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note警察24時

【エッセイ】noteの街の猫刑事。とある繁華街で事件発生。猫刑事の活動を取材したドキュメンタリー。


note××町なう。
おいらは野良。

この所轄の刑事(デカ)である。おいらのテリトリーは治安が良いのだが、このnoteの街の一部では治安が悪い地域があるとの情報が入った。とある繁華街で事件発生。ボスから指令を受け、おいらは張り込み、聴き込み調査を開始した──


  note××町 連続猫珍事件捜査本部


「部長、資料が纏まりました」
「うむ。ご苦労だったね」


【薬物事件について】🐾

またたびを販売目的で所持したとして、警視庁は22日、職業不詳の猫(5)=千葉県松戸市=をまたたび取締法違反の疑いで逮捕し発表した。認否は明らかにしていない。警視庁は22日までに寝床などを家宅捜索した。

~~~

【コメント欄事件について】🐾

人間、対面でも
意志疎通がうまくいかないことがある。

「あ、そういう意味(ネガティブな意味)で言ったのではないんだよ」みたいな。

SNSなら尚更かもしれない。

一方、明らかな嫌がらせ、批判、悪口などの場合。相手は、あなたとファイトがしたいのである。人間なら喧嘩上等、自滅上等の気分のときもあろう。それなりの覚悟のうえ、自分も戦いたいのなら戦えばよいのである。

今までの時代は
「言ったもん勝ち」
「ディスったもん勝ち」
みたいなところがあった。

誹謗中傷している人間は、自分の知られたくない深層心理を自ら暴露していることと同じだし「私には、このような劣等感がありますよ」と自ら自己紹介しているようなものである。

難しいことかもしれないが誹謗中傷された人間は、その内容が事実無根ならば、後ろめたさがないならば、堂々としていればよいのである。そうすれば誹謗中傷している人間は自分の行いが恥ずかしくなってゆくであろう。

【記事内容のトラブルについて】🐾

ある記事を読んでイヤな気分になった、など。人間、受け取り方が様々である。読み手側のその時の気分や体調、状況、その人間の持つ思い込みや観念によって(ほぼコレが要因)、その記事の「見えかた」は違ってくる。


すべての情報において「正しさ」というものは存在しない。自分にとってその情報はポジティブか、ネガティブか、しっくりくるか、こないか、のどちらかである。


テレビ、ニュース、ラジオ、ネット、SNS、ブログ、雑誌、噂話し、
ワクチン接種する、しないまで、

とにかく自分が触れるすべての情報である。おいらのnoteの記事内容にも「正しさ」なんてものは存在しない。


正しさを求めると
「自分とは違う」
「これは間違ってる」
「この人は分かっていない」

などと争いや排除の気持ちが芽生えたりする。そこから発展して人によっては、自分の正しさを証明する為に戦う者もいる。

人間、自分が正しいと思いたいし、思ってるし、自分の間違いを認めたくない。間違ってるなんて思いたくないし、間違えたくない。

noteの記事内容(この世のすべての情報)に対して感じる善悪や正誤の正体は…


好き・嫌い 快・不快
 である。

「善悪」とは相手や出来事のせいで感じるものではなくて、自分の観念や思い込みによって感じるものである。

「正誤」とは親や保護者の価値観だったり、自分が作りあげてきたルール
「かくあるべき」である。

「悪い」で判断すると、人間、相手を裁いたり罰を与えたくなるものである。

これは自分にとってポジティブかネガティブかで選択をすれば多少は事件の発生を抑えられるのではなかろうか。

善悪の判断(ジャッジメント)ではなく
選択(チョイス)がよかろうと思う。


以下が、一部ではあるが、
今回逮捕されたホシの顔写真である。

KEEP OUT KEEP OUT KEEP OUT KEEP OUT
デイビット(9)
クリストファー(2)
ナンシー(7)

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