感
・お金がないことの焦燥感
・年末頑張って活動したツケ
などなど。
体力目に見えて落ちているし、歳を重ねてしまっている(しかも体感的には、いたずらに)ことも要因な気がする。
あー、鬱々とする。

しかし、こういう鬱々とした時こそ、人は残酷なもので、何かを生み出すのが上手くなってしまう。子孫を作らなくては、と生命本能が必死に活動するからだろうか?(関係あるのか?)
そんな訳で、去年上手く活動に使いたかったけど持ち腐れ気味になったnoteを叩いている。
ちなみに、特に書きたいことはない。わたしは、「書く」という行為が好きなだけであって、書く内容は些かどうでもいいことが多い。この思いを伝えたい!とか、この事柄(人)を知ってもらいたい!とかは正直あまり無い。
結局、先ほど書いた、脳内のマルチタスクの消化・出力が楽しいだけであって、文学的興味とかも薄い。本読むのも、ネットのコラムみたいな長い文章読むのも苦手だし。

そりゃ、そんな興味関心が薄い文章を誰が読むんだって話なんだよな。人望もそれほど無いから、はなから読む人数が多い訳でもないし。
それでもわたしは、「書く」行為を止めようとしていない。し、止めたいとも思っていない。
多分、この行為と、食べること、寝ること、セックスをすること、笑うことが、わたしに残された、生きるための本能だからだろうな。書かないと、逝く。

だからね、
今年はなるべく書いて、生きて、生きてるよー!って叫んでいたい。叫ぶことは悪いことじゃないって、去年思ったから、それを行動に移したいの。鬱々とした中で光を射すように叫んで、生きていたい。そうしたら、現実の暗雲を、少なくともわたしは超えていけそうだから。

和紙に縋るよりも、
和紙を和紙だったね、って諦めるよりも、
実体のない紙に書き殴る実体のない感情を、
わたしは信じて2024年を記憶したい。

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